第30話 答え
───ソリアちゃんは、死にたかったんですか?
違うと即答できなかったのは、きっと私が、納得してしまったからなのだろう。
単に、苦しみから逃れたくて死にたかったわけではない。逆に、無駄死にするというのが、私にはたまらなく恐ろしかった。
ナタリーもあの農夫も、無意味に死んだように見えた。奴隷になってから見かける死は、どれもこれも無意味に感じた。
誰かのための死は尊いだろうか。自分のために死んだ農夫がいたが、その死は無様で無意味だった。ナタリーは弟のために死んだが、結局それは誰の救いにもならなかった。
どうも、納得できなかった。しかしそれが世界の真理だった。
だからこの理不尽が壊される日まで、その生命が報われることはないと思っていたが。
「まあ、別に。私が肯定してあげればいいだけの話ですよね」
踊り場に戻る。血まみれの少女が横たわっている。
この世界の理不尽を否定してやるはずが、生み出したのはこれだ。誰かのために生きたものが損をする、そんな世界を加速させただけだ。
リアンシェーヌのことは、復讐の道具としかみていなかったが……よく見れば中々かわいい顔をしていた。綺麗だなと、思う。
『鮮血術式:疑似展開』
自らの胸元の形状を変化させ、中の臓器を外へと摘出する。私の中で眠っていたナタリーの心臓が、少しずつ離れていく。
術式は血に宿る。彼女の心臓が離れても、この体の中に循環していた血液がある限り、まだ魔術は使用できる。
『移植術式:開始』
リアンシェーヌの心臓はまだ動いている。これを摘出してそのままナタリーの心臓と入れ替えるのは、少しもったいないだろう。お人好しの彼女から、人を治す魔術を奪ってしまうのは可哀想だ。
「ナタリー。答えは見せてあげられません。あなたが正しかったんだから、仕方がない」
リアンシェーヌの心臓にナタリーの心臓を連結させる。普通の人間なら耐えられないが、ナタリーの心臓は行儀の良い優しい子だ。リアンシェーヌを殺さないように、上手く振る舞ってくれるだろう。
ソリアの攻撃によって、リアンシェーヌの胸元も大きく損傷している。少し肉をかき分けてやれば、内側の臓器が見えた。
「誰かに先を託して死ぬっていうのは……案外、気分がいいものですね」
リアンシェーヌは自由に生きろと、自分に言った。であればここで先を託すのも、自由のうちの一つだろう。生きるというのは、なにも生命活動だけを指すわけではない。
傷口が、少しずつ埋まっていく。彼女の小さな胸の中に耳を押し付ければ、ドクンドクンと鼓動が聞こえる。
きっともう、大丈夫だろう。
リアンシェーヌを背負って、カリア邸を出た。焦げ臭くて何も無い、開けた世界だった。
静かだ。もう、終わってしまったのだと、嫌でも実感させられる。
中庭の中心にたどり着いた頃、遠くからやってくる人だかりがあった。執行官ではない。服装からして、多分奴隷だろう。
念の為、その場でリアンシェーヌを横にさせる。心臓を失ったとはいえ非魔術師には負けない自身があるが、臨戦態勢は取っておいたほうがいい。
「皆さんどうしたんですか。逃げるなら王都よりも……」
「逃げるなんて卑怯なことを私はしません!私はあなたと一緒に、反逆の道を生きたいのです!」
血気盛んな一人の少女が中から飛び出してきた。さっきナイフを預けてやった、昔の同僚だった。名前は……何だったか。
「ふふ」
さっきまで状況に怯えていたくせに、いきなりこう元気なやつだ。娼館にいる頃に話す機会があったなら、案外仲良く出来たのかもしれない。
「残念ですが、アルマはもう殺してしまいました。もうここに、倒すべき敵は存在しません」
溢れた笑みを取り繕いながら、少女に言い聞かせる。街はもう私が破壊してしまったし、これ以上暴れても大した成果にはならないだろうから。
「生き方は、あなた自身が決めることではありますが……復讐を望むなら、何処かに一度逃げたほうがいい」
「殺すべき人間はまだまだたくさんいます」
真っ直ぐな瞳だった。
ここで彼女と再開したことが、何かの運命であるかのように思えた。
「あなたの名前、何でしたっけ」
「リニアです」
少女を見下ろす。自分の行いで彼女の寿命が縮まるというのは、あまりいい気分ではない。
「では、リニアさんに同胞の命を任せましょう。このまま東へ、エヴァイン領へ向かいなさい」
「な、何を仰るのですか!」
「奴隷協会が燃えているところを見ました。契約書がないのであれば、逃げ切ることもできるはずです。死ぬことはない」
リニアは裏切られたかのように、私を見上げている。
彼女がこの街と心中することを望むなら、止めることは出来ない。自分がやってしまったことを、人にするなと命じるのは情けないことだ。
「わかりました……」
リニアがした唇を噛みながら、その場で俯く。
「ソリアさんは、どうするのですか」
「私はここに残ります。執行官は私にしか倒せませんしね」
私が言い返すと、リニアはハッとした表情で顔を上げた。
「御武運を」
そう言って、リニアは頭を下げた。彼女に追従する奴隷たちも、遅れて私に頭を下げる。
そうして、今から去ろうという時になって、思い出す。
「ああ、待って」
手を伸ばして引き止めると、リニアが振り向いてくれた。
「サウスグロウという街が南にあるのですが……いつか、見に行ってはくれませんか。故郷なんです」
殆ど他人ではあるが、彼女に頼みたいと、そう思った。きっと自分と似ていたからだろう。
「それはご自身で、行くべきでしょう」
少し冷たく返される。優しさから来る言葉なのだが、しかし、彼女も私がこれからどうなるのか理解しているだろうに、酷いやつだ。
少しずつ、彼女らの背中が離れていく。
まあ、全てが全て、上手くいくはずもないか。
ゆっくりと、雲が流れている。時間がないから早くしてくれと、そう思いながら待っていると、甲冑を着た男が遠くからやってきた。
白い鎧だ。執行官だろうか。
「アルカイド・ラグレイス」
無骨に、男が名乗る。何処かで聞いた事の名前だった。記憶違いでなければ、六賢のひとりであるはずだ。
「人質が見えませんか?これはエヴァイン家の娘でして……見逃してくれるなら何処かにおいていってやっても───」
私の言葉にもお構いなしに、アルカイドが剣を構える。ソリアは顔をしかめながらも、しかたなく鮮血魔術の展開を試み……気づく。自分の両腕がない。
「名乗られたら、名乗り返すのが礼儀だろ?」
リアンシェーヌはいつの間にか、アルカイドの真横に転がっていた。幸いにも、外傷は何処にもない。
残った血液をすべて修復に回せば腕はもとに戻せるが、攻撃が見えなかった以上、そんなことをする意味はないだろう。
(いや……)
両腕に魔力を注入し、その手のひらを刃物のように変質させる。アルカイドは追撃をすることもなく、私を眺めている。
「そうですね、失礼。私はソリア・ゾラ。これもこの街を思ってのこと、どうか剣を収めてはいただけませんか」
グラースの言動を思い出しながら、腕を大きく広げて私は狂人を演出してみた。
動機も不明のまま死んでしまったら、この惨劇の責任がすべてエヴァイン家に行ってしまうかもしれない。元々それを望んで起こした暴動だが……心臓を託してやったのに破滅されては困る。
「これは、理不尽な破壊ではありません。長きに踏み潰されてきた、奴隷たちの怒りがようやく世界に届いたという、その結果です」
周りには何人か、逃げていない人たちがいた。この状況において付近に残っているのは、火事場泥棒くらいしかいないのだが……まあ、自分が助けてやった奴隷も、もしかしたら聞いているかもしれない。あんまり真に受けないでほしいものだ。
「話はそれだけか?ったく、強いやつがいるって聞いて来たのに、とんだ期待外れだぜ」
不快そうに、アルカイドは後頭部を掻きむしろうとした。しかし、兜をかぶっているせいで触れられず、「邪魔だなこれ……」と勝手に苛ついている。中々愉快な男だが、対話はこれ以上必要ない。
「命を使うのであれば、奪われる側になることも道理。この惨劇は、あなた達の暴虐が終わるまで繰り返されるでしょう。だからこそ私は、すべての命は平等で意味があると───」
───宣言する。そう言うはずが、声が出ない。いや、どうも、地面が近かった。世界がぐるぐるぐるぐると回って、まあ。こんなものだろうと、落下を待つ。
走馬灯は見えなかった。ついさっきに自分の過去を見せつけられたせいだろう。
だから見える景色は、今現在の現実のみ。いや、これも最早、過去の景色か。
───リアンシェーヌの、問が聞こえる。
『ソリアちゃんは、死にたかったんですか?』
別に、死にたかったわけではない。死んで果たされることもあるのだと、思いたかっただけだ。
きっと私達は……必死に生きたんだって、誰かに示したかったんだろう。
本当の願いなんて自分でもわからないものだが、答えがわからないままだなんて恥ずかしいし、ナタリーも浮かばれない。
———だから私は、それを自分の答えにしてみることにした。
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