パラノイアマウス

@karukaru19830715

第1話「君がアリス?」

2月12日 8時

例えば、こんなのはどうだろう?

俺は前を歩く。当然だ、この目が見ている方向へ進む。

ではその時、後ろはどうなっている?

俺の背後に世界はあるのか?

各個人の脳をコンピューターと仮定した場合、それが持つスペックはあまり高くないだろう。

目の前にある建物、行き交う人々、飛び回る虫。

俺というコンピューターがそれらを、完璧な配置で生成できているとは思えない。

こんな小さな脳にとってはキャパオーバーだ。

そこで、俺の視界に入っていないオブジェクトらは消してみる。

そうする事で、脳が処理すべきは視界に捉えられたものだけであり、比較的軽いだろう。

そんなくだらない事を考えながら俺は街を歩いていた。

俺は高比良 紘也(たかひら こうや)。

世界に疑問を抱き、失望し、先程のようにくだらない事ばかり考えて生きる存在だ。

高校卒業後、特にやりたい事もなく毎日を過ごしていた。

そして今や22歳。

最底辺の生き方をしている自覚はある。

だが、俺にとってはどうでも良かった。

世界に失望しているのだから。

自由な歩幅で歩き、やがて目的地へ辿り着いた。

目の前にあるのはボロい4階建てのビル。

両隣の建物とは比べ物にならない程に際立っていた。

俺はわざとらしくため息を吐き、ビルの中へと入った。


「......失礼します」


軽くノックし、これまたボロいドアを開ける。


「今日も寒いわね、高比良君」


部屋に入るとすぐに声がした。

俺は特に反応する事なくソファーへ向かう。

中は暖房で暖かく、外との寒暖差にやられてしまいそうになる。


「いつも来てくれてありがとね」


女が一言。


「まぁ...」


またわざとらしくため息。

思えばすぐにため息を吐くのも癖になっている。

人は気持ち次第で底辺に堕ちていくものだ。


「それじゃ早速、今日の相手を紹介するわね」


彼女は根深 舞衣子(ねぶか まいこ)。

俺が通っている、というよりは通わされている特殊なバイトの上司的存在。

実際にはバイトでもなければ彼女が上司というわけでもない。

少々雑に結んだポニーテールが特徴だが、顔は悪くないと思う。

癖毛なのか寝癖なのか判別できないボサっとした髪は彼女曰く、これも一種のファッションだそうだ。

舞衣子はファイルから1枚の紙を取り出し、俺に手渡す。

その紙にはまるで履歴書のように顔写真と文章が敷き詰められていた。


「名前は新田 紫央(にった しお)。高比良君の1つ下で21歳、大学生ね」


舞衣子がニヤリとしながら俺を見つめる。


「...なんです?」


言いたい事は察しているが一応聞いてみる。


「いいえ、ごめんなさい」


俺の方が歳上なのに大学どころか働きもせずにのんびりしていると小馬鹿にしたいのだろう。


「で、今日は紫央ちゃんの相手をお願いしたいの」


俺がここに通っている理由はただ1つ、何かしらの病気を抱えた少年少女らの話相手になるためだ。


「病気は...アリス?」


渡された紙の病名欄には"アリス"とだけ書かれている。


「それは単なる略称ね。ま、会ってから紫央ちゃん本人に聞いてみたら良いんじゃない?」


顔写真を見てみるが、紫央は不貞腐れたような表情をしている。

これを見ただけで笑顔が少ない女なのだろうと察せる。

正直、今回の相手は苦手な部類だ。

舞衣子に頼まれた以上、断る理由はないが。


「待ち合わせは大体2時間後か。かなり時間があるな」


世界に失望しているのだから、やる事だってない。


「だったら先に、別の件も頼まれてくれない?」



同日、9時

22年もの間この街で暮らしていたが、こんな道を通るのは初めてだった。

どこかの路地裏らしく、当然だが人気はない。

舞衣子に頼まれた別件、それはとあるコインロッカーに放置された手紙の回収だ。

何故コインロッカーにあるのか、手紙を何に使うのか、それらは一切聞かされていない。

聞いても答えないはずだからだ。

なら最初から聞かないし、気にもしない。

ラインナップすら判別できない古びたガチャガチャを横目に奥へと進む。

途中まで進むと、かつて青かったであろう錆びた鍵式のコインロッカーが残されていた。

扉が外されているもの、強引に開けられたような曲がった扉のもの、未だ中に入っているかもと感じさせる綺麗なもの。

それぞれが個として存在しているようだった。

目当ての手紙は9番ロッカーとの事。


「これか」


そのまま取っ手に手をやるが、思うように開かない。

考えてみれば、このコインロッカーにはおかしな部分がある。

全てのロッカーに鍵が掛かっているのだ。

通常、ロッカーは預けると次に取り出すまで鍵を持つ事になる。

つまり、全ロッカーが貸出中というわけだ。

これだけ古ければ悪戯で鍵を盗んでいく人もいるだろう。

それにしても、どうしたものか。


「仕方ない、こじ開けるか」


取っ手に両手を掛け、全力で引っ張る。

だが、扉は微動だにしない。

やるだけ無駄と分かっていながらも、試さないわけにはいかなかった。

軽くため息を吐く。


「一旦戻ろう」


こんな所で時間を取られていると紫央の件に遅れてしまう。

俺は踵を返そうとした。

が、どこからか足音が聞こえてくる。

ただの通行人と考えたい所だが、人気のないこの空間に響く足音は不気味さを感じさせる。

まるで、俺を狙って近づいているようだ。

変に汗が流れる。

動かなければと頭では分かっているが、この足は動こうとしない。

誰が来るのだろうという好奇心、襲われるかもしれないという恐怖心。

脳と身体がどちらとも欲しがっているのだ。

そうしているうちに足音は近くなっていく。

ゆっくりと、余裕のあるスピードで。

俺はただ待つ事しかできなかった。


「...一体、何が」


その瞬間、キーッという鋭い音が響き渡る。

俺は反射的に音の方角を向き、ある物を見つけた。


「なっ...ロッカーが、勝手に!?」


鍵が掛かっていたはずの9番のロッカーは綺麗に開けられていた。

折れや汚れすらない新品同等の手紙がポツンと置かれており、その光景は異様だ。

俺はすぐさま手紙を取り出し、思い出したかのように走り出す。

手紙を持つ手の力を少しだけ強め、足音から逃げるようにして路地裏を抜ける。

俺はそのまま、人通りの多い場所へ飛び込んだ。



同日、9時30分

落ち着きを取り戻し、深いため息を吐く。

見慣れた街が視界に入った時の安堵は想像以上だ。

正直、何者か分からない足音や勝手に開くロッカーにここまで恐怖を感じるとは思わなかった。

性格上、人を信じる事はできないが、すれ違う他者の存在がありがたいとすら思える。

俺は目立たないように平静を装いながら歩いていた。

例えば、こんなのはどうだろう?

そもそもロッカーは開くようにできていた。

だが、俺は人気のない路地裏に入った事で無意識ながら恐怖心を抱く。

俺の脳は動揺し、最適な処理が不能となった。

脳が通常よりも遥かに低速で処理を始め、それが完了したのは足音に襲われている最中だ。

処理が遅れると他の物体にも影響を及ぼす。

遅れてロッカーが開き、遅れて足が自由に動いたのだ。

だとすると、足音自体も遅れていたのかもしれない。

正常ではない脳が足音の正体、オブジェクトを生成していなかった。

そう考えると、あの場面で冷静さを失ったのは運が良かったと言える。


「まあ、そんな馬鹿げた話、あるわけないか」


変な妄想をする事は何度もあるが、最後は我に返って終了する。

おそらく、脳はそこまで複雑ではない。

その仕組みこそ知らないものの、俺はいつも脳をコンピューターのように捉えてしまう。

そんな事を考えている時、俺の後頭部に何かが直撃する。


「...いてっ」


その何かは地面に落ち、カランと音を立てる。

見てみると空き缶が落ちていた。


「悪い悪い、ゴミ箱に入れようとしたら当たっちまったわ」


背後から声が聞こえ、俺は後頭部を摩りながら振り向いた。

そこには見覚えのない3人の男が立っており、ニヤニヤと笑みを浮かべている。

この時点で状況は把握できた。

最初から俺を目掛けて缶を投げ、喧嘩でも吹っかけてくるのだろう。

男達は制服を着ている。

悪行が大好きな高校生といった所か。


「別に構わない」


面倒な事を避けたい俺は相手の煽りに反応せず去ろうとした。

が、真ん中にいた男が俺の肩を叩く。

おそらくリーダー格なのだろう。

喧嘩が好きそうな奴に似合うオールバック、何がかっこいいのか理解できない雑な制服の着方、言葉を交わさずとも分かりやすい。

俺はこういう状況でも怯まない性格だ。

相手はただの人間であり、それに失望した俺にとっては脅威でも何でもない。

だが、正体不明の足音は人間ではない可能性があった。

情報が少ないというのは、それだけ"かもしれない"が広がるのだ。


「兄さん、つれないなぁ...。可愛い高校生が話しかけてやってんのに、そんな冷たくしなくてもいいだろぉ?」


自分より底辺な人間を見る度、心の内で楽しくなる。

少し、とぼける事にした。


「理解できないな」

「あん?」


男は眉をひそめる。


「お前は謝った、俺はそれを許した。お互い、平和に解決できたのなら不満はないだろ?」


男は舌打ちをした。


「目障りなんだよ、お前の背中にキモい虫がついててな」


俺は言葉の意味を理解できなかった。

男の言うそれはふざけた様子でもなく、至って真剣だ。

返す言葉を失う。

暫く沈黙が続いて、離れた所から声が聞こえた。


「将吾、そろそろ行くぞ」


男が連れていた、いかにもモブのような仲間が呼びかける。

俺は3人組である事を完全に忘れていた。


「おう、兄さんが付き合い悪くてな」


男は仲間の元へと歩き出し、間を置いてから俺の方を向く。


「その虫、さっさと殺しといた方がいいぞ」


そんな言葉だけを残して去った。

あの男は俺の背中に虫がついていると言った。

背中に手を回してみるが、何かがついている様子はない。

何を"虫"と表現しているのか、俺に何を伝えたいのか、そのどれもが謎だ。

だが、底辺な人間の発言など気にする必要もない。

問題なのは、俺が男の仲間を忘れていた事だ。

最初に話しかけられた時に3人組だという事を認識していた。

しかし、時間と共に存在を忘れてしまった。

例えば、こんなのはどうだろう?

あの男よりマシだが、底辺を生きる俺の脳は低スペックだ。

路地裏に入るだけで処理が遅れる程に。

そして、まともに処理もできない俺の脳が取った行動は1つ。

不要な人物の存在を消す。

今回のイベントで必要だったのはリーダー格の男だけだ。

奴にだけ集中し、おそらくモブであろう残りの2人を無意識的に削除した。

そうする事で処理を軽くできるのだ。

モブが何かを話していようと、俺の耳には入らない。

では、削除していたはずのモブが沈黙を破れたのは何故か。

それは、誰も話していなかったからだ。

沈黙が続いたという事は、脳が"音"に関してフリーだった事を示す。

BGMやSEが設定されていないため、その分の処理は当然軽い。

だからこそ、俺はモブの声を聞き入れる事ができた。

それにしても無意識というのは恐ろしい。

俺が考えていないのにも関わらず、勝手に行動する。

無意識が発生するのは、自身を完璧にコントロールできていない証拠。

いつか無意識に支配される日が来るのかもしれない。

またそんなくだらない事を考えながら、舞衣子の部屋に向かうのだった。



同日、9時40分

俺は舞衣子のいるボロいビルに到着し、手紙がある事を再確認した。

焦って路地裏から抜け出したのもあり、綺麗だったはずの手紙はぐしゃぐしゃになっている。

そのままの状態で回収しろ、なんて言われてないから怒られはしないはずだと信じ、ドアを開けた。


「舞衣子さん、今戻りました」


周りを見てみるが、舞衣子の姿はない。


「...外出中に鍵を掛けないなんてな」


コンビニにでも行ってるのだろうと考え、テーブルの上に手紙を置こうとした。

が、そこには書き置きらしきメモがあった。


"ごめんなさい、ちょっと急用ができちゃったから暫く帰れないの。手紙は事務所に置かないで、高比良君が持ってて。このメモも事務所以外の場所に捨てる事。紫央ちゃんの件もよろしくね。根深舞衣子"


まるで誰かに見つかりたくない、とでも言いたげな内容だった。

何者かが手紙の存在を知り、この部屋までやって来る。

舞衣子は組織にでも狙われる裏社会の人間なのか?

そもそも、古びたコインロッカーに手紙を隠していた時点で可笑しな話だ。

俺が手に持つ薄っぺらい手紙は、そこまで重要な事が書かれているのだろうか。

だからと言って中身を見るつもりはない。

結局の所、俺はただ仕事を任されただけだ。

勝手に覗く権利なんてものはない。

舞衣子の身に危険が迫っているのか少し心配だが、俺は紫央の件を優先する事にした。



同日、10時

駅前の広場に到着し、紫央の資料を確認した。

セミロング程度の黒髪、気怠げな表情、ロリータファッションが似合いそうだ。

周囲を見回した所、それらしき女性が街灯の前に立っている。

まるでデートの待ち合わせみたいだ...と考えてしまう。

俺は少しだけ速く歩き、彼女の元へ急いだ。


「...えっと、君が新田 紫央か?」


紫央は俺の方を向いたが、すぐさま目を逸らした。

人見知りなのだろうか。


「例の、相談の件で来たんだが」


相談という言葉に反応したのか、再び俺の方を向く。


「......女の人が来るって話だったけど」

「あ、あぁ...。急用でな、俺が担当する事になった」


紫央は顎に手を当て、何かを考えるように黙る。


「不都合なら、日を改めるのも可能だ」

「いや、別にいいの。話さえ聞いてもらえるなら」


舞衣子に会わせてやりたいが、俺ですらどこにいるのか分からない。

相手が俺で申し訳ないと心の中で謝っておく事にした。


「俺は高比良 紘也。根深 舞衣子に代わり、君の相談相手だ」


紫央が会釈する。


「早速、話を聞きたい所だが、ここだと話せない事もあるだろう。場所を移そう」



同日、10時15分

俺達は近くのカフェに入った。

心地良い優雅な曲、落ち着きのある内装、そのどれもが俺に似合わない。

入る店を間違えたとすら思う。

だが、ある時舞衣子は言っていた。

どんな高級店であっても、経費で何とかなる。

どうせ行くなら贅沢しろ...と。

とは言っても、俺は仕事じゃなくてただのボランティアだが。

注文を済ませ、改めて紫央の資料を確認する。


「君の話の前に、聞いておきたい事がある。病名...アリスとは何だ?」


資料の病名欄にはアリスとだけ書かれている。

聞かれたくない事なのかもしれないと考えていたが、紫央は嫌な顔1つせずに答えた。


「不思議の国のアリス症候群」

「アリスって、あの童話の?」


それしかないと分かりつつも質問する。


「そう。読んだ事ある?」

「ないが、話なら分かる」


主人公のアリスがウサギを追いかけ、その道中で身体が大きくなったり縮んだりする不思議な世界の話だ。


「そのアリスと同じ。私も、不特定の物が大きく見えたり小さく見えたりする」


にわかには信じられないが、紫央は真剣だ。


「大きさだけじゃない。極端に遠かったり、近かったり。あからさまに歪んでたりもする」


紫央が続ける。


「子供に多い現象なんだけど、私のは特別。...だって」


話し過ぎたと言わんばかりに口を閉じた。


「ごめんなさい、何でもない」


紫央が黙り、何とも言えない空気が流れる。

紫央のアリスは他と違って特別。

妙に気になる情報を手に入れてしまった。


「...えっと、俺にはまだアリスが理解できてない。例えば、このカフェにある何かしらの物体もサイズが違って見えるのか?」


カフェで言うとコーヒーカップやメニュー表のサイズが変わっていたりするはずだ。


「おそらく、変わってるでしょうね」


はっきりしない返答に違和感があった。


「おそらく...というのは、どういう意味だ?」


紫央が店内を見回し、端に置かれた大きめの壺を指差した。


「あの壺って大きく見える?」

「あぁ、大きいな」


1メートル程度はありそうだ。


「大きい壺は誰が見たって大きい。だけど、小さいのだってある。その壺によってサイズは違うでしょ?」


「まぁ、そうだな」

「極端に変化してるんだったら私でも分かる。でも、これ大きいかも...とか小さいかも...って、結局は私がそれの基準を知ってるかどうかに限るの」


自分の目と他人の目を使って間違い探しをする事でアリスの影響を知るというのも可能なわけだ。


「つまり"おそらく"という言葉を使ったのは、基準値以上...あるいは以下の物が確定できなかったからだな」


アリスではこの世で最小の壺と最大の壺、加えてその間の全ての壺が基準値となる。


「物体の大きさに限定するならね。ただ、確実にアリスの影響を受けたのがある」


紫央は天井を見つめた。


「立って、背伸びしたら頭を打ってしまうくらいには...天井が低くなってる」


俺が見る天井は至って普通だ。

しかし、紫央は俺と違う世界を見ている。

そう考え、鳥肌が立った。



同日、9時59分

ボロさの目立つ4階建てのビル、その一室。

扉の前にはリーダー格の男と数人の部下が佇んでいる。


「ターゲットに傷1つ負わせません。暴力的な態度は慎むように」


部下に命令を下したのは聖 ロウド(ひじり ろうど)。

黒のスーツにメガネと、インテリらしさを醸し出しているが組織の幹部であり、舞衣子を追う者だ。

その目的はどこかへと隠された手紙の内容を知る事。

組織のボス、ネオの命令だ。

しかし、ロウドは何故ネオが手紙を狙うのかを知らされていない。

ボスの右腕である事にしか興味がないからだ。

時計に目をやり、10時になった事を確認する。


「行きましょう」


ロウドは勢いよくドアを開け、部屋に入る。

それと同時に部下は四方八方へと散らばり、手紙の捜索を始めた。


「根深 舞衣子...やはり本人は逃亡済みでしたか」


ワンルームである分、ここに舞衣子の姿がない事は瞬時に理解できた。

ロウドは部下の動きを目で追い続ける。


「僕達がここへ来る事を事前に察知し、その痕跡さえも消してしまう。恐ろしい人物ですね」


スマホを取り出し、電話を掛ける。


「は〜い、ボスですよ〜」


組織のボス、ネオが応答した。

元気のある少女の声だが、決して掛け間違いではない。


「ボス、例の部屋を捜索していますが、手紙や彼女の痕跡は一切ありません。あちらが一枚上手でした」

「ほーら言ったでしょ?あの人は簡単に捕まらないんだって」


ネオは心配する様子を見せない。


「念の為、捜索を続けます。それよりもボス、いい加減にご自身の立場を理解なさっては?」

「どうして?」

「正直な所、今のボスは"ボス"のように見られてません。見た目的な問題もありますが、何にしても遊びのように軽いのです」


ロウドは一呼吸置いた。


「今のままでは、権力だけを持った子供と変わりませんよ」


ネオが黙り込む。少し言い過ぎてしまったと、ロウドが焦りの表情を浮かべた。


「す、すみません。右腕として働かせてもらいながら、このような失言を...」

「...まあまあ、別にいいじゃん。みんなはあたしの事を子供みたいに扱うけどさ、敬われるのは嫌いなの」


ネオにはボスらしさというものがない。

部下のミスにも寛容であり、自ら命令を下す事もほとんどなかった。

ボスである事を拒んでいるのではなく、ボスらしさを見せるために自分を偽りたくないのだ。


「とにかく、あたしが珍しくロウドに仕事をあげてるんだから。ちゃんと手紙は回収してよ?」

「もちろんです。では...」


ロウドが電話を切ろうとしたその時だった。


「手紙を持ち出したのは、根深 舞衣子じゃないみたいだよ?」


ネオはその一言だけ残し、電話を切った。



同日、10時30分

紫央からアリス症候群について詳しく聞いた。

正直な所、この話が本当かどうかは分からない。

俺には確認する術がないのだ。

全て紫央の妄想かもしれないし、そもそもアリス症候群なんて病気すら存在しないかもしれない。

紫央には悪いが、信じる事ができなかった。


「すまない、長引かせてしまった。今日は何の相談を?」


紫央が俺を見つめる。


「今日、彗鐘(けいしょう)高校で何かが起きるはず」


彗鐘高校、聞いた事ない学校だ。


「何かって、何だ?」


高校で何かが起きる。

何が起きるのか、何故起きるのか、何故紫央が知ってるのか。

何もかも分からない。


「アリスは未来の事を教えてくれる。誰がどう見たって分かるくらい極端に変化してるものは何かが起きる証拠」


紫央が勢いよく立ち上がる。


「お願い、一緒に彗鐘高校まで来てほしいの」


俺は黙った。

はい...とは言えず、返す言葉が見つからなかった。


「...お願い、助けて」


何度言われても答えは変わらない。


「それは、俺の仕事じゃない。ただ話を聞いてやるだけだ。すまない」


外に吐き出せない言葉やストレス、その吐き捨てる場所を提供するのが舞衣子の仕事だ。

俺はただのボランティアで、舞衣子以上の仕事をするつもりもない。


「それに俺は...世界に失望してる」

「それで良いの?仕事とかじゃなくて、個人として興味はないの?」


考える必要はなかった。


「......悪い」


紫央がため息を吐いた。


「人助けとか、進んでするタイプだと思ってた。ごめんなさい」


俺はただ、立ち去っていく紫央を目で追う事しかできなかった。

この先、紫央は1人で学校に向かうのだろう。

そこで待つのは災厄か、それとも杞憂か。

いずれにせよ、俺が知る事はない。



同日、12時

紫央と別れた後、目的もなくぶらついた。

申し訳ない事をしたと思いつつも、後戻りはしない。

俺は舞衣子の手紙も、アリスの予言も知らなくていい。

世界に失望した俺には必要ないものだ。


「あれから...もう7年経ったのか」


まだ幼かった頃、母が"神様のお絵描き"という絵本を読んでくれた。

描いた絵が現実になる不思議な自由帳を拾った少年。

嫌いだったピーマンを変えるためにハンバーグの絵を描いたり、欲しいおもちゃの絵を描いてすぐに自由帳を使いこなした。

そして、自分の思い通りになる快感を知った。

欲しいものは何でも手に入り、その力を求める友達を格下の存在として扱う。

それは人間の姿をした神様だった。

子供向けとは思えない話だろう。

だが俺はこの絵本に惹かれていた。

少年の父親が交通事故で死亡した。

家族の距離は遠のいていき、誰も口を開こうとしない。

しかし、少年だけは違っていた。

消えたのなら、描けばいい。

自由帳に大きく描かれた父親の姿。

出来上がったのは、何の感情も持たない人形のような父親だった。

7年前、俺の母は首を吊って死んだ。

その現実を受け入れられなかった父は逃亡。

それ以来、居場所は知らない。

当然俺もショックだった。

両親を失った事実、これからどう生きていけばいいのかという不安。

そんなある日、例の絵本を思い出した。

神様は人間の味方だ。

絵本のように、神様が自由帳を渡してくれる。

完璧じゃなくて構わない。

もう一度、母の姿を見たかった。

そして俺は神様になる。

そう信じ、ひたすら待ち続けた。

絵本なんて、ただの作り話だと諦め切るまでは。


「俺は世界に失望している。神なんて存在しない。もしいるとしても、俺の味方ではない」


希望なんてものは持つだけ無駄だ。

考え事をしながら歩いていると、紫央との待ち合わせ場所だった駅前広場に戻ってきていた。

視界の隅にはボロボロの白衣を纏った男。

周りに人はいるが、俺に話しかけようと近づいている気がした。

逃げる事もせず、男が目の前に来るのを待つ。

今日は色々と騒がしい日だ。

やがて男は俺の前で立ち止まり、こちらを見つめている。

年齢は30代程度だろうか。

髪は短く、髭も整えられている。

そんな清潔感とは裏腹に汚れた白衣。

危険人物とは思わないが、その異質さは際立っていた。


「高比良 紘也、22歳。親を失い、信じていた神にも裏切られ、理不尽な世に失望した」


最初に沈黙を破ったのは白衣の男だった。


「最終学歴は中学校卒業。その後、極度の無気力により6年間もの時を孤独に過ごす。ある日に根深 舞衣子の活躍をネットで知り、心打たれた高比良は根深の事務所を訪れる。次第に心を開き、根深だけを信じるようになった」


全てを知り尽くしたように俺の過去を語り、表情1つ変えなかった。


「...誰だ、何故俺を知ってる」

「君は世界に失望していると言うが、それは単なる飾りの言葉。実際には手紙の内容も、アリスの予言も気になっているはずだ」


動揺を隠す事ができない。

俺の過去だけでなく、今日の出来事すら知られていた。

路地裏の足音はこの男だったのかもしれない。


「君は大切な人を失うのは嫌か?」

「どういう意味だ」

「いや、素直になれないのであれば、興味を惹くだろう情報を渡しておこうと思ってね」


男は黙り出した。

まるで心の準備をしろと訴えてるようだ。


「アリスの予言によると彗鐘高校で何かが起きるらしい。そして、根深は何かに追われている。この2つの出来事は繋がっているんだ」


嫌な予感がした。


「根深は、彗鐘高校に向かった。彼女の身に何かあってからでは遅いぞ」


時が止まったような感覚だった。

脳内で繰り返される男の言葉。

その意味を完全に理解した頃、俺は既に走り出していた。



同日、12時15分

彗鐘高校は騒然としている。

状況が分からず廊下に出てくる生徒、騒ぎを楽しむ声。学校内は混沌としている。

俺は学校に辿り着いた後、当てもなく走り回った。

舞衣子か紫央の姿だけでもと探してみるが、大勢の生徒で埋め尽くされている。

何かが起きている事は分かるが、その正体が掴めない。

生徒だらけの学校を私服で駆け回る俺に視線が集まる。

だが、そんな事を気にしている場合ではない。

適当に3階へ上がり、廊下に出た所、生徒らが集まって壁のようになっていた。

間違いなく、ここが"現場"だと言わんばかりだ。

何かがあると確信し、俺は人の群れを掻き分けて進む。

そこに迷いはなかった。

俺がここまで何かに興味を示す事は一切ない。

なくていいはずだった。

手紙の内容、アリスの予言、謎の男に舞衣子の失踪。

まるで世界が俺を動かしているみたいに、興味を持てと訴えるように。

そして、それに応えようとしている俺もいた。

群れを掻き分けた先、そこには想像できたであろう光景が広がっていた。

嫌な予感は当たるものだ。


「......舞衣子...さん」


見慣れたはずの舞衣子の姿、それを赤く染めただけ。

ただ赤い液体を全身に塗りながら寝ているだけ。

一瞬はそう考えた。

だが、付近に置かれたナイフが一気に現実を突きつける。


「だから私は言ったの。助けてほしいって」


背後から声が聞こえたものの、振り返る事はなかった。

俺の目は舞衣子だけを捉え、動こうとしない。

例えば、こんなのはどうだろう?

人の目はただのコンピューターだ。

ならば当然、バグがあってもおかしくない。

俺が見ているのは舞衣子に似た別の何か。

舞衣子が学校に来るわけがない。

いくら手紙を必要としていたからって、学校と結びつくわけがない。

俺はポケットから手紙を取り出し、躊躇いなくその中身を見た。

そこに書かれていた言葉は。


"宇宙リロード"

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

パラノイアマウス @karukaru19830715

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ