ささくれ
銀色小鳩
ささくれ
何度も触ってしまう。
爪の先で引っ掻いて、少し剥ける。そのままにするか絆創膏を貼ろうか、爪切りで切ってしまおうか、迷う。迷って結局、放っておく。撫でているうちに邪魔になって、また剥いてしまう。
「ねぇ、撫でてるの、傷つけてるの、どっち?」
ある日、どこかから声が聞こえた。
「え……?」
声がしたほうをよく見ても、人間はいない。
「ここだよ。アンタがずーっとカリカリ引っ掻いてるから、血がでてきちゃってんだけど。ナデナデしてると思ったら引っ掻きやがって。味方なのか敵なのか、はっきりしろ!」
あ……?
あれ。もしかして、新しく入ってきた派遣の鈴木さんの声か?
いやいや。自宅で聞こえてどうする。疲れすぎだろ私!
確かに鈴木さんのこと、ディスっては褒め、ディスっては褒め、褒めてはディスっているので、社内にささくれ立った空気ができてる。でも、そんな、出血するほどじゃ……。悪いのは鈴木さんだし。
何気なくまた指先を擦り合わせて、
「ほらまた!」
という声が聞こえ、血がぷっくらと盛り上がっている自分の指を見て、悲鳴を上げた。声は明らかにささくれから聞こえていた。
「そうだよ、ささくれだよ。お前のささくれ立ったココロと性根をあらわして、こっちまでささくれてんだよ。無視すんじゃねーよ」
「えええっ!?」
さ、ささくれが、しゃべっ……た?
翌日から、ささくれは私に、ものを言ってくるようになった。
「おはようございますッ! すみません、人身事故で電車が遅れて! 本当に申し訳ありませんっ!」
「いいのよ。しょうがないですもんね、お子さんいると。わかるわ。いつもあなたは頑張ってる」
「酒井さん……」
息を切らせた鈴木さんは申し訳なさそうな表情をつくって私を見上げた。
「でも、おはようっていうのは変じゃないですかね? 早くないもの」
謝るぐらいなら、もっと早く家を出ろよ。子供の保育園が開かないからとか、いつも言ってるけど、そんなんだったら仕事復帰すんなよ。
「…………」
「二度とあなたから、おはようって単語を聞きたくないわね。あああ、誰のせいで仕事がたまってみんなが早朝出勤しなきゃいけない状態になってるんだっけ」
「ごめんなさい……」
「あら、ごめんね、パワハラ委員会に訴えられちゃう? 独り言だから。独り言」
いつものように派遣の鈴木さんに、早朝からサービスで出社させられている愚痴を聞かせると、指先が引き攣れた。
「ピーッ! ピーッ! ささくれ警報! 出血レベル! お前それ、ささくれ剥きまくり!」
私は焦って指先を押さえ、周りを見回す。鈴木さん、私の指が喋ったことに気づいてない。唇を噛んで下を向いている。
部長は通常通りパソコンでソリティアをやっているし、課長は愛妻弁当の包みを指で撫でている。ほかの同僚はわき目もふらず仕事にいそしんでいる。
ささくれは、私が嫌味を言うたびにささくれ警報を発するようになった。一週間もしないうちに体に疲労がたまり、私は建前だけで生活するようになった。
一年後、鈴木さんの派遣の更新がなくなることがわかり、別室に呼び出した。
「長い間、本当にありがとう。最初のころは色々、ごめんなさいね。他にいっても元気でやってね」
そう言って、お別れの菓子を渡すと、鈴木さんはぺこりと頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとうございました。私も次の派遣が決まってます、次の会社でも使うので、派遣していたささくれも返していただきますね」
わたしの指が痛みを訴える。指のささくれがぴーっと裂けて、ふわふわと宙を浮くと、鈴木さんの指にくっついた。
「派遣、終了です! ささくれ、リセット!」
ささくれ 銀色小鳩 @ginnirokobato
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