サンクチュアリの女王(抄)

雨の粥

サンクチュアリの女王(抄)

 一度しか訪れることができなかった不思議な街がある。

 奇妙なことに、いつ、どうやってたどり着いたのか記憶になかった。

 気がついた時には、街に馴染んでいたのだった。


 街はうっすらと群青色がかり、いつも薄暗い。街外れの草地にはキリンの群れが悠然と歩いている。気候はとても暖かい。

 この街で私が通っている喫茶店のカウンターの上には、大きな水晶の塊がある。

 水晶は、近くにある洞窟から切り出してくるそうだ。

 店のオーナーはルトスワフスカヤさんという女性だ。彼女は躰が全体に長細く、身長が三メートル以上あった。普通に考えるとおかしいのだが、街にいる間はなんとも思わなかった。

 彼女は私と話をする時はいつも、カウンターの中の椅子に座っていた。椅子に座ってもまだ目線の高さが合わない。そうして一緒にコーヒーを飲みながら、街のことを教えてくれた。

「この街には誰でも入れる訳ではないの。この街を治めている〝眠りの女王〟が夢で見た人物だけが、忽然こつぜんと現れるのよ」

「じゃあ、この街は夢の中にあるんですか」

「……いいえ。それは違う。ここは夢の中ではないわ。あなた、ほんとうにから来たのね。珍しい。そんなことがあるなんて」

 ルトスワフスカヤさんはマグカップに口をつけた。

「ここに来る前、小屋の窓からサーカスのテントを見なかった?」

 サーカス?

「いえ、小屋ってどの小屋ですか」

 私は反対に尋ねた。

「どうやらあなたは正規のルートじゃなく、〝越境〟してこちらに来てしまったようね……。でも大丈夫。ここいらには、あなたのことを傷つけるような人はいないから」

 訪れる理由がない者はこの街に入れないのだという。だからほんとうの意味でのよそ者が一人もいない。実際、どこへ行っても、行く先々で私は歓迎された。

 街にやって来た時から、私は胸の内に一つの使命を宿していた。


 ――フラミンゴを見つけなければならない。


 この街を訪れたことに理由があるとしたら、私の場合はフラミンゴを見つけることに違いない。ルトスワフスカヤさんにもそう話した。

「森にある泉には行ってきたかしら。フラミンゴなら、あそこにたくさん群れているわ。街の外は危険だから、まずは森に行ってみてはどうかしら」

 私は森を目指すことに決めた。急ぐ必要もないし、元いた場所に帰ろうと焦る必要もない。この街が私を呼んだなら、その理由をゆっくり解き明かせばいい。

 ルトスワフスカヤさんに地図を借り、念入りに確認してから、森に向かった。

 森は街のほぼ真ん中に位置している。というより、ルトスワフスカヤさんによれば、街自体が森を中心にして作られているらしい。

 森の泉の畔には、〝眠りの女王〟が住む宮殿がそびえている。

 女王は宮殿の奥で眠りながら、夢の中から街を見守っているのだという。それは死んでいるという意味ではない。儀式が行われる時には目を覚ますらしい。

 決まった季節に儀式を行うために目を覚まし、街の人々の前に姿を現す。

 巫女的な役割を持つ女王ということか。

 私は街の中心に向けて歩いた。足元は美しいタイルで舗装されている。あちこちに工事中の看板があり、機械の作動音がしている。街の人々は、美観を保つことに労力をかけているようだ。

 木立を囲うように設けられた柵が、緩やかな曲線を描いている。私は柵に沿って進んでいった。すると、森の入口が見えてきた。

 堅牢なアーチを抜けて森に入ると、そこから先は、街の中とは明らかに空気が違っていた。人工物の気配は一切ない。森は神聖な場所で、伐採なども行われていないと聞いていた。

 そもそも森を守るための街だということか。

 森というよりも、秘密の花園めいた雰囲気を感じる。さながら街の中庭のようだ。

 踏み固められた小路に沿って、奥に進んだ。忘れずに、注意深く水の気配を探った。地図によれば、泉は私が入った入口から見て、中央よりも手前に位置している。

 分岐点で道を間違えると、泉のある一帯を通り越してしまうらしい。地図によると、道は三つに分かれている。私が今いる道と、泉に続く道。それから宮殿の入口に繋がる道だ。宮殿に続いている道が、最も道幅が広い。

 狭い方の道に入ればよいのだが、同じような狭い道が途中いくつかあり、何度も訪れている者でも間違うことがあるという。

 泉を訪れる者は少ない。そのため、特に目印は設けられていない。看板などを設置することは、聖所ゆえに忌避されている。

 私は首尾よくに宮殿に続く道を見つけることができた。

 こちらは馬車の車輪の跡が目印になるので、間違いようがない。

 私は宮殿に背を向け、反対側に向かう細い道を進んだ。しばらく行くと泉が見えてきた。泉にはフラミンゴがいるということだったが……。

 広い泉を見渡してもフラミンゴの姿は見当たらない。

 フラミンゴは群れで移動すると聞く。フラミンゴの群れが、桃色の雲のようになって飛んでいく様子を写真で見たことがある。

 フラミンゴたちはどこかへ行ってしまったのだろうか。

 水辺の岩に腰かけ、泉を眺めていた。

 泉のあちこちに細長い、奇妙な形をしたオブジェがあった。あるところには密集して、またあるところには疎らに配置されていた。上下が直径数センチ、真ん中が少し膨らんでいる。

 形が反っていたり、反対にくるりと丸くなったりしているものもある。

 その形状や配置はまるで、気ままに歩き回っているようだった……。

 いや、これは……。

 

 そう思って見てみると、いかにもフラミンゴをかたどっているらしく思われてきた。かなり形を崩しているが、まず間違いないだろう。

 森は聖所ゆえ、人の手を加えることは避けられている節があったが……。

 街では、フラミンゴが神聖視されているのかもしれない。

 泉の中のオブジェに気を取られていると、微かな水の音が響いた気がした。

 音がした方に目を向けると、一羽の優雅なフラミンゴが水から上がり、宮殿の方に向けて歩いていくところだった。

 私はこれまで街で過ごしながら、宮殿を意識したことはなかった。

 だが、どうやら〝眠りの女王〟が住まう宮殿を訪問する必要があるらしい。私がこの街にやって来た理由が、少しだけ分かった気がした。女王が私を呼んでいる。あるいは、女王が私の夢を見ている。私は女王が見ている夢の一部なのだ。

 私はフラミンゴの後を追った。そして宮殿の裏側に通じているらしい小路に分け入っていった。   

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サンクチュアリの女王(抄) 雨の粥 @amenokayu

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