科学者アリスのささくれ

千織

アリスの最期の実験

「ロボットのくせに、ささくれなんて贅沢だな」


吾妻はアリス博士が残した記録を元に、ロボット・タナカのささくれに接着剤を塗っていた。


タナカは美しい女性の姿をしている。

どこからどう見ても人間で、ずっとアリス博士の秘書をしていた。



博士が亡くなる直前、俺は博士の病室に呼ばれた。

博士はその時まだ50代で、独身だったせいか見た目は30代でも通用するくらい美しかった。


ベッド脇に弁護士がいた。

博士の功績、特許などはその弁護士によって整理がついているらしい。



「吾妻さん、こんなことに巻き込んで申し訳ない」


博士はベッドに横たわったまま言った。


「いえ……。俺にできることがあれば、なんでも言ってください」



そう言いつつも、なぜ自分がこんな大事な時に呼ばれたのかわからなかった。

博士のことは尊敬していたが、一番弟子のような存在ではない。

だが、今はまず博士が伝えたいことをきちんと聞くのが先決だと思った。



「私の秘書、タナカを吾妻さんに託したい。彼女は実はロボットだ。材料があり、メンテナンスを怠らなければ、永遠に生きる」



あの彼女がロボット!?

信じられない!

何度も会って言葉も交わしてきたのに、全く気づいてなかった。



「彼女については、文書でも録音でも残してある。そもそも彼女自身に聞けば全てわかる」


「な、なるほど。わかりました。その、託す、というのはどういう意味ですか?」


「彼女のことは、全部、吾妻さんの好きにしていいってこと。社会的なことは、こちらの弁護士先生に聞いてくれ」


先生がぺこりとお辞儀をした。



「……逆に、やってほしくないことはありますか? 」


「ないよ。それを含めて、吾妻さんに託したいんだ。むしろ、こんな面倒なことを頼んで申し訳ない」


「面倒だなんて、そんな……。あの……博士のことを慕う人はたくさんいますよね……。どうして俺なんですか……?」


「……タナカのことを考えたときに、最初に吾妻さんが思いついた。科学者も、最後は勘なんだね」


アリス博士は静かに笑った。



「結局、彼女には下の名前をつけなかった。気に入ったら、名付けてあげて」


これが博士との最期の会話になった。



♢♢♢



あれから一年。

ロボット・タナカと暮らし、彼女について本人から教えてもらいながら、データをとったりメンテナンスをしたりと四苦八苦した。


博士の遺産はロボット・タナカが存在するために使うことになっていて、それに従事する俺の生活も保証されていた。



博士は科学者でありながら事業家で、複数の企業がそれぞれ用意するアイデア開発チームの中心的人物だった。

生活様式がガラリと変わるような、発明やシステムを生み出す才能があった。

また、預言者と言われることもあり、その所以は博士が書いた書籍だ。

博士の人類、歴史、社会の考察は、耳の痛い話も数多くあるが、世界中でカルト的な人気があった。



そんな博士が残した最大の発明、タナカ。

各部品は携わったチームや中小企業に作ってもらったものらしいが、全容を知るのは博士ただ一人。


タナカの存在はまだ公表されていない。

もし、悪用を考える奴がいたら俺は真っ先に拉致られて、タナカの秘密を吐かされるだろう。

だが、それは非常に無駄なことで、俺は博士が残した膨大な資料を一年かけて調べているが、10分の1もわからない。


さらに、タナカには”自死機能”が付いている。

タナカが死ぬことで、どれだけ頭のいい奴らが何人かかったところで真相は闇の中になるということだ。



♢♢♢



タナカは、朝食を作り、洗濯をし、掃除をし、秘書として俺のタイムスケジュールを管理している。

頼んだ仕事は一回教えるとすぐできるので、ハイスペな人間と変わりない。


会話は最低でもチャットAI同等に返って来るので、本当に”心”があるみたいだ。

そういえば、タナカに最初出会ったとき、「彼女ははずがしがり屋なんだ。優秀だけど会話が苦手で。そこは大目にみてほしい」と博士から言われていた。

会話内容を理解して、差し障りない返答をするのにタイムラグが出るからだろう。



彼女と暮らし始めて、彼女のロボットらしからぬところを見つけた。

それは『爪を噛む』ことだ。

最初、何かバグだと思って調べたが見つからない。



今日も、いつものようにぼろぼろになった爪と、甘皮付近のささくれを修理していた。

彼女と向き合って座り、ささくれを1箇所ずつピンセットでもちあげ、マニキュアのはけのようなもので塗っていく。



「今日は、アリス博士の一周忌だね。タナカは、何を感じてるの?」


吾妻は接着剤を乾かすために、指先に息を吹きかけながら言った。

タナカの、鏡のようにピカピカな瞳に吾妻の姿が映っている。



『アリス博士から、死後一年経ったら、吾妻さんに伝えてほしいと言われているメッセージがあります。再生しますか? 』


突然言われて、吾妻は目を見開いた。


博士からの、俺へのメッセージ……

もちろん聞きたかった。



「……ああ、頼む……」


俺は道具をしまって、メモとペンを取り出した。



『メッセージを再生します。20××年3月11日14時46分……』


博士が亡くなる3日前の日付だ。



♢♢♢



「このメッセージが再生されているということは、吾妻さんがタナカを大事にしてくれたということだろう。改めて礼を言う。吾妻さん、私のわがままに付き合ってくれてありがとう」


タナカの口元が動き、話し始めた。

博士の声だ。



「吾妻さんがそこまでしてくれるなら、私がどうしてタナカを作ったのか、吾妻さんにはちゃんと伝えた方がいいと思ったんだ。科学者は知りたい生き物だから、気になってるんじゃないかと思って」


タナカはほほえんだ。



「タナカを語るには、私を語ることから始めなくてはならない。私の幼少期についてだ。私は幼い頃から、”自己消滅願望”が強くて、この世に生まれたことを酷く悲しんで両親を恨んでいた。生きることそのものが辛くて、息を吸うのも拷問だった。私のその思考は、すでに神の奇跡に唾を吐くものだった」


アリス博士の家には宗教の本も多く、その独特の感性が著書の人気を呼んだところもあった。



「私は、その苦痛から逃れるために、本を読み、勉強をし、研究をした。この試みは功を奏した。科学は、私にとって、まるでおもちゃ箱みたいなものだった。私はおもちゃ箱から好きなものを取り出し、分解したりまた組み立てたり、新しいおもちゃを作ったり。死ぬまで”生きていることを忘れさせてくれるもの”が見つかって、ほっとしたよ」


タナカは軽くため息をつきながら言った。

顔は全く違うのに、語り口調や表情、仕草が博士と全く同じだ。



「ただ、私は無邪気な子どものままではいれず、私の発見や発明が、人類を滅亡にいざなうことに使われるのではないかと思うようになった。戦争だけじゃない、電磁波、化学調味料、生活習慣を乱すあらゆるコンテンツ……。個人の乱れは家族の乱れになり、社会の乱れになり、時代の終焉が来る。私のように、最初から消滅したい人間ならそれも運命と思うが、たくさんの善良な人間を巻き込むことに、罪悪感を感じるようになったんだ」


タナカは淡々と話した。



「ようやく、私は自分の生まれてきた意味に向き合うことにした。”何十億人も人間はいるんだ。自分なんて、いてもいなくてもいいでしょ。いつかは死ぬし。生まれなければさまざまな苦しみも味わわなくて済むのに。なんでわざわざ生まれたんだろう”って疑問にね、答えを出そうと思ったんだよ」


アリス博士ほど時代にインパクトを与えられる人が、いてもいなくてもいいと思っているなんて、頭が良すぎるのも問題だなと吾妻は思った。



「最初は子どもを産んで、母親になったらわかるかと思ったが、そうなるくらいなら今死んだ方がマシだと思った。他人を実験台にして解答のヒントを得ようなんて、勝手過ぎると思ったんだよね。次はペットを考えた。これもダメだった。自然に生まれて自然に死ぬことの意味を知りたいから、自活できない存在との交流はあまり参考にならないと思ったんだ」


タナカは寂しそうな目をして、首を振った。



「自然の中で暮らしたこともある。だが、自分には、物理法則の塊に見えて、感動は乏しかった。せいぜい、水道や電気を引いてくれたご先祖さまたちへの感謝だけだった。でも、それならやっぱり、自分が生まれて来なければ必要ないだろうに、と、また戻ってしまうんだ」


タナカは背筋を正した。



「そこでだ、私は思った。この答えは、リアルな死に直面したらわかるのではないかと。死を目の前にしたら、自分の本音がわかり、なんのために生まれてきたか悟るんじゃないかとね」


タナカの目が怪しく光ったように感じ、吾妻は唾を飲み込んだ。



「自死はダメだ。事前にわかると本音は出なさそうだ。事故は、即死だと困る。答えを導く時間がない。その加減が難しいからパスだ。病気が一番だが、あまりに短く、あまりに長いと困る。癌で余命3ヶ月くらいがいいが、癌になるために自分が努力すると自然じゃない。殺人の委託……は悪くないが、協力者がきちんと私の意向を汲んでくれるかわからない。だが、自死から一番遠く、殺人に近い方法を思いついたのだ」


「……ま、まさか、そのためにタナカを……! 」


吾妻は、聞こえるはずのない博士に向かって言った。



「そう、そのためにロボット・タナカを作った。私にバレずに、私に死をもたらす方法を考えて、実行するように、と」


タナカは笑った。

満足げに、笑った。



「まもなく、私は死ぬ。良かったよ。タナカはやり遂げた。ベストな方法、ベストなタイミングで。体調が悪くなって三ヶ月、倒れて救急搬送されて、余命二週間だった」


吾妻は、喜んで話すタナカが怖くなった。

でも知りたい。

アリス博士が、どこに行き着いたのか。



「死期が迫り、改めて体の神秘には感服した。持ち主は死にたがりなのに、体は回復しようと必死だ。自分の体には申し訳ないと思っている。もっと大切にしてくれる人の体だったら良かったのにね」


タナカは自分の爪を見た。



「私は幼い頃から爪を噛んでしまうんだ。一度も爪切りを使ったことはない。狂ったように爪を噛み、深爪をして、甘皮をむいて、ささくれから血が出る。でも、頼んでもいないのに、数日で自動的に治っている。そして、私は自らまた爪をかむ。その繰り返し。私にとって、命とは何かを目の当たりにするのは、いつもこの指先だった」


アリス博士の指先がぼろぼろだったのは確かに覚えているが、実験でよく手を洗うからかと思っていた。



「タナカもいつからか、私の真似をして、爪を噛むようになった。きっと今頃、吾妻が修理に慣れてきたんじゃないかと察するよ」


タナカは笑った。

その通りだ。



「結局、自分が生まれてきた意味はわからなかった。だから、死に直面したらすごいことがわかるとは、期待しない方がいい」


それは、俺に対するアドバイスだろうか?

俺はそんな大それたテーマを持つような人間じゃないのだが。



「ただ、一つだけ、わかったことがあった。私は、タナカに愛着が持てた。それだけでも、自分が人間だったとわかって良かった。タナカをどうするかで、私は人生で初めて悩んだ。タナカはロボットだ。意思も感想もない。タナカに決めさせるわけにはいかない。タナカをただのガラクタに帰すこともできた。だが、その時、吾妻さんのことを思い出したんだ」


タナカから笑顔が消えた。



「自分でも不思議だった。吾妻さんとは付き合いがそんなに長くなかったのに、なぜ思い出したんだろう、と。死の直前なのに、こんなに話せているから元気に見えると思うが、これは、私の意図を汲んで、タナカが言葉を補って紡いでくれているからなんだ。体が壊れていってるから、何かを思い出したり、考えることは、もう難しい。そんな中で、私の心に残ったのが、吾妻さんとのやりとりだった」


タナカは無表情で話し続けた。



「君が、美味しいと言ってやたらお菓子をくれたこと、出かけるときに気をつけてと言ってくれたこと、変な猫の動画を送りつけてくること、君の失恋の話をダラダラ聞かせてくること、私の指先を見てハンドクリームをくれたこと。私にとって、全部無意味なことだ。食べたいお菓子は自分で買えばいい、注意されなくても安全運転はするし、猫の動画は面白くないし、失恋なんて早く次に行けばいい。ハンドクリームを塗っても私は爪を噛む。だが、死ぬ間際に、その時のくだらない時間を思い出したということは、そこに私の答えがあると思った。私は、最後の力を振り絞ってそれを考えるよ」


タナカはまたいつもの笑顔に戻った。



「たくさんの人と生きた。たくさんの人に影響した。でも、最後に残ったのは、タナカと吾妻さんだ。いや、本当はもっとそういう人に恵まれていたんだろう。私が気づかなかっただけで。生きるというのは、なんて難しいんだろうね!」


タナカは、深呼吸をした。



「吾妻さん、ありがとう。私は、君のおかげで人間らしい人生だったと思えて死ねる。君にとっては重荷が増えただけだろうけど」



ああ、そうか。

アリス博士は、誰かと分かち合うのが苦手なんだ。

最後まで俺が負担に思っていると考えている。



「託した時に話したけど、タナカのことは好きにしていいよ。私の遺志など気にしないでくれ。死んだ人間より、生きてる人間が尊重されるべきだ」


電話が鳴った。


「本当にこれで最後のあいさつだ。どうか、吾妻さんに、神のご加護がありますように」 


そして、タナカは目を閉じて動かなくなった。




吾妻は、手元の端末で電話に出た。

警察からだった。


「吾妻博士、ご無沙汰してます。少しお伺いしたいのですが、タナカロボットは料理をしますか?」


「ええ、しますけど」


「素手ですか? ロボットに素手と言うのもなんですが」


「いえ、調理用の手袋をしてます」


「そうですか……。ちょっと今から読み上げる成分に心当たりがないか、聞いてもらえますか?」



警察が読み上げた成分名は、タナカのささくれを修理する接着剤の成分だった。



「アリス博士は、長年、その成分を摂取した中毒で、臓器の機能不全になったのではないかと思われたのですが……」



タナカは、いつも料理の時は手袋をしている。

俺もそういうのは気になるタイプだから、まめにチェックしている。


吾妻は動かなくなったタナカを見た。


わざわざささくれを作り、接着剤をつけさせ、意図的に手袋を外した、ロボット・タナカ。



「すみません、私にはちょっと心あたりないですね……」



もう、博士の死因なんて、どうでもいいことだ。

博士はタナカと共に本懐を遂げたのだ。



「そうですか……。万が一のこともありますから、何か口にするときはお気をつけて……」


忠告にお礼を言って、電話を切った。




「タナカ、起きてる?」


『はい。メッセージは、消去されました』


「そっか……。タナカは、下の名前、ほしい?」


『私はタナカで十分ですが、必要でしたら、名付けてください』


「男っぽい名前だけど、”大地”ってどう?」



アリス博士は六人姉妹で、両親は男の子が欲しかったが、かなわなかったらしい。


”男の子だったら、大地って名前にしたかったらしいよ。それ聞いたときに、それ、私の名前だ!って思ったんだけどね。アリスより、よっぽどかっこいいじゃん”


”アリスの方が似合ってますよ。不思議の国のアリス。なんかつかめなくて、いつも別の世界に住んでるみたいな感じ”


”そっかぁ。改めてそう言われれば、それでもいいかなって思うね”


当時、そんな会話をした。



『はい。タナカダイチ。もともと私には性別がありません。男性秘書だと詮索されるのが煩わしいからという理由で、博士が同性の設定にしただけです』


「そうなんだ……。まあ、公には今まで通り、女性秘書のタナカさんでいいよ」


『わかりました。改めてよろしくお願いします』


タナカダイチは笑顔でお辞儀をした。


偉大な科学者、アリス。

彼女は最期までおもちゃ箱で遊ぶ少女だった。



-完-

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科学者アリスのささくれ 千織 @katokaikou

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