弁天様

小南葡萄

弁天様

【プロローグ】

私は逮捕された。容疑は暴行。ライブの終わりに、私は彼に襲いかかったらしい。

彼との出会いはお笑いライブの会場だった。彼が芸人で、私がお客さん。四畳一間で寂しく死のうと考えていた時に、彼の漫才の動画が目に入った。私は彼に惹かれ、彼のライブに足繁く通った。小さい箱だったけども、間近で見れる顔は私の生き甲斐となった。彼に出会って一年、もう持っていないグッズはないほど、彼の商品で部屋が埋め尽くされていた。それなのに、私は満たされていなかった。彼で埋めようとした大きな心の隙間を、小さい瓶の中身で埋めてしまうほどだった。

ある日、彼が大きなライブに出るという情報を見つけた。当然ようにチケットを買い、現場に向かった。

ベテラン達の漫才が終わり、彼のコンビはトリだった。一人のファンとは言え、ここまで彼を持ち上げるのは何故なんだろうと少し疑問にも思ったが、彼が出てきた瞬間、そんなことはどうでも良くなった。

気がついたら客席は私一人になっていた。誰もいないのに恥ずかしそうに劇場を出ると、芸人達のグッズ販売が行われていた。彼のコンビは列どころか、グッズを買うお客さんが一人もいなかった。

「えっと、コレとコレください」

「あ、ミオさん。いつもありがとうございます」

だって、買ったら握手してくれるから。私なんかの手を握ってくれるから。い緊張で顔が膨れ上がりそうだった。

「ごめんなさい、手汗ひどくて」

「いいんですよ、いつも来てくれますから」

こんな私を受け入れてくれるなんて、私のことちょっと好きになのかな。脳みそが破裂しそうになりながらも、私の頭が、今しかないとサインを送った。

「あ、あの、電話番号いただけたりしませんか?」

「え?」

「お、お願いです!絶対に内緒にするので……」

当時の私は彼のことしか見えてなかった。彼は白い紙に番号を書き、

「みんなには内緒ですからね」

もらった時の私の手は真っ赤だった。そのまま帰り、夜中に早速、彼に電話をかけた。

「はい、西です」

西くんとの他愛もない話は、私にとってはこの上ないプレゼントだった。お互いが眠くなるまで続けて、ふとよからぬことがよぎった私は、このまま、切り出すことにした。

「デ、デートに行きませんか?」

「いや、でも、お金ないし、それに」

「いてくれるだけでいいんです!西くんの好きなところでいいんで」

「じゃあ、吉祥寺、ですかね」




【本編】

デートにぴったりの完璧な青空、ところどころ雲はあるものの、綺麗な空を邪魔しない、なんならアクセサリーをつけているかのようにも感じる。

彼は、五分だけ遅れて、せかせかと私のもとにやって来た。今日は白いシャツにジーパンで、だんだん服選びが簡単になってきてる気がするけど、そんなことはどうでも良かった。

履き慣れないヒールを鳴らしながら、彼のいく道について行った。彼の面白い話はいつもいく道を新鮮にしてくれた。ショッピングモールを右に沿っていくと、すぐ見えるクレープ屋さんで、毎回二人とも食べたことのない種類のクレープを買う。これがデートの最初の楽しみ。彼が「ほな、今日はツナのやついってみ」と勧めてくれたので私も真似するように、「ほな、西くんはいちごバナナチョコスペシャルいってみ」と言うと、

「めっちゃスペシャルやん」とツッコミを返してくれた。

西くんの悪いところいうか、可愛いところというか、西くんは私の手からしか食べ物を食べてくれない。甘えん坊がすぎるとも思うが、頬張ってくれる彼を見るとどうも許してしまう。                

怪しげなお店に行ってみたり、不思議なガチャガチャを回してみたり、ステッカー屋さんでお揃いのステッカーを買ったり、その都度に彼は面白いことを言ってくれた。思い出が一つ一つ増えていくごとに、彼のことが好きになっていった。

公園に着いたら、橋を渡ってボートに乗りに行った。西くんはボート漕ぎが本当に下手で、ボートが一切動かずに水面が揺れ続けるだけだった。西くんの必死さに失笑し「もー代わりな」と言いながら私は席を替わってもらう。西くんは席を譲ることだけ上手くなって、座ったら「ほなお願い」と恥ずかしそうにはにかむだけだった。       

ボートを進めると、深緑になったソメイヨシノが少し垂れて、近づいたら触れるんじゃないかと思うくらいの迫力があった。

あの時、初デートの頃は桜が雲のように咲き誇っていて、彼は桜の上品な甘い香りに似合う儚げな顔をして、散っていく花を眺めていたのを思い出した。「確か、純潔とかそういう意味だったと思うなあ。ミオにピッタリの名前やな」なんて恥ずかしいことを平気で言って、そんな純潔なんて似ても似つかないのに、私も満更でもなかったのを覚えている。

奥までボートを進めると、赤を基調としたお寺が見えてきた。西くんはそのお寺を見るたびに「ああ、最近行ってないなあ」と独り言をこぼしていた。なんでも西くんが言うには弁天様がいて、ミオとライブで出会えたのも弁天様のおかげだなんて、また頬を抑えたくなるような話をしていた。でも私は幸せだった。

その後、地下にあるカフェに寄って、落ち着こうとしたのだが、西くんは違った。出されたコーヒーに一回も手をつけず、カフェの薄暗い雰囲気に馴染むように俯いていた。

「ねえ、どしたの?疲れちゃった?」

「いやな、ちょっとな」

とカップの持ち手を触りながら、何か言いにくそうにしていた。私はそんな西くんも可愛いと思いながら見守っていると、西くんが遂に口を開いた。

「テレビのレギュラーが決まってな」

「テ、テレビ?!」

私の声がカフェに響いて、みんなが私に注目した。西くんが人差し指を口に当て、私はきゅっと心臓が小さくなった気がした。

「だからこっから忙しくなりそうやねん、だから、ミオとも会う時間が減りそうで」

「いいよそんなの、西くんにとってはすごくいいことじゃない」          周りの目を気にしながらも、小声でピュアな気持ちを伝えた。会えなくなるかもしれないのは嫌だけど、一人のお笑い好きとしては、彼の夢を止めようという気は全くしなかった。

「会える日があったら教えてよ、その間は西くんのこと、テレビの前で応援してるからさ、もちろんライブにもいくよ!私は一人のファンなんですから」

西くんは「ありがとう、ありがとう」と言いながらまた俯いて、涙を流していた。西くんの心の支えになれるのなら何よりだ。私はわざとらしく息を巻きながら、追い打ちをかけるように、

「じゃあ今日は私が奢ってあげます。明日もお仕事あるんだから、今日は早めに帰ろ」と言ってそそくさと伝票を取った。元気づけになるようにというのと、さっきから周りの目に耐えられなかった。

駅での別れ際、私は西くんの胸にトンっと拳を当て「今年こそ賞レース取れよ、そしたら焼肉奢ってね」と、なかなか芸人の恋人らしいことを言ってみせた。それでも西くんは「おう」と力のない返事しかもらえず、手を振ってバイバイした。なんだよ、つれないやつ。ハグくらいしてくれてもいいじゃん。でも疲れてるのかもな。私もバスに乗って今日は一人、家に帰った。

 それから数週間、彼から連絡は来なかった。テレビをつけても、ライブの情報を確認しても、彼の姿はない。なんだろう、何かあったのかな。思い切って、残業がが終わった後、家に帰って彼に電話をした。西くん、お願い繋がって。着信音が途中で止まると、西くんの声がした。気持ちを抑えるように体育座りをして彼の言葉を待った。

「すまん、連絡できてなくて」

違うそんな言葉が聞きたかったんじゃない、私が癒してあげなきゃ。

「いいよ全然、忙しかったんでしょ?」

「おん」

西くんの息のこもった相槌は、何か隠しているようにも聞こえた。女か?いやいや、私が西くんを信じなくてどうするんだ。

「どうしたの?お話聞くよ」

「あんなあ、ミオ」

「うんうん」

「考えたんや、俺」

「うん……」

「一生一緒は無理かなあって」

「いや一生は無理だよーどっちか先にしんじゃうもん」

「そうじゃなくて」

「……」

「別れよか、一旦」

薄々わかってた。そうだよね、これから大物になるのに、こんなちっぽけな私とじゃ釣り合わないよね。

「私、悪いところあった?全然直すよ?」

「ちゃうねん、勘違いさん」

「何?」

思わず強く言ってしまった。変な異名を付けられてムカついた。

「お互い辛いと思うねんな、会えなくなるのって、忙しくなるから俺、こっからまた連絡できなくなるだろうし」

ダメだ、冷静になれない。

「一旦、一旦さ、会おうよ、吉祥寺で、いつものあの公園でさ、ね?私西くんと一緒にいたいよ」

「そろそろ強くなろう。お互いに」

あれ、頬が濡れてる。西くんはそれだけ言って電話を切ってしまった。それから何回か電話をしたけど、つながりそうになかった。放心状態のまま寝ようとしても、やっぱり寝れない。西くんから連絡が来てないかスマホを確認すると、時刻はもう夜の十一時だった。

もしかしたら。西くん、吉祥寺に来てるかもしれない。こんなでお別れなんて流石に後味が悪すぎる。思い立った時にはすでに、パジャマを脱ぎ捨てていた。これがどんなに低い確率でも構わない。可能性があるなら行ってあげなきゃ。最低限のメイクをして、駅に向かった。『各駅停車、新宿駅終電』よかった、帰りなんてどうでもいい、私は電車に乗った。電車が動いている最中も、西くんに電話をして、電池が切れるまで接触を試みたけど、当然のように連絡は来なかった。とうとう、吉祥寺駅まで着いてしまった。北口を出ても、急いで南口に周っても、そこに彼の姿はなかった。

少し冷たい風が髪をなびかし、私を冷静にさせた。そうだよね、いるはずないよね。帰りの電車は当然なく、帰る気力も湧かない。とりあえず、井の頭公園にでも行くか。彼がいるかもしれないし。今朝、西くんと来た道の店は全て閉まっていて、人影もなく、がらりとしていた。あんなに鮮やかだったのに、白黒映画のように退屈な街並みを抜けて、井の頭公園に着いた。

街灯の柔らかな光が木々の葉を照らし出し、その輝きが水面に映り込んでいる。この静けさの中で、自然の美しさがほんの少し心を癒してくれた。私の青春って、ここで始まってここで終わるのかな。そういえば、何回も西くんと来た公園に一回も行ったことのない場所があった。弁天様のお寺。小さい橋を渡ると、少し風がひんやりと頬を舐めたような気がした。お香の匂いが漂い、神秘的な空気が増してくる。もうこの神様しか。

綱を手に取って、ゆっくり鳴らすと、カラン、カランと静かに響いた。手を叩いて、西くんのことだけを考えた。鈴の余韻すら消えた頃、急に強風が吹き始めた。木が傾き、池が揺れ始めた。そして視界の奥には、一隻のボートが、ぽつねんとしていた。あの赤いスーツ、派手な髪型、西くんだ。やっぱり来てくれていたんだ。向かおうと歩き出した瞬間に、ボートがひっくり返ってしまった。ぽしゃんと小さく嫌な音がして、橋を渡り、私はそこに向かって走り出した。だめ、死なないで、やっぱり辛かったんだ。私を巻き込まないために、一人で抱えて、ごめんね。

「西くん!」

ボートに向かって叫んだが、応答がない、浮き上がってくる様子もない。おかしい。西くんがしんじゃった。警察を呼ぼうとしても電池が切れている。嫌だ。切羽詰まって近くにいる酔っ払いに声をかけて、電話をしてもらった。電話をして少しした後、警察に駆けつけてもらい、状況を説明しながら池まで向かった。                しかし、そこにはもうボートなんてなかった。酔っ払いも発言が曖昧で証言が取れない。夜中に女性が一人なのも危ないと、警察署まで同行した。

「その、君が見た男の子っていうのは?」

「私の彼氏です。芸人をやっていて、別れようって急に連絡がつかなくなっちゃって、辛かったんだと思います」

「ふうん」

「どこの公園?」

とメガネをかけた別の警官が中から出てきた。

「井の頭公園だって」

「はあ、井の頭公園というと、弁天様のいる?」

「弁天様?」

私のオウム返しに、メガネの警官が自慢げに続けた。

「そう、芸術の女神様と言われていてね、財運にも繋がるってことだから、あんたの芸人さんもよく来てたんじゃないかな」

ああ、だからデートの場所がいつもあそこだったのか。

「あと、弁天様っていうのは嫉妬深いという噂もある、カップルを別れさせるってね」

「おい、それはいいだろう」

公園に来た警官が、話を止めた。ある程度の事情聴取を受けた後、タクシーを呼んでもらい、街灯の光が流れていくのを見ながら警官の言葉を思い出していた。内心、それで少し安心してしまった自分がいた。西くんは弁天様に怒られちゃったんだ、それであんな仕打ちを受けたんだ。西くんのバカ。

 それから数日後、警察から、死体は発見されなかったと連絡が来た。じゃあ私が見たのは何?弁天様が見せた幻覚?でも、そんな神様じゃ。その夜のことだった。

西くんがテレビに出ていた。なんだ、生きてたんだ。嬉しさついでに久しぶりに連絡しようとしたら、この電話番号は現在使われておりませんとアナウンスされた。     西くんとの、私の一方的なログをしみじみと指先で送っていく。もう私、西くんとお話できないんだ。はっと、ライブの情報が出てないか確認したら、小さい箱だけど、西くんのコンビの情報があった。急いでチケットを取って、翌日、準備万端で会場に向かった。私を見てドキッとしてくれないかな、あったら不安になっちゃうかなとか考えながら、西くんの順番を待った。漫才が始まると、そこにはいつもの西くんがいた。しかも私の好きなネタ。やっぱり面白い。私と目が合った気がするけどやっぱりプロ、姿勢を崩さない。久しぶりの夢のような時間が終わった。グッズ販売の時間になって、やっと西くんと話せる!と財布を握りしめて順番を待った。くる、きた。

「来てくださってありがとうございます」

「もう西くん硬いなあタメ口でいいのに」

「いやいやお客さんですから、タメ口なんて使えませんよ」

「いやいつもタメ口だったじゃん」

「なんのことです?」

「えだっていっぱい遊んだじゃん!ボート乗って、クレープ食べて!」

「え?」

そっから先のことはあまり覚えていない。警察いわく、どうやら私は西くんに飛びかかって、西くんを襲ってしまったらしい。

ボロボロの髪を直さないまま、連行され、私はまた警察署に戻った。

「なあ君、西くんって子、ずっと入院してて、一年振りの復活ライブだったらしいよ。」

「え?」

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弁天様 小南葡萄 @kominamibudou

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