小さなささくれの積み重ね

紗久間 馨

別れ話

「もう限界です。ここを出ていきます」

 ある日、ももは同棲中の彼氏であるりょうにそう告げた。

「は? 急にどうしたの? 意味が分からん」

 椋は突然の事態に戸惑いを隠せない。

「急ではありません」

「敬語なんか使ってさあ。そういう冗談よくないよ」

「はあ」と桃は深くため息をつく。




 同棲の話が出たのは、二人が交際を始めてから五か月が経った頃だ。椋の転勤による遠距離恋愛がきっかけとなった。

「俺たち、そろそろ結婚とか考える歳だし、一緒に暮らそうよ」

 互いに三十代半ばで、結婚をうっすらと視野に入れていた。恋に浮かれていた二人の話はとんとん拍子に進み、桃は幸せな未来のために仕事と住む場所を変えた。


 そして、一緒に暮らして一年半。桃が別れ話を切り出した。




「落ち着けって。とりあえず、話し合おう。な?」

「これまで、わたしが何度も話し合おうとしてきたのに、避けてきたのはそっちですよね」

「そんなことあったか?」


 桃が話そうとしても、椋は「疲れてる」と言って聞こうとしなかった。


 分担しようと決めたはずの家事は、ほとんど桃がすることになった。椋はゴミ捨ても忘れて出勤してしまう。休日も昼まで寝ていて、ほぼ何もせずに終わる。たまに何かすると椋は得意げな顔をして見せた。


 夜は椋の都合で桃を求める。桃がしたい時に「気分じゃない」と断ることがあるのに、椋は自分勝手に桃を抱いた。


 楽しさに埋もれていたことが徐々に表面化し、我慢できないほどに膨れ上がった。桃の中で積もりに積もった椋への不満は、静かに弾けた。




「小さなささくれも、時に深くなって流血するに至ります」

「は? どういうこと?」

「もうどうでもいいです。疲れました。わたしはあなたの家政婦でも、都合のいい時に抱ける女でもありません。さようなら」

 桃はトランクを一つ持って部屋を出る。

 椋は桃が少しずつ身辺整理を進めていたことにも気づかない。物悲しげに残る一緒に選んだ家具を、椋はただ呆然と見つめるだけだった。

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小さなささくれの積み重ね 紗久間 馨 @sakuma_kaoru

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