第9話


『ティア、貴女には本当に感謝しているの』


 死の目前、フェリはそう笑った。


『貴女のおかげで、幸せな人生だった。西大陸のあの大地を再び見れなかったことだけは残念だけど、中央大陸に連れてこられた妖精種の中で一番幸せだったと思ってる』


 ティアはフェリの手を握りしめる。


 そんなこと言わないで。そんな悲しいことを言わないで。


 涙を零すティアの頬を、フェリは拭ってくれた。


『これから貴方の人生はまだまだ長いわ。きっと、これから辛いことも沢山あるでしょうけど、嬉しいことも沢山待ってるわ。決して、自ら死を選ばないでね。あの時、私が貴女に出会えたように、きっといつか貴女を助けてくれる人が現れるから』


 ――そんなの現れない。


 この異邦の地で、ティアはフェリと二人きりだった。


 既に領主の一族はこの屋敷からいなくなった。屋敷に住むのは二人だけだ。


 屋敷の外の町にはたくさんの人が住んでいるが、彼らはティア達のことを知らない。知ったとしても、彼らは中央大陸人だ。きっと、ティアのことを受け入れてはくれない。


 フェリの言葉はティアにしてみれば叶わない夢だ。しかし、フェリは自分の言葉が嘘ではないと信じて目を閉じた。


『貴女を置いていくことを許してね。きっと、貴方も幸せになって』


 フェリはそう言い残し、それから二度と目を開けることも、口を開くこともなかった。


 ティアは暫くの間フェリの亡骸に抱き着いたまま泣き続けた。そして、夜になると一人でフェリの遺体を敷地内に埋葬したのだ。


 それからの生活はひどく色褪せたものだったとティアは言った。


「何百回、何千回とただ同じ毎日の繰り返し。たまに子供たちが肝試しにやって来るのを見るのが唯一の楽しみで……でも、彼らの前に姿を現す勇気もなくて、ずっと一人で過ごしていたわ」


 そんな日々が終わったのは、あの日。鞄を隠されたニールが幽霊屋敷に訪れ、ティアはニールと出会った。


「最初はすごくビックリしたわ。この百年で霊樹の魔力マナが少しずつ減って、屋敷の外では姿を隠せなくなっていたの。でも、屋敷の中なら昔と変わらず魔法を使えたから、ニールに姿を見られたときは魔法マギアが使えなくなっちゃったのかと勘違いしてしまったわ」

 

 魔法マギアが使えなくなったわけではないことはニールがティアの姿を視認しても、触れられなかったことで気づいた。そして、ニールの目を見て気づいたのだ。ニールの持つ金色の瞳は『真実の瞳』。幻術の類の魔法マギアは効かない。


「それが俺だけにお前が見えていた理由か」


 西大陸出身のヤロにもティアの姿は見えていなかった。しかし、嗅覚のいいヤロも匂いで誰かいるのに気づいていた。


「同じ世界で生きられないっていうのは、ここを出れないっていうのは、屋敷の外では姿を隠せないって意味なんだな」

「……ええ」

「同じ時間を生きれないってのは、人間と長寿種の寿命が違うからだな」

「……ええ、そうよ」


 ティアは一度もニールに嘘をついていなかった。誤解させるような言い回しをしたり、否定をしないことで肯定したと思わせたりはしたが、一度も嘘をつかなかった。


 もしかしたら、嘘をついていたらもっと話は単純だったかもしれない。


 少なくとも、ニールとティアの間に認識の相違と誤解がなかったら、話はもっと簡単だった。


 ニールは重い息を吐いた。


 ここに来るまで長かった。ニールにとっては十二年、ティアにとっては百五十年だ。


「もう、こんな場所で隠れ住む必要はないぞ」


 そう言うと、ティアは不思議そうに眼を瞬かせた。


「お前にとって、百五十年は短いかもしれないが、人間にとってはとても長い時間だ。――西大陸の奴らを商品として扱う事は百年前に禁止されてる。その後すぐに奴隷制も廃止になった。西大陸の異種族は国際人権法で守られてる。場所によってはまだ偏見や西大陸人への理解が低い土地も多いが、西海岸や首都では西大陸の奴等は普通に受け入れられて、働いてる。屋敷を出たって、お前が捕まることはない。人体実験されるようなこともない」


 東海岸ではまだ西大陸人への理解が低い。ティアがあるべき場所に戻れるまでは途方もなく時間がかかっただろうが、――彼女が屋敷の外に出たとしても、危惧したような事はもう起きないのだ。


「八年前、西大陸人の帰化が認められる法律が可決された。望めば、中央大陸人として暮らしていくこともできる」


 その法律を可決したのは父たちの党だ。この法律を可決させまいという一派により、父は身を隠さねばならなくなった。そのせいでニールもハーベスにやって来た。


 でも、今思えばそれでよかったのかもしれない。そのおかげで、こうしてニールはティアと出会えたのだから。


「お前だってさっき見ただろ。ヤロは人獣種だ。だが、中央大陸の国籍を得て、中央大陸人として働いている」

「……ちょっと、信じられない」

「俺が嘘をつくわけないだろ」

「でも、私、ニールに嘘をつかれたことがあるわ」


 ティアに事実を指摘され、思わずニールは黙り込む。それから咳ばらいをした。


「とにかく、嘘だと思うんだったら、後でヤロに聞いてみろ。なんだったら、ニューデランに住む魔女に会わせてもいい。とにかく、もう魔法は使わなくていいんだ」

 

 ティアはニールと腕輪を何度か見比べ、それから躊躇いながらも腕輪を外した。


 それからティアはクスクスと笑いだす。


「この百年余りはなんだったのかしら」

「全くだな。ダグラス教授が来た時に全部明らかになってたら、少なくとも十年は前にここを出られた」


 ニールがティアの正体に疑念を抱くようになったのは、本物の妖精種に出会った一年前のことだ。


 ティアが妖精種ではない、ということに気づき、そこから芋づる式で様々な齟齬に気づいた。百五十年前について調査を始め、ティアが生きているという可能性に気づいた。それまでニールはずっとティアは本物の幽霊と信じていたのだ。本当にとことん抜けていたと思う。


「ヤロが戻ってきたら、一緒に首都まで行こう。何をするにしろ、手続きが必要だ。中央大陸に渡ってきた長寿種は今のところ、お前だけだ。しかも、渡航してきたのは奴隷制廃止前ときた。皆、驚くぞ」


 あまりに前例がなさすぎる。保護を申し出たら、きっと大騒ぎになるだろう。


「でも、その前にハーベスの皆が驚くんじゃないかしら。未だに、幽霊の存在を信じている人がいるんでしょう?」

「ああ、それは見物だな。町長の驚く顔を見てやりたい」


 ニールはティアの手を引く。玄関に向かい、そこで足を止めた。


「一つ言い忘れてた」


 ティアは首を傾げて、こちらを見上げてくる。


「故郷に帰りたいか」


 ニールの言葉にティアは目を瞬かせた。


「西大陸と中央大陸を繋ぐ定期便がある。ティアが望むなら、西大陸行きの切符と旅費を用意してやってもいい」


 ずっと、ティアとフェリが夢見た故郷。


 西大陸の地へ帰るのも夢ではなくなったのだ。


 ――しかし。


 ニールは言葉を続ける。


「だが、俺はティアと一緒にいたい。中央大陸に残って、俺と一緒に暮らしてほしい」


 ニールは懐から小さな箱を取り出した。ティアに渡すと、彼女は躊躇いながらも箱を開ける。中から指輪が出てくると、ティアは不思議そうに首を傾げた。


「西大陸にはないだろうが、中央大陸には結婚するとお互いに指輪をつける風習があるんだ」

「……何で、私に指輪をくれるの?」


 ここまで鈍いといい加減苛立ってくる。


 何百年も生きているティアからすればニールはまだまだ子供なのだろう。異性として認識されていない。その事は昔からなんとなく分かっていたが、改めて目の当たりにすると酷く落胆してしまう。


「ティアと結婚したいって言ってる。いい加減、分かれよ」


 直接的な言葉を投げつけると、漸くティアは理解したらしい。白い頬を真っ赤に染めて、俯いてしまう。


「言っておくが、好意は十年前から伝えてる。一時の気の迷いではないってのはさっき言った通りだ」

「あ、あれそういう意味だったのね」

「一体、何だと思ってたんだよ」

「その、あまり深く考えてなかったの」


 プロポーズの返答は暫く待った方がいいかもしれない。


 「考えておいてくれ」と伝えようとして、その前にティアが口を開いた。


「……私、長寿種なのよ」

「知ってる」

「ニールの何十倍も長生きするの」

「知ってる」

「いつか、お別れが来るのよ」

「それは人間でも一緒だろ」

「でも、私はニールが死んだ後もずっと生きていく」

「ああ、そうだな」

「長寿種は結婚する時に永遠を誓うの。その生涯、共にあり続け、命尽きるまでお互いを愛することを誓うの。その人だけを愛するって――でも、私、貴方に永遠を誓えない」


 ニールも変わらないであり続ける物はないことを知っている。


 ティアの時代から西大陸人の扱いが変わったように。ニールが大人になったように。時間の流れと共に様々なものは変わっていく。


 ハーベスも変わる。幽霊屋敷は取り壊され、工場が建ち、近代化の道をたどっていく。ティアも他の者より変化が遅いだけで、いずれ何かは変わっていくだろう。


「未来のことは分からない。ニールが死んだあと、私は一人で生きていく。もしかしたら、他の誰かを好きになるかもしれない」

 

 ティアは「それでもいいの?」と問う。


 ニールは笑った。


「俺の事、忘れないでいてくれるんだろう? 覚えててくれるんだろ」


 それは十年前にティアが言ってくれたことだ。


「俺は俺の終わりの日まで、一つでも多くの楽しいことを残してやりたい。俺のことを忘れずに覚えてくれてればそれでいい。俺の事をずっと想ってくれるんだろ? ティアの終わりが来るその日まで」


 変わったものも多くある。けれど、変わらないものだってある。ニールが十年前に抱いた決意は今も変わっていない。


「……西大陸行きの切符は用意して欲しいわ」


 ティアはポツリと呟いた。ニールは落胆を押し隠し、「分かった」と頷く。


「中庭にフェリのお墓があるの。フェリを故郷に連れて帰ってあげたい。この場所に残すのは可哀想だわ」


 ティアは灰色の瞳をこちらに向ける。


「それが終わったら、ニールのところに戻ってきてもいい?」


 ニールは息を呑む。


「も、勿論だ。何だったら俺も一緒に西大陸まで同行してもいい」

「ふふふ、それも楽しそうね。ニールと旅行に行くなんて想像したこともなかったわ。ねえ、今までは私がニールに色々教えてもらうばっかりだったけど、西大陸のことなら私詳しいのよ。向こうに行ったら私にもあなたに教えてあげられることが出来るわね」


 ティアは箱の中の指輪を手に取る。どこの指につけるのか分からず、指輪と左手を見比べているティアから「貸せ」と指輪を奪う。代わりに彼女の左手薬指に指輪を填める。


 ニールの記憶するティアの手とよく似た手の大きさの女性の指のサイズを参考に指輪を作らせた。しかし、記憶より実際のティアの指の方が細かったらしい。指輪は少しブカブカだ。首都に戻ったら宝飾店に戻り、直させた方が良さそうだ。


 ティアは「綺麗ね」と嬉しそうに指輪を見ている。


 喜んでいる理由が指輪が綺麗なためなのか、ニールと結婚出来たことなのかは分からない。聞くのは少し怖い。


 指輪を見つけたまま、ティアは「ねえ、ニール」と呼びかけてきた。


「知ってる? 西大陸の一部の種族はね、名前を二つ持ってるの」

「ああ、聞いたことはある」

「私たちもそう。真名は長寿種にとって、魂そのものだから」


 では、ティアというのは二つ目の名前なのだろう。書類上に載せるのはそちらの名前がいいだろうとニールが考えると、ティアが言葉を続けた。 


「ラエティティア。それが私の真名よ」


 その言葉にニールは反応が出来なかった。


 先ほど魂だと説明した真名をあっさりとした口調でティアが教えてくれた。


「名付けてくれた両親以外には伴侶にしか教えちゃいけないの。だから、絶対に誰にも教えないでね」

「わ、分かった」


 裏返った声で返事をすると、ティアはまたクスクスと笑った。



 ◆



 ニールに手を引かれ、ティアは幽霊屋敷の外に踏み出す。


 日の昇っている間に屋敷の外に出るのはいつぶりだろう。

 

「行こう」


 向こうからは上着を持ったヤロがこちらに向かって歩いてくる。ティアはニールに力強く頷いてみせる。


 幽霊と呼ばれた長寿種の女は百五十年の年月を過ごした屋敷を振り返る。


 故郷と同じ魔力マナに満ちた霊樹の館。幽霊がいたのは今までのこと。もう、この屋敷には幽霊はいない。


「さよなら」


 彼女はそう呟き、領主屋敷と幽霊と呼ばれていた自分自身に別れを告げたのだった。

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領主屋敷の幽霊にさよならを 彩賀侑季 @yukisai

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