第31話 エピローグのそのまえに

 奴隷暴動から五年。聖女就任直後の揉め事も収まり、私自身のいろいろな問題にもひと区切りつけられたというのもあって、私は無理を言って休暇に出ていた。

 休暇と言っても仕事は付き纏うので、別に体を休められるわけではない。せっかく地方に行くなら派閥の人間を増やしてこいとルミナスに命じられてしまったので、ほとんどの時間は教会での交渉に使われるだろう。

 しかし、それでも私はこの地に来た。

 ソリアの故郷、サウスグロウに。

 ♢

 ランポス帝国と国境を面するこの土地は、都市部の人間には田舎だと捉えられてはいるが、その実交易都市として栄えている。メインストリートとなると町並みも圧巻で、広場には口から水を吹き出す少年型の銅像なんてものまであった。

 空気もよく、エヴァインとは異なる香りがする。暖かい気候ではあるのに、匂いに清涼感があるおかげで涼しさすら感じた。

 サウスグロウの教会には大教会から派遣された魔術師は一人しかおらず、運営の殆どは現地人が行っていた。医療や集会以外にも、塾や農園の営業なんかも行っているらしく、大教会の方針とはかなりずれていたのだが、それ故に柔軟で、ルミナスに売り込めと言われていた魔道具も取り扱ってくれることになった。

 聞けば、ここの教会はグラースが建てたらしい。げんなりする気分だったが、しかし、これもなにかの運命だろう。ここですべての過去と向き合えと、そう言われている気がした。

 中心部から真っすぐ伸びる石畳は、踏むのがもったいないくらいに綺麗だった。きっと誰かが、景観のために磨いているのだろう。帝国領から観光に来る人も珍しくないと聞くし、なにか一つきっかけでもあれば、国内旅行の場所としても人気になれるんじゃないかと思う。

 さて、そう歩かずにたどり着いてしまったが、なんと話を切り出すべきか。目前には二階建ての雑貨屋があるのだが、店内はやや暗く、正直ちょっと入りづらい。護衛を二人も引き連れているという状況も、店に迷惑をかけるのではないかと私を不安に指せる。

 お店が閉まってから訪ねたほうがいいかなと、私が臆病風に吹かれていると。

「お姉さん、うちのお店に興味ありませんか!」

 一人の少女が、私に声をかけてきた。茶髪でおさげの、可愛らしい女の子だった。

「あなたは……」

 面影がある。いや、ここの店から出てきたのだから、他人であるはずがない。

「あります!とっても興味あります!」

 私が叫ぶと、少女は少し驚いたが……満面の笑みで腕を引いてくれた。護衛の一人が、無礼だとか言いかけていたが、もう片方が引き止めてくれたので事なきを得る。

 もうこれだけで、来てよかったと、そう思えた。

 店の中にはかなりいろいろなものが取り揃っていた。日々の生活で必要な雑貨だけでなく、異国の陶器や芸術品、調味料なんかまで置かれている。あまり雰囲気に統一感はなかったが、それが私には新鮮で、面白さを感じた。

「なにか気になるものはございませんか?お土産なんかをお求めでしたら、あちらの方にコーナーがありますよ」

「では案内してください。今の私は羽振りが良いので、何でも買っちゃいますよ」

「いいですねぇお姉さん!財布の中身が空っぽになるくらいに、今日は色んなものを買わせてあげますよ」

 少女が目を輝かせて、私を奥へ奥へと案内する。子どもは元気が一番なんだなと、まだ大人でもないのに私は思った。

「そうだ。お名前を聞かせてもらってもいいですか?」

「エリセアって言います!」

 はつらつと答える彼女に、私も自然と笑みが漏れた。それに手応えを感じたのか、エリセアの商品説明にも徐々に気合が入り始める。

「なんだか、いいですね」

「おお、お姉さんもお目が高い!こちらはこの街の職人が作った工芸品でして、帝国領の方からもお土産として好評なんですよ」

 うん。頑張っている子を見るのは、気持ちがいい。

 私は彼女が特に熱を込めて紹介してくれた食器とブローチ、それからルミナスへの土産として化粧品をいくつか購入した。聖女になってからは自由に使えるお金も増えたので、これくらいの出費はまるで痛くない。

「毎度ありがとうございました!またお越しください!」

 会計を済ませると、エリセアが元気よく挨拶をしてくれる。良いお店だ。もし自分が観光客であったのなら、ここで気分良く手を振って退店したことだろう。

 しかし、私の用事はここからだ。

「まだ帰りませんよ。実は私、ここのお店にお話があって来たんですけど、店主さん……いえ、ご家族は何処に?」

 私が尋ねると、先程まで太陽のように輝いていた少女の表情は、いきなり曇りがかった。

「父はその、今は病気で寝込んでいて、だから私が店番をやっているんです。商談でしたら、母が夜には帰ってくると思うので、それまで待っていただけないでしょうか」

 深刻な声色と面持ちからして、ただの流行り風邪ではなさそうだ。そもそも14歳程度の子に店番をさせているという状況は、あまり安全ではない。親切心から私は一つ、提案をしてみることにした。

「構いませんよ。あの、お父様の病気がもしも重いようでしたら───」

「話なら、私が聞きましょう。書類上の店の管理者は私、ですしね」

 口を開いた瞬間、店の奥からすらっと背の伸びた女性が現れる。一つに髪をまとめた姿はまるでソリアがそのまま育ったかのようで、私は息を呑む。

 案内されるままに奥の部屋にたどり着いた私は、ぐらぐらと揺れる木の椅子に座らされた。事務用の部屋であるようで、机には会計やら税金周りの書類が散乱している。

 そろそろ徴税の時期なので、それに備えているようだが……この年齢で書類仕事を任されているというのは驚きである。

「レイラ・ゾラです。若輩者ですがこの店の経営を父より任されています。……ご貴族様であるとお見受けしますが、このダリウス商店にどのようなご要件があってきたのでしょうか?」

 レイラがお辞儀をするが、その所作にはどこか気だるさがあった。どうも、歓迎されていないのがわかる。

「お店そのものに用があるわけではないんです。あなた達家族に、渡すべきものがあって、ここまで来ました」

 仕事中に訪ねたのだから仕方ないと割り切り、私は護衛に預けていた鞄の中から一つのものを取り出した。

「渡すべきもの……?」

 机の上に置いたのは、骨箱である。レイラはキョトンとした顔でそれを受け取り、中を覗き、何かに気がついた様子で元に戻して、背筋を正した。

「私はリアンシェーヌ・エヴァインと言います。もうご存知だとは思いますが、あなたのお姉さんは五年前、カリア領での暴動に参加し、命を落としました」

 私が名乗ると、レイラは身を硬直させた。

 おかしい。ゾラ家にはソリアの死後、執行官による調査が入ったと聞いているのだが、彼女は話を聞いていないのだろうか。だとしたら少し、無遠慮な言い方だったかもしれない。

「……聖女様。その度は愚姉が大変なご迷惑を」

 深く深く下げられたレイラの頭は、まるで元の位置に戻って来る気配がなかった。聖女が直々にこの家を訪ねてきたという状況に、かなり恐縮しているようだった。

 妹に、ソリアを愚姉と、そう呼ばせてしまったことを悔いる。

「謝らないでください。私はただ、これを、お譲りするために来ただけなのですから」

 数秒待って、やっと頭の高さが私と揃う。

 表情から焦燥感が窺えた。

「カリアやエヴァインよりも、この土地で眠らせてあげたいと思うのです。ここは彼女の生まれ故郷ですし、何より家族がいます」

 どうにか緊張した空気を解こうと、私は早々に本題に入った。しかしやはり、胡乱な視線が向かってきている気がする。

 不安だ。

 もしかしたら私は、とんでもないお節介だと思われているのだろうか。

 長い沈黙の末、レイラは私に探りをいれるかのように、一言。

「姉とは、どのような関係だったのですか?」

 とだけ呟いた。

「難しいことを言いますね。友人だと、少なくとも私はそう思っているんですが……片思いかもしれません」

 彼女の姿、声、温度。その全ては目を瞑るだけで思い出せる。しかしそれは私が彼女に想いを寄せているだけであり、ソリア自身がどうであったかとは、まるで関係のない話だ。

 彼女の最期に、私は立ち会うことが出来なかった。残されたのは私に移植された心臓だけで、私の言葉を彼女がどう思ったのかも、わからずじまいだった。

 瞼の裏に映る景色は、美しいことばかりではない。寧ろ、目を背けたくなるようなものばかりである。

「ただ、多くの言葉を交わしました。ソリアちゃんがいなかったら、私はきっと、聖女になんてなれなかったでしょうね」

 正義という、一つの理想があった。それを自分の拠り所として生きていた。しかし、ソリアとの出会いがなければ、きっと今でもその生き方に拘り、何処かで首を吊って死んでいたんじゃないかと思う。

 母を殺してしまった事実に耐えられず、あの部屋から出ることもなく……動機はともかく、あの夜に窓を開けてくれたことを、とても感謝している。

「姉のこと、聞かせてはくれませんか」

 会話中だというのに、物思いに更けてしまったせいだろう。レイラは穏やかな表情で、私に尋ねた。

 もちろん、断る理由はない。しかし一体、何処からどう話すべきなのか。ありのままを話すのも、どうも違う気がする。ここはソリアの故郷で、そして彼女の復讐とはまるで関係のない場所なのだから。

 ───私は、嘘をついた。

 ソリアは枢機卿に殺されそうになっていた友人を助けるために奴隷の脱走を手伝い、その最中に死んだと、そういうことにした。反政府勢力の中で言われている、ソリアの英雄譚と殆ど変わらない話を、事実とした。

 実際に彼女と関わりのある私の言葉だからだろう。レイラは疑うこともなく信じ込み、微笑む。

「ありがとうございます。姉が実際に何を思って何をしたのかは、この街にいるだけではよくわからなかったので……胸の凝りが取れました」

 強い人だ。目に迷いがない。

 たしか自分と同い年だったはずだが、私が彼女の立場だったなら、こんな風に冷静ではいられないだろう。

「姉は聖女様のこと、友人だと感じていたと思いますよ。聖女様がここにいることが、何よりの証拠です」

 私の表情に感じたものがあるらしく、レイラは励ましの言葉を口にする。

 本当に立派だ。いまので、救われた気持ちになってしまった。

「そうだと、嬉しいんですけどね」

 たしかに私は、あの暴動の時に死を免れた。ソリアがいなければ……いや、ソリアは自分の命よりも大切なものを、私に託してくれた。聖女になんてなりたいわけではなかったが、しかし彼女のお陰で今がある。

「そうだ。お父様がお病気だと聞きました。これもなにかの縁ですし、治療をさせてはくれませんか」

 あまり陰気な顔のままではいけないと、私はレイラに一つの提案をする。本意はともかく、私は聖女としてこの場所に来てしまった。それならば……いや、そうでないとしても、困っている人がいるのなら助けるというのが私の使命だろう。

「よろしいのですか?」

 喜び半分、困惑半分といった様子だった。断ろうとしないのは、彼女が父親の回復を願っている証拠だろう。

 子どもには親が必要だ。精一杯店番をやっているエリセアを見て、改めてそう思った。レイラは子どもと呼ぶには大きいが、しかしそれでも、彼女の仕事ぶりを褒めてあげる人は多いほうが良い。

「ソリアさんについて、お父様からもお話を聞きたいというだけです。そもそも何もせずに帰ったら、ソリアちゃんに怒られちゃうじゃないですか」

 もしこのまま病状が回復しないとなれば、死後彼女と出会う機会があったとしても、仲直りなんてできないだろう。

「姉も、いい友人を持ちましたね。少し羨ましいです」

 屈託のない笑顔。胡乱な視線が、漸くほどけてくれたように感じた。

「それはよかった」

 本当に、よかった。

 ───古びた階段に足をかけると、ぎぎいと、音が鳴った。

 奥には寝室があって、ベッドの数からして、家族全員そこで眠っているようだった。

「お父さん、起きて。教会の人が病気を診てくれるって」

 レイラが優しい口調で、眠っている男を揺する。少しヒゲが生えていて、肌はカサついていた。

「……ぁあ」

 うめき声だけを上げて、男がほんの僅かに目を開く。

「前に教会の魔術師に治療を依頼した時は、この症状は治せないと言われました。なんでも、脳に関わる部分の病気らしくて」

「原因は分かりますか?」

「頭を強く打たれたんです。反政府派閥と言い争いになったことがあって、その時に」

 外傷性の脳損傷だろうか。魂と密接に関わる頭部の損傷は、治癒魔術による修復が極めて困難だ。

「……なるほど。確かに一筋縄ではいきませんが、安心してください。私なら、間違いなく治せます」

 昔の私なら、蛮勇で治療を試み、取り返しのつかない処置を施してしまったことだろう。しかしこの五年で、私の魔術の腕前もかなりのものとなった。今なら自身を持って、できると言い張れる。

『検診術式展開』

 膨大な情報が、記憶が流れ込んでくる。たとえ身体が忘れても、彼の魂の中にはその人生の足跡が、確かに残されている。

『修復術式開始』

 いかに人生と記憶のデータを収集したとはいえ、リアンシェーヌも脳の機能を完全に理解しているわけではない。記憶さえ復元できればいいという話ではないのだ。少しでも治療を誤れば、性格が変わってしまうということだって考えられる。

 しかし、魔術とは人が進化を求めた、その願いの集積である。物質的な論理性にこだわらなくとも、そうなって欲しいという願いがあればいい。馬鹿みたいな理屈だが……その願いが重要だと、リアンシェーヌは思っている。

「お父様の手を握って、呼びかけてあげてください」

 もうひと押しだと、リアンシェーヌはレイラに助けを求めた。きっと六賢連中はこの行為を無駄だと笑うだろうが、しかし、きっと意味がある。

 愛する人の呼び声を聞いて、無視したままでいられる人なんて存在していないんだから。

「お父さん!!」

 レイラが叫ぶ。静寂が破られる。

 流し込んだ魔力の波が、徐々に定着し静まっていく。男の全身に赤い血がめぐり、枯れ木のような肌色が生き返る。衰えた筋肉は十年分ほど若返り、細めるまでしか上がらない瞼も、大きく見開かれた。

「レイラ……?」

 男が、娘を見た。

 何が起きているのか、わからないといった表情だった。しかしそんな様子が、かえって響いたらしい。レイラはついに、ポロポロと大粒の涙を流した。

「うん。そうだよ、お父さん!!」

 感動の再開を果たした二人にかけるべき言葉はなく。

 私はレイラが泣き止むまで、ずっとその場で二人のことを眺めていた。

 羨ましいなと、思いながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る