第32話 エピローグ


私達はソリアの家族とともに、サウスグロウの共同墓地に訪れていた。新しく墓地を作るとなるとそれなりの手続きがいるのだが、ここには既に、ゾラ家によって作られた彼女の墓がある。行方不明になって暫くして、形だけでもと建てられたらしい。私が老いた司祭に頼み込むと、彼は考え込んだ末に、墓地に遺骨を埋葬することを許可してくれた。

 その時に教えてもらったのだが、ソリアは彼の教え子だったらしい。人攫いに合う前の最期の目撃者であるということもあり、ソリアの死について責任を感じていると言っていた。

 彼の話は長く、取り留めがなかったが、しかし私は彼が満足するまで話を聞いた。

 愛されていたのだ、ソリアは。

 ———一番奥にあるひっそりと建てられた墓が、彼女のものであるらしい。

「人がいますね」

 彼女の墓の前には、一人の女がいる。二十代後半くらいだろうか。ソリアの記憶の中で、彼女を見かけた記憶があまりない。

「カリアの元奴隷でしょう。珍しいことでもありません。世間的にはテロリストなのかもしれませんが、元奴隷の人からしたら姉は英雄ですからね」

 レイラが私に耳打ちする。反政府勢力のところにまでソリアの故郷のことが伝わっているというのは、興味深い話だった。

「彼女がいなくなるのを待ったほうが良いのではないでしょうか。目の前で埋葬をしたら遺骨を掘り起こされるかもしれません」

 そう提案したのは、ソリアの父ダリウスである。遺体は旅をさせるものではなく、一つの安らげる場所に埋葬してこそだと思うのだが……この辺りは宗教観の違いだろうか。

 個人的には彼女と一緒に追悼をしたいのだが、ここは家族の意見が優先されるべきだろう。

「なら、彼女に声をかけてきますね。皆さんは待っていてください」

「聖女様。危険です!」

 話し合いをしようと試みた私に、護衛の一人が猛反対をした。一理あるが、彼らに任せたら物騒なやり方で追い払うだろうしな。

「あなた達がいるんだから、私に危険はないじゃないですか。お間抜けさんですね」

 ここは一つ、冗談めかしてみる。すると二人は、ぼんっと顔を赤くして目を背けた。

 なんだそれは……。いや、別にどうでもいいんだけどさ。

「隣、失礼しますね」

 護衛二人を引き連れて、私はソリアに花を添えている少女に声をかけた。彼女の瞳には憂いがあって、ソリアに心から、祈りを捧げているように見える。

「ありがとうございます。ソリアちゃんもきっと、天国で喜んでいますよ」

「ソリア様は、死んではいませんよ。ここをいつか訪ねると、そう仰っていたそうですから」

 一瞬、思考が止まった。ソリアがいつ、どの瞬間に、誰にそう言ったのか。

 それを言い残した相手が私ではなかったことに、少なくない衝撃を受けた。

「そうですか」

 できるだけ、笑顔を崩さないように努めた。

 変な嫉妬をするべきではない。寧ろ私は、ソリアが自分の死に意味を見出し、その先のことを誰かに託したことを歓迎しないといけない。それが彼女に「自由」を命じた私の責任だ。

 私の態度が癪に障ったのか、目の前の女は、若干の不快感を顕にしながら私の身なりを確認する。

「解放軍……の人間にしては小綺麗な格好ですが、あなたは───」

 つま先からてっぺんまで、品定めするかのように女は私を視る。それで、彼女がじっと私の顔を覗き込み、急に目を見開き、獣のように後ろに飛び退く。

「リアンシェーヌ・エヴァイン!?!?何故ここに……」

 尋常ではない驚き方だった。絶望と焦燥感の混じった表情だ。

「あれ、何処かで会ったことありましたっけ」

「わ、私を捕まえに来たんですね……くそっ!戦闘用の魔道具を持ってきていればこんなことにはっ!」

 私の疑問を放置して、女は一人で錯乱し始める。わだかまりの残らないやり方で帰ってもらおうと話しかけたのに、こう、彼女は一人で盛り上がっていた。

 革命軍の所属とか、適当なことを言わなければ捕まることもないだろうに、どうして墓穴を掘っているのだろう。契約書が燃えてしまった以上、直接奴隷紋を見られでもしない限り捕まることはないというのに。

「いや、捕まえたりしませんよ。もうカリアの脱走奴隷の捜索は打ち切られてますし」

「奴隷協会を焼き払った私を、執行官が逃がすはずがないでしょう……!くうう!こんな、道半ばで!!!」

 何を怯えてるのかと私が頭にはてなを浮かべていると、やっと答えが示された。奴隷協会を焼き払った、しかも私の顔を知っている人物となれば、思い当たるのは一人しかいない。

「あはは!誰かと思ったらあの時の。お久しぶりですね、元気そうで何よりです」

 私が笑うと、リコは正体見たりと憎悪の眼差しを向けてくる。取って食うつもりはないのだから、もう少し落ち着いて欲しい。

「ほら、ふたりとも剣を下げて。怖がっているでしょう」

 リコの視線は、よくよく見れば私の護衛たちに向けられていた。振り向けば、ふたりとも抜刀している。

 そりゃあ、勘違いもするだろう。

「ちょっといいですか」

 腰を抜かしているリコに手を伸ばし、彼女の服の襟を少し開く。

「わ、私に何を!!」

 暴れる彼女を筋力で押さえつけて、胸元を確認する。やはりそこには、黒い小さな紋章があった。

「この奴隷紋、取ろうと思えば今取ってあげられますけど、必要ですか?追手に怯えて過ごす生活というのは、大変でしょう」

 奴隷紋を取り外すのは犯罪だが、どうせ彼女の所有権を持つものはもう死んでいる。彼女の放火の罪は重いかもしれないが、しかし多くの奴隷を助けたのだから、怯えて過ごす生活から開放されてほしいと思った。

「……そういえばあなた、そういう人間でしたね」

 私の言葉を聞いて、リコの瞳から怯えが消える。代わりにそこに、怒りの感情が宿った。

「いりませんよそんな施し。これは私が、戦い抜いたという事の証明です」

 戦い抜いた、か。捕まるかもしれないという不安を抱えることになったとしても、それでも残したいというのなら、尊重するべきだろう。

「そうですか」

 私が離れると、リコは居心地が悪そうにこちらに視線をやり、仕方なく口を開く。

「で、どうしてここに?」

「ソリアちゃんにお見舞いをしに来たんですよ。実は私、彼女と顔見知りなんですよ」

 もしかしたら、この話をしたら打ち解けられるかもしれないと、私はちょっと自慢をした。するとリコは呆れた様子で目を細めた。

「知ってます。ソリア様がエヴァイン家に侵入し、奪い取った魔道具で私達を解放に導いたというのは、とても有名な話ですからね」

 ソリアの墓に視線を落とし、数秒沈黙する。そして私と、そして護衛に視線を移した後。

「ここに誰も眠ってはいませんが、唾でも吐きかけようってなら殺しますよ」

 覚悟を決めた様子で呟いた。

 私はすぐに手を横に広げて、動こうとした護衛たちを止めさせる。

「死者にそんなことはしませんって。私はただ、彼女と話をしにきただけです」

「だからソリア様は死んでいないと……」

「その姿勢は否定しませんが、別れを受け入れる準備だけは済ませておいたほうがいい。死者との対話は、生者同士のそれよりもずっと難しいですから」

 ソリアは死んだ。遺骨を見せびらかす意味はないので改めて伝えたりはしないが、待ち続けること、過去に執着し続けることは健全ではない。

 それは単に足を止めさせるだけの行為であり、先に行った者たちの輝きを失わせる。少なくともソリアは、リコがここで帰らぬ人を待ち続けることを望みはしないだろう。

「流石は聖女様。偉そうなことをいいますね」

「それが仕事ですから」

 得意げに胸を叩いてしまったのは、おそらく負けたくなかったからだ。心臓を託されたものとして、自分がソリアを誰よりも思っていたいと、そう願ってしまう。

「いけ好かないことを言ってくれます」

 リコが墓石へと視線を戻す。

 信じて待つ。それもきっと、一つの選択だ。口でこそ生きていると言っているが、彼女だってソリアがもうこの世にいない可能性を考えているだろう。

 だからこそ、誰も眠っていない墓に花を手向けるのだ。

「……実は、私の護衛としてこの街に執行官も来ているのです。命が惜しいなら、念の為この場から立ち去ることをおすすめしておきますよ」

 私は嘘をついた。家族が怖がっているから帰ってきくれと、最初はそう告げるつもりだったが……私が悪者になるべきであるような気がした。

「まあ、貴方がいうならそうなんでしょうね」

 腰を抑えながら、リコは立ち上がった。治療くらいするべきだろうかと悩んだが、きっと嫌がるだろうから、何もしなかった。

 これでいい。

 たとえソリアの死が覆りようのない事実だとしても、生存を祈る行為には意味がある。きっとそれは本質的に、死者の魂に祈ることと何も変わりはしない。

「すごいですね。あんな一瞬で丸め込んでしまうなんて」

 気づけば後ろに、レイラが立っていた。今来たのか、それとももっと前から話を聞いていたのか……反抗的だったリコが大人しく帰ったのは、もしかしたら彼女に気がついたからなのかもしれない。

「今のはあの子がわかりやすい性格だったってだけだと思うのですけどね」

 つい笑う。

 無責任な思考だが、彼女がこう、元気に過ごしていることが私は嬉しかった。彼女のせいで職を失ったり怪我をした人はいるし、罪は償ったほうがいいのだろうが……もう別に昔のことだしいいじゃんって、思ってしまうのだ。

「私もなにかした方がいいのでしょうか」

 一人でニコニコしていたら、レイラが思い詰めた様子で呟いた。去っていくリコの背を目で追いかけていた。

「姉のこと、肯定も否定もできないんです。死んだと聞かされた時も、そんなに悲しくなかった。全部が全部、遠くの話で……姉に言ってやりたい言葉もないんです」

 罪悪感からの自白……というには、声色に感情が乗っていなかった。きっと、レイラの自己分析は、まるで正しいのだろう。

 昔に失踪した姉が、暴動の主導者として死んだ……なんてことを急に聞かされて、他人事のように感じてしまうのは仕方がない。

「好きにすればいいと思いますよ。遺志を継ぐことも、死者を慰めることも、別れを済ませて次に進むことも……どれもが正義です。あなたが納得できるものを選べば良い」

 それは少し悲しいけれど、誰だって経験する、当たり前の成長だ。私は彼女の遺志を継ぐと決めたが、他人に強制するものではない。

「ただ、個人的な希望としては、ソリアちゃんのことを忘れないで欲しいなとは思います。非業の死を遂げた人が今を生きる誰かによって報われることもあると、信じているので」

 無意味な死というのは、あるのかもしれない。しかしそれは、その人の人生の価値を失わせるものではないのだ。死んでいったその人を覚えている誰かがいる限り、すべての命に、意味はある。 

「でも私、顔も思い出せないんです。最後に会ったのは8年以上も前で、記憶も曖昧で。きっと私は、姉のことを忘れてしまいます」

「忘れる度に思い出せば良いんです。記憶の中のソリアちゃんがちょっと事実と違ってたからって、誰も怒りはしませんよ」

 安心させるために、レイラの手を取った。彼女は驚きながらも、満更でもなさそうに微笑む。

 ソリアが亡くなってから、もう随分と時間が経った。私は毎日ソリアのことを思い出すけれど、思い出す度に少しずつ、本物のソリアから離れていくような感覚がある。

 忘れないで欲しいだなんて、彼女は思っていないかもしれない。

 瞼に移る彼女はいつも、私に厳しい。私に笑いかけてくれることはないし、立ち止まった時、投げられる言葉は励ましではなく叱責だ。

 私の中でソリアは、ずっと、じっと、私のことを見つめている。

 ソリアも、そうだったのだろうか。先に行ったったナタリーの影を、ずっと追い続けていたのだろうか。自分はもしかして、何も新しい答えを示せていないのではないだろうか。

 ───きっと、死者を思い続けるという行為は、病と何も変わらない。

 しかし、だからこそだ。

「たとえそれが虚像でも、信じる心があれば───それは本物に至るのですから」

 私は強く強く、レイラの手を握った。


























 ───第一章『本物に至る病』完。

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聖女になんてなりたくなかったのに 糸電話 @itodenwa

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