第8話 ︎︎異変

 気まずい空気を伴って、二人が辿り着いたのは両脇に断崖がそびえる渓谷だ。むき出しの赤い岩肌は、幾層もの年月が積み重なり、美しい曲線を描いている。エオーデスと呼ばれるその渓谷は、古代の川の跡だと言われていた。そのため、各所に正体の分からない化石が見え隠れしている。


 イルはキョロキョロと忙しく視線を動かしていた。


「おい、これはなんだ? ︎︎至る所に模様がある。渦巻きに、これは葉か……? ︎︎こんな物、見た事もない。それに、このザラザラした物」


 足元の砂を掬いながら、首を傾げる。


「地に堕とされて、目が覚めたらこの赤い大地がずっと続いていた。天界にはこんな物は無い。ゴツゴツとしていて、歩きにくい事この上ないな。お前達はよく平然としていられる」


 嫌味ったらしく言ってみたが、テオは笑っていた。


「はは、そりゃ天界は神様がいるくらいだからな。こんなに荒れてるわきゃない。だけどこんな所でもさ、神様が人間に与えた賜物だ。そんな風に言うもんじゃねぇよ」


 その言葉に、イルは不服そうだったが、神の名を出されては文句も言えない。


 この世界は、神が人間のために創造したと言われている。かつて天上で繁栄したエデイシアは、神を中心に廻り、永い時を繋いでいた。しかし、いつしか綻びが生まれる。


 それは一人の子供から始まった。


 金の髪と七色の瞳が栄誉の証だったエルデルヴェオに、漆黒の髪を持つ異端児が現れたのだ。その子供は、既に出来上がっていた天界のシステム全てに、疑問を抱いた。


 神の存在意義。


 地の底に見える原始の海。


 何故、天と地は分かたれているのか。


 次々と投げかけられる問いに、エルデルヴェオ達は答えられなかった。何故ならそれは、全て当たり前の事だからだ。そんな疑問は、成長と共に増えていく。


 エルデルヴェオ達は生活を乱され、とうとう神に泣きついた。このを異端の子をどうにかしてくれと言って。


 そして神は選択する。


 この異端の子を地上に降ろし、自ら答えを探させたのだ。


 たった一人、地上に降りたその子供は、世界を旅した。


 緑深き森を、深淵の洞窟を、霧霞む山を。


 その間にも、異端は生まれる。その子もまた、地に堕とされ放浪した。そして子供らが出会い、番い、子が増えていく。そうして人間は世界に広がって行ったのだ。


 これは寝物語として引き継がれている。テオは田舎育ちで学が無いが、それでもこの物語は知っていた。だからこそ、意趣返しができるのだ。


 イルはもう頭を切り替えたのか、また化石を興味深そうに見ている。テオも岩壁に描かれている縞模様と、そこに埋まっているよく分からない虫を眺めるが、例え学者が狂喜乱舞するような発見をしたとしても、価値は測れないだろう。


 渦を巻く小さな化石を横目に、イルを促し、共に奥へと歩を進めていく。


 この渓谷は、ウォーマイク平原を南北に二分している。マーギュットの町がある南のユーク地方と、北のネマスト地方は渓谷を通って物流が行き交う。全盛期には商隊キャラバンが列を成していた。しかし、それも昔の話し。今では最低限の往来しかない。


 更に近頃は魔物が住み着き、商隊が被害を受ける事例が頻発していた。そのせいで物資が不足している。テオが役場で受領したのが、その魔物退治だ。


 役場に届いている報告では、数十匹の小型の昆虫型魔物であるという。小型とはいえ、そこは魔物。人の子供ほどの大きさがある。目撃例からマッドコックと特定されており、幾度か討伐依頼が出されたが、しばらくするとまた湧いてくる。いくつか巣も発見され、掃討したにも関わらずだ。


 マッドコックはその名の通り、ゴキブリが魔物化した生物である。本来であれば、熱帯雨林などの温暖で多湿地域に生息する魔物だ。腐敗生植物を好む生態から、砂漠や山岳地帯にはいないとされる。それが何故かこの荒れて、乾燥したウォーマイクに出現するようになった。


 だが、この荒野にマッドコックの腹を満たす物は無い。悪食で、なんでも食い尽くすマッドコックだとしても、さすがに岩や砂は口にしないだろう。そんな魔物が突如として現れるようになった原因解明は、都の学者達も頭を悩ませている。


 往々にして、生息地域外に進出する理由は外敵の出現、もしくは生息困難な状況に陥ったかだ。しかし、マッドコックと生息域を同じとする他の魔物は目撃されていないし、本来の生息域の環境にも変化は無い。


 そもそも、本来マッドコックが生息しているのは、この荒野を囲む山脈の向こう。高い山々に遮られ、気流が停滞した熱帯雨林だ。雨季には毎年洪水が起き、ウォーマイクとは逆に、水に悩まされている。そんな湿潤な土地は、気温も高く腐敗が早い。


 マッドコックは自分達にとっては住み心地の良い、ジメジメとした地から、わざわざ山を越えてやってきた事になる。


 何か目的があるのか?


 テオは細い空を見上げながら思案するが、魔物とはいえ昆虫だ。それほど知能は高くない。


 じゃあもしかして、人為的に……?


 一抹の不安が胸を過ぎると、背中を冷たいものが滑り落ちる。ザワつく心を落ち着けるように、ちらりと相棒を窺う。イルは相変わらず、岩壁を横目に歩いていた。その様子が何故か心地よく感じられ、薄く笑みが零れる。


 テオは気を取り直し、前を向くと緩い曲がり角にさしかかった。すると、その向こうから何やら音が聞こえてくる。


 小さく、カサカサと、何かが這いずり回るような。


 テオは自然と戦闘態勢に移行する。


 それを見て、イルも異変に気付いたのか、小走りで背後につき準備完了。


 二人、目で合図し合い、岩陰からそっと覗いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る