ささくれ令嬢誘拐事件

いいの すけこ

それは泥棒から始まった

「ありがとう! それ、とても大事な物なの」

 少女に落とした帽子を差し出したら、手を取って礼を言われた。

 令嬢らしい、ほっそりとした指先。

(令嬢?)

 己の汚れた手を包むそれに、かすかな違和感を覚えた。燕矢えんやは内心で首をかしげる。

「これは母が買ってくれた帽子だから」

 少女は小さな頭に帽子をのせながら言った。

 うなじのあたりでぶつりと断髪した黒髪はかろやかだ。ベルトを締めた洋装ワンピースは高価そうで、最先端のお洒落を楽しむ余裕がある令嬢らしい。大正の世の、新しい女というような風情もある。

 同じ年頃であっても、親方からぶんどった擦り切れた羽織を纏う燕矢とは大違いだ。

「よくお似合いで」

 燕矢が褒めると、少女はにこりと笑った。

「母が病で亡くなってから、心細くて。でも母の買ってくれたものを身に着けていると、一緒にいてくれてるみたいで心強いの」

(母親が、亡くなった)

 そんなはずはない、と燕矢は記憶を探る。

 少女――名は蓮美はすみで、資産家一条いちじょう家の一人娘。家族は父と母、あとは大勢の使用人。

 そう、母は健在であるはず――。

「だから本当に、ありがとうね」

 少女は祈るように手を組んで、もう一度燕矢に礼を言った。

 組んだ指先は荒れていて、ささくれが目立った。

 苦労を知らぬ令嬢の手というには――燕矢は違和感の正体に気づく。

「親切な方に拾っていただけて良かったわ!」

 少女ははきはきと言って、ぺこりと頭を下げた。燕矢がなにを言う間もなく、再び雑踏へと消えていく。

「……親切じゃなくて、ごめんな」

 ほとんど見えなくなった背中に向かって謝る。

 燕矢の手には、紅玉のブローチが握られていた。

 

 賑わう表通りを外れて、適当な路地に入る。板塀に挟まれた路地を、日が届かない奥の暗がりまで進んだ。進むほどに路地は狭くなって、板塀の向こうの木から枝がせり出している。影が濃く落ちる枝下に入って、燕矢は懐に手を突っ込んだ。

 手の中には、怪しく光る紅玉がある。

 資産家一条家の娘、蓮美を通りで見かけた時、絶好の獲物を見つけたと思った。

 震災孤児だった燕矢は、仲間の悪童たちとともに親方に拾われた。仕込まれたのはスリやかっぱらいの手口で、決して真っ当な生き方ではなかったけれど。

 誰にも見向きされず、それどころか野良犬を追い払うように寝床すら追われ、時に殴りつけられ。そんな人間以下の扱いをする連中より、最低限の食う寝るを確保してくれる親方の方がはるかにマシだ。理不尽に抵抗する術をもたない子どもに、生きていく術と強かさを教え込んでくれたのだし。


 最先端の流行に身を包み、一人歩く金持ちの娘。

 まったく不用心だと思いながら、燕矢は彼女の被っていた帽子に釘付けになった。

 帽子そのものにではない。帽子に留められた、大きな宝石がついたブローチにだ。 

 一銭銅貨ほどの大きさもある、紅色の宝石。花のような形をした金細工に留められた、赤く透き通る石は見たことのない美しさだった。その日暮らしの燕矢では、一生かけても手に入れることなどできないだろう。

 すれ違いざま、少女の頭から帽子を落とす。さっと素早く、それでいて不自然にならない動作で。

 帽子を拾うふりをしてブローチだけを失敬し。振り向いた少女に、笑顔を浮かべながら帽子だけを返した。

(帽子からブローチが外れてることは、さすがに気づかれると思ったんだけどな……)

 少女は母に買ってもらったのだという、帽子にしか関心がなかった。

 ブローチについて問いただされたらされたで、言い逃れの術はいくつか考えていたのだけれど。面倒なことにならなくて助かった。

 手の中の石をつついてみる。深くて濃い紅色は、いつぞや親方が飲んでいた葡萄酒ワインのような色をしていた。

(……せっかくなら、もう少し明るいところで)

 見てみよう。そう思い、来た道を振り返った瞬間。

 ごん、と鈍い音と共に、頭に重い衝撃が走った。



 * * *



「……て、起きて」

 頭が酷く痛かった。覚醒を促す誰かの声が、頭に響く。

「起きてったら」

 誰かが燕矢の頬をぴしぴしと叩いた。かさかさとした、荒れた手で。

「起きなさい!」

 気合の入った一声に、燕矢は飛び起き――ようとして、いつもより重く感じる頭をゆっくり持ち上げた。

「お嬢、さん?」

 燕矢の目の前に、一条蓮美がいた。

「ああ良かった。目を覚まさなかったら、どうしようかと思った」

 状況が全く飲み込めなかった。どうやら自分は気を失っていたらしく、その間に夕刻に迫る時刻になっていたようだ。周囲は薄暗く、外にいたはずの自分は建物の中にいる。建物と言っても粗末なもので、どうやら納屋のような場所だった。農具やらズタ袋やらが置かれていて、とりあえず二人分だけ作った空間に自分たちが収まっている状態だ。

 天井近くの明り取りから、うっすら太陽の名残が降り注ぐ。

(というかこれは、閉じ込められているような)

 頭に受けた衝撃、あれは何者かに殴られたのではないか。気を失ったのち、この場所に運ばれて。縛られてこそいないけど、雑に転がされて。

「あなたも、誘拐されたの?」

 先ほどより声を落とした蓮美が、真剣な眼差しで問うてきた。


「誘拐……」

 攫われた。何者かに。確かにこの状況。

 しかし金持ちの令嬢ならいざ知らず、自分のような貧乏人が連れさられる理由は――なくは、ない。

 仕事でヘマをしたり、手を出したらまずい領分に入り込んだりして姿を消した者は多い。そして今、自分は、身に余るほどの高価な品を懐に隠している。

 目当ては宝石か。

 それが高価なもの故、欲に目がくらんだ犯行なのか。はたまた、今までにない厄介事に燕矢が足を突っ込んだのか。そのどちらもなのか、どちらでもないのか。

「ああもう、なんてこと」

 蓮美が口元を覆った。

 その手はやっぱりあちこちひび割れて、指先にはささくれができていた。

「大丈夫ですよ、きっと蓮美様のお父上が助けて下さるでしょう」

 違和感は拭えないままだったものの、小さく震える姿を見過ごすことはできなかった。本当は燕矢だって不安で仕方なかったけれど、出来る限り優しい声で言う。

「……私をご存じなの?」

「そりゃあ、一条家のお嬢様となれば。お顔は知れてますよ」

 蓮美は小さく首を傾げる。


「私、一条のお家に行って半年程度なのに。そんなものかしら」

 その言葉には、燕矢の方が首を傾げたくなった。一条家のご令嬢は、十五年、あの家の娘として育ったのではないのか。

「私、お父様が外で産ませた子なのよ」

 は、と思わず声が漏れ出た。

「私の母はお妾さんってことね。だから私はずっと、母さんと二人で暮らしてきた。だけど母が病気で亡くなって。それで私は父の元に引き取られたの」

 燕矢は決して上流の人間について詳しいわけではない。今のシマに場所変えして一稼ぎするようになってからも、まだ日が浅かった。金の匂いがする情報は仕入れるようにしていたので、街の名士である一条家のことも多少は知っていたが。そのような事情を抱えていたなんてことまでは、知らなかったのだ。

「本妻の娘、本物のご令嬢は十二年の九月にあったあの地震で、お亡くなりになったそうよ。数年励んだものの再び子が生まれることもなく、そこで母が亡くなったものだからと、私を本宅に迎え入れたってわけね」

「それなら尚更お父上も、もう二度と娘を失うまいと必死になりますよ」

「どうかしら。お父様に構われたこと、あまり無いのだけど。それにお義母さまは、私のことが気に入らないみたいだし」

 蓮美はうんざりとした口調で言った。

「なにかにつけて本当の娘と比べてくるし、無視したかと思えばたらたら文句つけてくるし、監視するし怒鳴るし叩くし……ったくあのババア」

 荒っぽい言葉を吐きながら、蓮美は足を崩した。膝下までしかない短いスカートから伸びた足で、胡座をかく。これまた令嬢らしからぬ仕草だった。彼女はどうやら、家庭内に問題ありのようだが。


「……それでもそんなに綺麗な服まで着させてもらってるじゃないか」

 燕矢は思わず素に戻る。

 宝石も最新の服も、自分には到底手が届かぬものだ。蓮美の複雑な生い立ちは理解しなくも無いが、それでも自分より、遥かに恵まれているではないか。

「これは母さんが買ってくれたものよ!」

 声を上げて、蓮美が反論した。

「洋服は母さんが一生懸命に働いて買ってくれたものだわ。お前は自立した女になりなさいと言って」

 闇に侵食されようとしてゆく納屋の中で、蓮美の瞳が強い光を帯びる。

「誰も味方なんかいなくったって、立ってみせるわよ。この服だってはしたないとか言われるけど、反抗してやるんだから。嫌がらせになんか負けない」

 誘拐される時に乱暴に扱われたのか、蓮美の服は汚れていた。

 それでもなお気高いと、今まで思ったこともない気持ちが燕矢の胸に沸き上がる。

 先程まで震えていたのに、日々の理不尽な扱いを思い出した彼女はかえって奮起しているようだった。


「ほんっと、腹立つんだからあの人たち! 女中たちもグルになって嫌がらせしてくるの。服は洗濯した後でわざと汚すし破ったりするし、食事は腐った食材混ぜるし。信用なんて出来やしないから、夜中に洗濯も煮炊きも自分でするの。掃除も繕い物も、なんだって全部こなしてやってるわよ!」

(それで手荒れなんかしてるのか)

 ようやく合点がいった。

 蓮美の手は苦労知らずではなかったのだ。幼い頃からも、今も、ささくれだらけの手で生きてきている。

「そんなんだもの。私が誘拐されようが売り飛ばされようが、家から助けなんて来ないわよ」

 自棄糞のように言った蓮美は、きゅうにすくっと立ち上がった。

「そうよ。どうせ助けなんて来ないんだから、自分で逃げなくちゃ」

 あまりの勢いに、燕矢は唖然とする。

 宝石をいただいた時は、世間知らずのお嬢さんだとばかり思っていたのに。

「俺、あなたに謝らなきゃ」

 金持ちから有り余るものを掠め取って何が悪い。

 そう思っていた。けれど自分の足で立ち上がろうとする蓮美の姿に、燕矢は急にいたたまれなくなる。


「ブローチのこと?」

 蓮美の口から出た言葉に、燕矢は目を丸くする。

「知ってたの。あなたがブローチを持って行ったこと」

「……施しのつもりだったのか」

 今度は急速に腹立たしくなる。いつも燻っている世間への憤りのようなものが、腹の中で熱を持った。

「違うわ。ただ、もういいかなって思ってしまって」

 燕矢の熱を覚ますように、静かに蓮美は語り始める。

「あのブローチはお父様が母さんに贈ったもので。でも一条家にとっての家宝のようなものだったみたい。それを妾になんてあげてしまったものだから……いつも争いの火種になるのよ」

 そう言って蓮美は目を伏せた。

「母さんの形見でもあるから、私も意地でも持ち続けたけれど、少し疲れてしまって。あなたが持ち去った時、正直ほっとしてしまったのよ」

 私には母さんのくれた服も帽子もあるしね、と蓮美は淡く笑った。

 ちょろい仕事と思ったけれど、燕矢も体のいい厄介払いに使われたということだろうか。

 結果二人して、こんなところに押し込まれてしまったけれど。

「嫌がらせがひどい原因のひとつね。……そうよ、どうせこの誘拐事件だって、お義母さまの嫌がらせにちがいないわ。その程度ならどうとでもなるわよ」

「その程度って」

 そんなに軽い話だろうか。監禁されたり頭を殴られたり、嫌がらせの度を超えている。宝石さえ回収してしまえば、燕矢のことは捨て置いたって良かっただろうに、こうして蓮美とともに酷い扱いを受けているし。

(もっとヤバいことに巻き込まれてんじゃあ……)


「ほら、あなたも手伝って。もうブローチはどうだっていいけど、ここから出なくちゃ」

 どん、と地面を突くような音がした。

「納屋だからって、こんなものを置きっぱなしにしておくなんてお馬鹿さんよね」

 蓮美は狭い空間で仁王立ちしてにっこり笑う。

 その手には鍬が握られていた。

「お嬢さんと小童なら、大人しくしてると思ったのかしらね?」

 はい、と鋤を手渡される。土を起こす部分が木でなくて鋼でできたものだ。なんというか、殺意が高い。

「まあ、ここで大人しくしてるわけにもいかないか……」

 蓮美は笑みを深くする。その唇は紅玉のような赤さだと、そんなことを思った。

 蓮美は戸口に向かって鋤を構え、振り上げる。ほとんど鋤の重さに任せるまま、戸口を突き破った。

 割れ目の向こうに、目を剥いた男の姿。

「おおりゃあ!」

 淑やかな令嬢の姿などかなぐり捨てて――そもそもそんな楚々としていたかも怪しいが――、蓮美はそれこそ畑でも耕すように鍬を振るう。辺りに破壊音が響き渡った。

 見張りと思しき男が、慌てふためきながらも蓮美を取り押さえようと近づいてくる。すぐさま燕矢は鋤を振り回し、男の足を薙ぎ払った。柄の部分で脛を強かに打たれた男は、勢いよく転倒する。

「お嬢さん、早く!」

 男が立ち上がる前に、急いで逃げなければ。邪魔になる重たい鋤は捨てていく。蓮美も燕矢に倣おうとするが、力任せに振り下ろした鍬が地面に突き立った。勢いが絶たれた反動で、蓮美は大きく体勢を崩す。

「危ない!」

 咄嗟に蓮美の手を取る。倒れ込むように、蓮美が自分の腕の中に飛び込んできた。

 懐のものを盗む以外で、女子おなごとこんなに近くで触れ合ったことなど、なくて。

「行きましょう!」

 蓮美の声で我に返る。この状況で、逃げる以外のことに気を取られている場合では無かった。

 身を寄せあったままでは走れない。

 汚れた手とささくれた手を、一度、離して。

 紅玉のような色をした暮れなずむ空の下を、二人で一目散に走り抜けた。



 ――この宝石泥棒と、誘拐と、逃亡劇を始まりに。

 一条家ご令嬢との醜聞やら、家出騒動やらに奔走したり。義理の娘を心配するふりをして近づいてくる、毒婦の誘惑に悩まされたり。『呪われた血の石』という異名を持つ、紅い宝石を巡る騒動に巻き込まれたりするなどとは。

 無我夢中で走るこの時の燕矢はまだ、露ほども知らないのであった。








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