第3話 在るべき場所へ帰る、花は散る。


 あれから、家では冷えた唐揚げを食う羽目になった。

 母さんは温めようか?と俺を心配して声をかけてくれたけど、あまりの剣幕に押されて気不味そうにしたので、俺からも断った訳だが‥‥今は正直後悔してる。


「‥‥‥最近イヤなことばっかりねぇ。」

「え、あぁ‥‥ゴメン。」


「違うわよ春翔。アレよ、アレ。」

そう母が指で示した先には、必死に大火の消化活動に取り組む消防員の姿がまじまじと映ったテレビ中継が流れていた。



「本日のダーマ情報です。今日昼頃、神宿3丁目、『対異能犯罪取締課』付近でダーマ、種類は鳥型の『ラウーム』が3匹確認されました。」

「ただ、現れてから直ぐに対異能犯罪取締課所属の香取慎吾かとりしんごが全て討伐し、死者は12名、重軽傷は64人の小規模で済ませる事が出来ました。『淡き輪壊の空団』によれば、今日はもうダーマは出没しないと公式に見解を述べています。なお、現在の神宿しんじゅく全エリアとも危険レベルは1です。」



「次のニュースです。昨日未明、大型の人型ダーマ、『ゴリアテ』によって中東の過激派勢力アズマーイダンのアジトが崩壊、逃亡したメンバーは全員射殺———————テ、テ、テ〜レビを見〜ると〜きはぁ〜、カーテン閉めてダーマの用心♪」




 急なバラエティへのチャンネル切り替えに少し戸惑い、母の方へ振り返る。

 ——母さんは、普段俺たち子供には一切向けない、不機嫌に固められた顔をしていた。


 

「まったく‥‥画面の向こう側くらいはむしゃくしゃしたく無いわね‥‥‥‥ん?春翔?早くご飯食べ無いの?」


「あ、うん!」


 ラストスパートをかけるように、凄まじい速度で唐揚げの山をたいらにしていく。


 どれだけ唐揚げを腹に収めても、冷たい春風に晒された体は冷えたまま温まらない。

 膨れても満たされない腹を抑え、食後のご馳走様を終え、今日を終える為の準備歯磨きをこなして床へ就き、早くも意識は深い闇へと微睡んでゆく——



  ◇



「春翔ぉー、起きなさーい! もうご飯が出来上がるころよ〜〜!」



 やけに上機嫌で抑揚の取れたその声で、佐倉春翔の意識は徐々に覚醒へと向かう。


‥‥そう言えば、今回、見なかったなぁ。


「う、うぅ‥‥う〜ん‥‥」


 春翔はかけ忘れた目覚まし時計のライトを付け、起き歩ける程に起きた身体で下へと行き、またいつもの様に椅子について弾むように料理に勤しむ母をぽけーっと眺める。


「昨日はあんなにパトカーのサイレンが激しかったのに、よく眠れたわね。桜にしごかれたお陰かしら?」

「ん、ン‥‥‥たぶん、違うよ‥‥」


「あら、まあいいわ。はいコレ、昨日はちょっとアレだったし‥‥今日は少し奮発しちゃった。」



 眠気を紛らわす為に目を擦る俺の前に出されたトーストを凝視すれば、こんがり焼かれたチーズの上に太めで嚙みごたえが良さそうなウィンナーが四本、その上にはふんだんに盛られた真っ赤なケチャップがその香りで食欲をそそり‥‥チーズを少しめくればパンに染み込んだバターが——






「なーに眺めてるのよ、春翔? 早く食べないとまーた遅刻しちゃうわよ?」


 母の言葉にハッとし、少し眺めた後にトーストを軽く両手に持って食べ始める。



 バターのしっとりさとチーズのベタベタさが、疲れた体を叩く様な濃い味を演出し、ウィンナーを噛めば熱く溢れる肉汁と食感が脳を完全に覚醒させる。


 そこに合わさるご褒美の様な甘うまケチャップが目覚めさせられた心身を労わる。




「うんまぁ‥‥母さん、毎日これにしてよぉ‥‥」

「ふふ、どうせいつか飽きるわよ?まぁ、一週間くらい食べてみれば?」


 少しの喜色を感じさせる母の声、一週間の小さな幸福の告知に、心の中で大きくガッツポーズをし、残りの分をサクサクと噛み砕き、あっという間に喉の奥へとトーストは消えていった。






 朝食を終え、またいつもの手順で着替え、朝の支度を済ませる。

 試験を受ける必要の無い桜は、扉を隔てた先、向かい側にある自室まで聞こえる程のいびきをゴゥゴゥとかき寝てやがる。



 良いよなぁ、こんな気楽で‥‥と、少しの羨望を感じながら、自分の支度に再度せっせと取り組みにかかる——




  ◇



 行ってきますの挨拶をし、時計を確認。時刻は七時五十五分、今日はかなり時間に余裕を残し、学校へと歩を進める。



 桜が散り、斑点の様に地面を薄桃色うすももいろに染めた坂道を暫く登れば、向かいにはシルバーカーを押しながら、坂を恐る恐る下る男性のお年寄りが見えた——





  ◇



「やばやばっやべぇ!!これじゃあ早く出た意味無いじゃんか!」


 完全にしくじった。お礼のジュースは好意を無為にさせない為‥‥と思って受け取ったが、その手前、話しかけられた世間話を断る訳にはいかず、結局焦りでテンパって碌な話も出来ずじまい‥‥



‥‥‥だけど、やっぱお天道てんと様はいつも見ていて微笑んで下さる。

 そう。急ぐ俺の背中に追い風を送って下さった。


 桜吹雪は荒れ狂って視界を遮るも、それでも追い風の分、ペースは良好。

‥‥思ったより呆気なく遅刻ムードは消え失せ、安堵と希望がより軽快に俺を走らせ——




「殺さんか〜、ダーマ混じりの『堕人だじんども』〜、組織は対処せ、『孕み鹿』ぁ〜〜!」

「「「ダーマに穢された奴は人では無い!!ダーマに穢された奴は人では無い!!」」」


 突然、拡声器によって低く響く風流な感じを漂わせるスピーチに続き、数多の男女の声が割れんばかりに木霊した。

 

 ——『堕人だじん』。

ヒトの胎芽胎児がウィルス状のダーマに感染し、その後細胞分裂によりウィルスが増殖、程度こそ異なるがダーマの性質を持つようになった人間。

 普通の人間との相違点としては、多少の身体能力の増強、皮膚が黒ずみ、血管が赤く浮き出る等、大した相違は無い。


 かと言って、生物学的には人間と言えず。人を襲うダーマが溢れる現代ではその恐怖に駆られ、差別の対象として、人種問わず攻撃を受けている。



「いっつも差別かぁ‥‥良くできるな」

 そう茫然として、向こうから坂を低速で登る街宣車がいせんしゃを眺めていた。


——別に俺は差別に反対する訳でも無いし、賛成しようとも今、思っていない。‥‥そう、それが恥ずかしいのだ。

大きな問題に対して一歩すら踏み出せない自分は‥‥過激な行動をとる差別主義者よりある意味『悪い奴』だと思う———



「そこの君〜、止まらず一歩、共にしよ〜。悪鬼あっき倒すにゃ、『雪解け水』〜。」

「へ、?」


 思考で虚に霞んだ視界に、突然車体後部が大きなガラスで覆われた、大勢の先頭を行く街宣車が現れ‥‥その屋根には、先の風流な男——未里恭介みさときょうすけが、目尻を緩ませ、日傘を差しながら俺に手を伸ばしていた。

 刈り上げた髪と青髭の一つもない口や顎、女子と見間違う程の白く、柔さを思わせる肌に‥‥知識人の雰囲気を籠らせた丸メガネと春風に揺れる青い着物。


 ——そう、彼は知識人なのだ。桜や母さんには黙っているが、俺の最近愛読している本は彼の『遠宮創旬亡き世界の展望』であり、実際に共鳴とは言えないが、彼の意見は‥‥意外と俺の考えの拠り所中庸が嫌いとなっているかも知らない。


「ややっ‥‥‥‥おや君は、佐倉春翔、ゆう〜‥‥先ずは学校、『遅日』となるな〜。」

 その言葉に、ハッと思い出したかのように慌ててスマホの電源を付ける。

——時刻は8時28分残り2分。終わった‥‥‥


「ありがとうございます!でもすみません!」

 彼の好意に、碌な返答も出来ず、弾かれた様に学校へ走り始める。

その耳に‥‥クスリとした未里恭介さんの微かな笑い声が聞こえた、様な気がした——




‥‥未里恭介さんって、誰かと話す時も毎回短歌作ってるのか?



 

   ◇



 ゼーゼー息を切らせて校門の前へと着いた俺を待ってたのは‥‥木刀の先を地面にカツカツと突き、その跳ねた髪は逆立つ様、怒髪天を思わせてる俺らの教師、名瀬先生……


「遅刻、本当に申し訳御座いませんっ!」

「おぞぉいっ!!!」

「はい!すみません!!」


怒りに併せ、木刀を地面につき甲高い音を響かせる名瀬先生の前で‥‥額から冷や汗が浮かぶ。


「‥‥‥来い。」

 静かな怒りを感じる先生の背中に着いて行き、誰もいない廊下を静かに歩いて職員室まで向かう事に。

 最悪だっ。


  

    ◇



「ふぁ〜あぁ‥‥‥おはよー、お母さん。」



 昼頃。休みを得て怠けていた桜が目覚め、眠そうな瞼を擦り、虚な視界で階段を降りリビングへと。


 

「あら、随分と遅いお目覚めね。」

「う〜ん、あのバカ兄貴が手間かけさせるからよ‥‥ふぁ〜、あ〜〜腹減ったぁ‥‥」


 体を逸らし、腕も張らせて大きな吐息を口から漏らす桜。

 


「まぁまぁ、今日は春翔の終業祝いの寿司だけど‥‥はい、先にこれ食べてても良いわよ?」


 そう言って桃陽がテーブルの上、自分の席から一人前の寿司容器を取り上げて、眠気にあえぐ桜の手にそれを置く。

 

「え‥‥ホント!?やったぁ!お母さんありがと!」

 その途端、ボヤけていた桜の意識は完全に覚醒して、寿司パックを大事に抱えてダイニングチェアにダイブ。

 その顔には満悦まんえつの笑顔がしっかり張り付き、片手で踊り心地に醤油をダバダバとネタに掛け、もう片手で掛けた側から寿司を頬張る。


「トロがとろっとろでうんまぁ〜い!あとこれ9個もあんのぉ!?」

「寿司なんていつぶりだったかねぇ‥‥何かここ最近はご馳走って言ったらいつもステーキだったし‥‥」





 瞬間。

 玄関でコソっと物音が微かに聞こえたと思えば、すぐさまドアチャイムが鳴り、インターホン通話が起動。

 桃陽は先程までの話を一旦切り上げ、ドアの向こうにいる、帽子を深く被った少年らしき人物に応える。



「もしもーし?どなたですか?」

「あ、どーもすみません!ちょっと『淡き輪壊の空団』の者なんですけど、慈善の一環でティッシュ箱配ってて、あの〜、これ郵便受けに入らなかったので、ここで受け取って貰えますか?」


「はい、今すぐ行きまーす。」


 そう軽く答え、今にでも玄関へと向かおうとする桃陽に対し、


「お母さん、こんなご時世、どんなヤバい奴が居るか分かんないしさぁ‥‥ハイハイとついてくのは良くないんじゃあ?」

「大丈夫だいじょーぶ!空団はあのダーマを駆除してくれてるんだから無下には出来ないわよ!」

「そーゆう訳じゃあ無いんだけどなぁ‥‥」


 呆れと心配の表情を浮かべ、しょうがないお母さんだなぁ、と母のすぐ後ろについて行く桜。

 そして、が開かれる——


  ◇


 みっちり名瀬先生に絞られて‥‥その後、終業式の話など、全く脳から耳穴へ抜けていた。


「よお、ハル。まーたお手伝いでもしてたのか?妹は今日止めてくれなかったか?」

「どっちでも無い、よぉ‥‥‥」

 

 疲労が溜まり、机の上でくたばる俺の前に石咲が来る。だが、その石咲も机に寄りかかる程疲れている様子だった。


「なぁ、部活休んでもう一度『ベイル』行こうよ。」

「ま、サボってもいいが‥‥未里は絶対こねぇぞ?て言うか

 

—————は?





「は?」


 俯いた目を上げ、目の前にいる声の主を見つめる。

 それは、昨日、屋上にて陽を背にして佇んでいたあの少女。——あの時は気が付かなかったが———まるで鏡に映る寝起きの俺を見ている様な、家族以上の繋がりを感じた。


 だが———何を言っているのか、何を伝えたいのか全く理解出来ない。




「だから、って言ってんの!——そう、何か君見てたらね‥‥ビビっ!と来るのよ?そう、まるで‥‥私?の写真が喋ってるような?」



 この人も‥‥俺と同じように思っているのか。———だが。


 

「あなたの事は名前すら知らないし、意味も分からないので‥‥帰って下さい。」


 そのまま、当ては有るが彷徨う様に、トボトボとまた目線を落として歩く。






「あの、もしもし‥‥『Z』なの?さっき佐倉春翔‥くんは、私に構わずどっかに去って行ったよ?」


「そうか、なら貴様も何処へでも去るが良い。貴様の役目は、今終えた。」


 

 そのまま彼女は何も口で示さず、ただ待たされた携帯の電源を切り、当てもなく、街を楽しむように前を向き歩いて行った。



「意味分からないか‥‥私も分かんないや。」

———小さな憂いを振り切るように。




意を決して、深呼吸してドアを開け、ただいまを—————————







 言う言葉を、失った。



 空いた口は硬直。

 足は震え、その惨状へと進む事も、逃げる事も許さない。


 

 その目で、『現実』を見据える。


 

 ——開かれたドア。俺の直線に有ったのは‥‥赤黒混じった血で染まり力なく壁にかかり座り込む、袈裟に斬られた‥‥母の姿。



「母さん!!!!」


 役に立たない足の代用として、その腕で血みどろの海を掻き分け、あかに染めた体で母に触れる。



 ————温度は無かった。

 ————感情が無かった。

 ————重みも無かった。

 ————息すら無かった。

 ————命が‥無かった‥‥‥‥。


 

 理解不可の現状に回る思考を押さえ付け、動転する視界で辺りを見回る。

 ‥‥‥‥そこは、地獄に地獄を上塗りした、唯の地獄だった。


 

 赤一色に染められたマット、乱雑に倒された赤い椅子やテーブル、赤い醤油に赤のカバーで遮られた寿司パック‥‥‥赤が隠す、プラカード。



‥‥‥‥そして、俺は暗闇に放り出される。






「さ‥‥‥くら‥‥」


 嘘だ。

今まで冗談を平気で言っていたのに、嘘だ。

今まで一緒に笑っていたのに、嘘だ。

















 外を駆けていた。

 何で?

 惨状に目を背けた?

 自分が逃げる為?


———そう思えば、自分が愚かすぎて、歩く気力すら失う。



 震える脳で、ミタモノ全てを整理。


 ———赤と死体。紅と屍体。緋い肢体。赫い姿体———




 『二人』死んだ。それ以外など考える脳ミソは‥‥爛れて落ちていた。



母さん——桜——俺———何で———俺は———ダメだ———ダメだ——————帰ってお願い何でこんな来てよ嫌だよいつも笑ってよ何でだよそんな馬鹿にしてよ急に行かないでよ———そんなの———




 




「はははっ‥‥何で俺だけ‥‥何で‥‥‥何で‥‥‥何で俺が!!!何で奪われなきゃならないんだ!!返せ!!返せよぉ!!!!」



世界の道標を失った少年は、まだ赤く輝く陽に向かい‥‥前を向き彷徨う。

















 突如自身の身に起きた惨劇に、ただ慟哭する事しか出来ない佐倉春翔。

 その裏で——橙根橙華は、『裏』を知る。


 橙根は走る。 最悪を防ぐ為に。

そして、『希望』の一歩を、3人で踏み出す。



 次回、遠宮晴人編 第3.5話

 『Did you see the sunrise?』

























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涙の枯れ尽き、彼の月。 〜 黒陽の鍵、『キーボソード』〜 くろばった @makiriri

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