第8話
彼女は貿易省に入ってから知り合った知人に紹介してもらい、漸く会うことが出来た。
ニューデランの裏路地に怪しげな店を構える黒髪の女はまさに『魔女』と名乗るに相応しい妖しげな雰囲気を持っていた。
「西大陸が独自の生態系を持つ。それを成り立たせているのは西大陸だけで育つ一部の特殊な植物たちの作る
だが、西大陸の特殊な植物はどうしたわけか、他の大陸には根付かない。だから、中央大陸には
「もちろん、環境を整えれば部屋一つ分くらいだったら
「絶対に、ですか?」
ニールは問う。
「中央大陸で、それなりの広さの魔術が使える場所を作るのは本当に不可能ですか?」
魔女は一瞬顔をしかめる。
「…………手段を問わなければ可能といえば可能さ」
彼女は手元の煙管を回した。
「霊樹は知っているだろう? 西大陸で一番
「霊樹があれば可能なんですね」
ニールの言葉に魔女は怪訝そうな表情を浮かべる。
「まあ、そうだね。それがどうした?」
「昔――約百五十年前、輸入に関する規制が定められていなかった頃。霊樹を中央大陸に持ち込んだ記録はあると言ったらどうします」
その言葉に魔女は眉間に皺を寄せる。
ニールは手許の紙を見せた。
百五十年前の西大陸から商品を仕入れていた商人の手帳の写しだ。
今では非合法だが、当時は合法に売買された物が記録されている。首都の公文書館に貯蔵されているものを写してきたものだ。一般市民には公開されていないものだ。
(よくもまあ、こんなものが残っていたものだ)
西大陸の希少品を売り買いする商人は当時少なくなかったが、一番大きく商いをしていたのはこの男だったようだ。そのためか、奴隷制度が廃止され、西大陸との商いに法律が作られた後、男の手帳は当時の貴重な資料として博物館の倉庫に厳重に保管されていた。書いてある内容が内容だけに一般公開はされていない。
ニールがある疑念と共に、百五十年前のことを調査し始めたのは一年程前のことだ。貿易省に勤め、多くのコネクションを持つニールでさえ、この手帳の存在にたどり着くまでには半年以上、時間がかかった。もっと早くに見つけられていれば、とも思うが、今更の話だ。
そこにはとある領主が霊樹で出来た材木を大量に買い付けた記録が残っている。それ以外にも領主は様々な物を商人から買っている。妖精種の奴隷は法外な金額で取引されていた。
一体、この領主はどれほど裕福だったのか。当時の金銭価値と照らし合わせると頭が痛くなってくる。
売り買いされた霊樹の材木の単位を見て、魔女は呻き声をあげた。それから、ソファに深くもたれかかる。
「――それだけあれば、魔法が使える範囲は相当な範囲になるね。町一つ――いや、それ以上はあるだろうさ。ただ、いくら霊樹といっても、含まれてる
「でも、今もこの霊樹の近辺であれば、
「まあ、そうだね。ゼロではない。ただ、
「
ニールが問うと、魔女は怪訝そうな表情を浮かべる。
「それくらい、貿易省に勤めてるアンタなら知ってるだろ」
「知ってるのは入国許可の申請履歴のある種族だけですよ。中央大陸への渡航認可を求めてきたことのない希少種の全ては把握していません」
西大陸にはそれは何万という種族が住んでいる。
就業や留学のため、西大陸から渡ってくる者は少なくないが、人の姿から遠い亜種は中央大陸人内の認知の低さが理由で許可が下りない。その他、そもそも絶対数が少なく、中央大陸に来ようしない種族もいる。申請がなければ国は種族の渡航許可の判断さえしない。そういう種族のことは貿易省にも情報がなく、ニールも分からないのだ。
「俺が知りたいのは一つだけです。――緑の髪色をした、魔法を使えるヒト型の種族。その中で、百五十年以上の寿命を持ち、長い間姿を変えることのない者。そういった西大陸の種族をご存じありませんか」
「……随分と、具体的だね」
魔女は観察するような視線をニールに送る。
「俺は昔、西大陸出身の緑色の髪の女性に会ったことがあるんです。彼女は百五十年以上前に西大陸から奴隷として連れて来られました。……彼女は俺以外には姿が見えず、周囲も、俺も彼女は幽霊だと思っていました」
「幽霊なんてもんは存在しないよ。魂は死したら等しく大地に還る」
彼女はそう言って、煙管をふかした。
「緑色の髪のヒト型の種族は沢山いる。魔法が使える種族もね。一般種より長い寿命を持つ種族も、長い間老いない種族もそれなりにいる。ただ、それら全ての特徴を兼ね備えた種族は、私が知る限り一つだけだね」
そう言って、魔女は西大陸でも希少と云われる種族の名前を教えてくれた。
◆
「長寿種――数千年の寿命を持ち、その大半を若い姿のままで過ごし、霊樹の森に隠れ住まう種族だ。その血は不老長寿の霊薬になると言われ、西大陸でも狙う者が多い。だから、彼らは姿をくらます魔法の腕輪を持ち、誰にも見つからないようにひっそりと暮らしている。そう、魔女が教えてくれた」
ティアの腕には古風なドレスに似つかわしくない、木製の腕輪が嵌められている。おそらく、それが魔法の腕輪なのだろう。
本来、長寿種は妖精種以上に希少な種族だ。西大陸でも実際に姿を見た者は殆どいないとされている。魔女自身も、長寿種に会ったことがあるヒトの話は聞いたことがないと言っていた。
「……私は、妖精種ではないの?」
ニールは苦笑する。
ここに至っても、ティアはまだとぼけるつもりらしい。
「違う。ティアは妖精種じゃない。ティアも実際の妖精種に会ったことがあるだろう。違いはよく分かるはずだ」
ニールも一度ニューデランで本物の妖精種を見たことがある。
百年以上昔に中央大陸に連れてこられた妖精種は既に多くが中央大陸人の血が混じっている。しかし、一年前にニールが出会ったのは今はもう珍しい純血の妖精種だった。
あれは明らかにヒトでなかった。
雪のように白い髪と白い肌の娘は言葉に表せないほど美しく、ニールでさえも目を奪われた。妖精のように可憐なのに、人を引き付けてやまないその姿はまさに魔性と呼べるだろう。妖精種に対して耐性がない人間は彼女を一目すると卒倒するか、虜になって短絡的な行動に走ってしまうらしい。ニールも
そのため、妖精種の少女は大事に大事に守られていた。箱庭のような屋敷に隠され、接する相手は耐性のある数人の人間とだけというその境遇は少し可哀想である。しかし、それはまた別の話だろう。
ティアは美しい容貌をしているが、それはあくまで一般的な範囲の話だ。妖精種はその比ではない。彼女からは人を虜にするような魔性の力も感じない。
彼女は妖精種ではない。
「お前を買った領主の記録を調べた。領主は妖精種以外に、もう一人西大陸出身の奴隷を買っていた。――それがティアだったんだな」
商人の手帳に記録が残っていた。
その奴隷は妖精種に比べるとかなり安価な金額で売買が成立していた。種族名も不明で、記録にはただ「珍しい髪色が特徴」としか書かれていなかった。
おそらく、商人も領主もその奴隷の本当の価値を知らなかったのだろう。その奴隷が――ティアが長寿種であることを知っていれば、彼女は妖精種以上の法外な額で取引されていただろう。そして、不老長寿の霊薬を作るために、彼女は酷い仕打ちを受けることになったはずだ。そのことを気づかれなかったおかげで、ティアはここまで生き延びることが出来た。
そもそも、ティアの証言にも齟齬が存在した。
ティアは乱暴なことはされなかったと言っていた。しかし、領主は妖精種に一目ぼれをして、彼女を買ったと伝わる。買われた妖精種が領主に乱暴をされていないわけがない。そのことにニールが気づけなかったのは、子供だったからだろう。
「フェリは優しい子だったの」
ティアがポツリと呟いた。ティアは涙を拭い、どこかスッキリしたような表情で微笑んでいた。
「本当に綺麗な子だった。妖精種だから当たり前なんだけど――私、あの子の事が本当に大好きだった。友達だったの」
ティアはニールに掴まれていない左の手でニールの手を握る。
「私、ずっと霊樹の森で暮らしていたの。何百年もずっと。でも、森の中での生活は何も変わり映えのない日々で、私はずっと森の外に憧れていたわ。皆は『森の外は危険だ』っていつも警告してくれてたのにね」
だから、あの日、ティアは商人に会うために森を出てしまった。
「商人に捕まって、もう終わりなんだと思ってた。私たちの血が不老長寿の霊薬になるなんて嘘よ。でも、そのことを信じているヒトは多い。だから、血を取られたり、もっとひどいことをされるんだと思ってた。けど、商人は私が長寿種ってことを分かってなかったのね。だから、珍しい髪の色の奴隷として売られたの。領主様はちょうど、フェリの話し相手になる若い女の奴隷を欲しがってたの。だから、私はあの人に買われたのよ」
西海岸の奴隷市場から東海岸の領地まで旅をした。とにかく、長寿種であることはバレないようにしないといけない。そうしたら、酷いことはされないはず。ずっと、そんなことばかり考えていた。
そして、連れてこられた屋敷を見て、ティアは絶句したのだ。
領主の屋敷は霊樹を木材にして作られていた。長寿種は特に霊樹に対する愛着が強い。神聖な霊樹をよりによって家を作るのに使うなんて――ティアは酷い怒りを覚えた。
しかし、それが逆にティアを助けた。中央大陸人には感じ取れないようだったが、屋敷とその領地一帯には濃い
ティアは右腕の腕輪を握りしめる。
奴隷商人も領主も姿くらましの腕輪を奪わなかった。この屋敷なら
そして、屋敷の中に入り、ティアは妖精種の少女と対面した。
その姿に再び、ティアは言葉を失った。
見た目の年齢はティアとさほど変わらない。薄い金の髪に青い瞳の少女だ。しかし、その身体は酷くやつれ、起き上がることも出来ないほど弱っていたのだ。
フェリと名乗った少女は領主のせいだと言った。
『あの人は酷い。恐ろしい。毎晩毎晩、私に酷いことをするの。まるで悪魔みたいだわ』
妖精種に強く魅入られた人間は大抵、妖精種に対して理性や常識というものを失ってしまう。領主もその例にもれず、毎晩本能のままフェリを手荒く扱っているらしかった。
『妖精種になんて生まれてこなければよかった』
そう言って泣くフェリを、ティアは慰め続けた。
フェリはティアが長寿種だと気づいても、そのことを領主に秘密にしてくれた。魔力耐性の強いティアは妖精種の魅力に惑わされない。ごく普通に接してくれるティアにフェリはすぐに心を開いてくれた。
その晩、ティアはフェリの寝室の隣の控室で眠ることになった。だが、その晩、ティアは一睡も出来なかった。隣の部屋から聞こえるフェリの悲鳴はそれはそれは痛ましいものだった。あの部屋で一体、何が行われているのか、――考えるだけで恐ろしかった。
一刻の猶予もない。ティアは翌朝、すぐにフェリに計画を持ち掛けたのだ。
『この辺りに
しかし、屋敷に来たばかりのティアにはそれ以上のことは思いつかない。だから、計画をより具体的な物に練り上げたのはフェリだった。
まず、フェリはティアがどの程度
フェリはティアに一足先に姿をくらますように指示をした。
ティアがいなくなって屋敷はしばらく騒然とした。しかし、領地の外に繋がる道に姿を現さなかったことから海に身を投げたか何かで死んだと思われた。
次にフェリはティアがいなくなったことでひどく塞ぎ込んでいる風を装った。その後、フェリの力を借りて、屋敷を抜け出し、海岸へと向かった。
フェリはわざと自分の姿を目撃させた。すぐに領主とその部下がフェリを追った。それから、『もうこんな世界で生きていれない』と叫んで、海に身を投げたのだ。
実際は海に飛び込む振りをして、途中でティアがフェリの姿を隠した。しかし、領主たちはフェリが姿を消したのは海に落ちたからとうまく勘違いをしてくれた。
それから一ヵ月、領主はフェリを探して海を捜索させたが、その死体が上がることはなかった。――当然だ。フェリは身投げなんてしていなかったのだから。
領主たちが大騒ぎをする中、ティアはフェリを支えながら屋敷に戻った。顔を真っ青にして泣き叫ぶ領主を見て、フェリは『ざまあみろ』と大笑いをした。ティアはフェリが笑うのを、その日初めて見た。
しかし、物事が順調に進んだのはそこまでだった。
ティアはずっと魔法で姿をくらますことが出来るが、フェリはそうはいかない。
勿論、フェリはその事もちゃんと考えていた。屋敷には隠し部屋がある。元々領主しか知らないその部屋を、フェリは領主から教えてもらっていた。フェリはその部屋で隠れ住むことを提案した。食べ物や必要な物は魔法で姿を隠したティアが手に入れた。
二人ともいずれこの屋敷を出ていかないといけないと考えていたが、とにかくフェリの衰弱が酷かった。ティアはまずフェリの体力の回復を優先した。
その合間にティアはどうやって屋敷から逃げ出そうかと考えていたが、うまい方法が思いつかなった。ティアの魔法で身を隠せるのは魔力の満ちている屋敷とその周りの領地一体だけ。領地を抜ければ、魔法は使えない。領地の外に出ればあっという間に姿が見つかってしまう。
そもそも、うまいこと領地の外に抜け出してどうすればいいのだろうか。ティアの薄緑の髪は目立つし、フェリは妖精種だ。その姿を見られたらまたすぐに騒ぎになる。
西海岸に行けば西大陸(故郷)に帰る術もあるかもしれないが、ここは反対の東海岸だ。ここに来るまで馬車で一ヶ月近くかかった。歩いて横断したらどれほどかかるのだろう。とても現実的な方法には思えなかった。
『ここで隠れて暮らしていきましょう』
その決断をしたのはフェリだった。
すっかり体力を取り戻した彼女だったが、全快したとは言い難かった。
彼女の左足はうまく動かなくなってしまっていた。短時間歩くことは出来ても走ることは出来ない。移動や旅は出来なくなっていたのだ。
ティアも他に妙案は思いつかなかった。それが一番いい選択だと思えた。だから、ティアもフェリの考えに賛同した。
その頃には領主はフェリを失った悲しみですっかり廃人のようになっていた。領主の仕事を子供に譲り、彼はどこか遠い地に移り去っていった。
ティアは食べ物を得るために、隠し部屋を抜け、頻繁に屋敷内や町をうろつく様になった。運悪くちょうど
食べ物を探す以外にやることがないティアはフェリからこちらの国の言葉を習った。文字を習った。本を読んでもらった。西大陸と中央大陸の色んな話を教えてくれた。ティアはフェリの話を聞く時間が好きだった。
しかし、気がつくと、一時は健康に戻ったはずのフェリの手足がまたやせ細り出した。顔には皺が刻まれ、髪は白くなってきた。
ずっと、長寿種の仲間たちと森で暮らしていたティアは分かっていなかった。
他の種族の寿命は短い。妖精種であるフェリもまた、歳を取り、̪死が近づいていたのだ。
フェリと二人で生活を始め、五十年。ティアにとってはたった五十年で、フェリは寝たきりになった。甲斐甲斐しくティアはフェリの面倒を見たが、――確実に終わりは近づいていた。
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