第9話 ︎︎巣食う
息を潜め、岩陰から覗くと、そこにはマッドコックが
この渓谷は、マーギュットの町から半日の距離にある。はぐれか、野生のものだろうと、テオは当たりを付けた。だがもしも、牧場から攫ってきたとなれば、話が違ってくる。人里の近くまでマッドコックが出没し、生きた生物を捕食するというのは前例がないからだ。
マッドコックの餌は、腐敗した動植物が一般的と言われている。狩りをするという生き物ではない。巣はあるが、集団行動と呼べるものではなく、生殖が目的で集まり、それが便宜上巣と呼ばれているだけだ。要はマッドコックが居心地が良く、糞から出るフェロモンで集まってくる場所が巣となる。
だがそれは本来、湿気があり温暖な場所であるはず。それなのに、これだけの数が、乾燥した渓谷に集まっているのは異常と言える。
テオの額に、一筋の汗が滴った。それを不思議そうに
「どうした? ︎︎顔色が悪いぞ。確かに、アレは気色悪いが、ただの虫であろう。さっさと退治して帰るぞ。埃だらけで、暑くてかなわん。汗でベトベトだ。湯浴みを所望する」
そう言いながら、テオが止めるのも聞かずに岩陰から身を現した。
その一瞬。
マッドコックの触覚が一斉に動いた。
カサカサと鳴らしながら、イルに照準を定める。そして、まるで歓喜に震えるが如く襲いかかった。
「イル! ︎︎引け! ︎︎一旦戻るぞ!」
これは一介の
オプタは入口に置いてきている。目的の物が渓谷の深い場所にあり、体の大きな馬では機動力に欠けるからだ。例えここにいたとしても、おそらく逃げるのは厳しいだろう。勿論、人間の足など及びもしない。
引くに引けない、そんな状況で、イルの身体が仄かに輝いた。
「ふん。何のために私がいると思っている? ︎︎こんな雑魚共など造作もない」
イルの周囲を魔法陣が回り、ついで炎が
しかし。
動きは鈍ったものの、魂を刈るには至っていない。未だに
「む」
結果が不本意だったのか、イルは唇を歪ませた。更に魔法陣を展開しようと腕を伸ばすと、テオの声が制止する。
「そいつらに炎は効果が薄い! ︎︎毒餌で駆除するのが一番なんだが……っ」
その声を聞き、イルがふむ、と呟くと魔法陣の色が変わっていく。
「それを早く言え。無駄弾を打ったではないか。つまり、毒を喰わせれば良いのだな」
言うが早いか、空中に薄い紫色をした水球が浮かび上がる。それらは矢の如く飛び、マッドコック達に覆い被さった。どろりと粘り気のある水は、皮膜となり纏わりつき、口器を塞がれ、嫌が応にも毒を食らわせる。
もがき苦しむマッドコックの群れは、それでもなお、
イルはフンと鼻息を吐くと、テオに向き直った。
「終わったぞ」
事も無げにふんぞり返る相棒に、テオは二の句が告げられずにいる。
そこには、まるで黒い絨毯のような光景が広がっていた。
双星の漂流者 文月 澪 @key-sikio
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