『千波まひろ』(20243:お題【箱】)

石束

花が瀬村異世界だより2024 その3 (KAC20243)


 スイッチを押して、ドア越しにベル音が室内に反響する音を聞く。と同時に、カチリと軽い挙動でサムターンが回る。

「……」 

 期待した、音声による「いらえ」はない。

「……」

 覚悟を決めて、でっかい両開きのドアノブに触れると音もなく内側へ開く。

 ――へ? 内開き?

 内心の驚き寸前の違和感を、キサラは意地でも声に出すまいと唇を引き結んだ。


 住宅の入口に開き戸のドアがつくのは洋風の設え(しつらえ)だが、西洋のドアが「内開き」であるのに対し、日本の住宅は圧倒的に「外開き」が多い。それは日本人がどれほど洋風になっても変えなかった生活様式に

「室内に入る際に、靴を脱いで上がる」

というものがあったからだ。


 室内と三和土(たたき)との境界には上がり框(あがりかまち 玄関框;げんかんかまち ともいう)という段差があって、この手前には靴を脱ぐスペースが要る。開き戸が内開きでは、ドアの開閉にも靴の片づけにも邪魔になる。そうでなくともスペース的に制約の多い日本住宅における開き戸は自然に外開きがスタンダードとなった。


 つまり、この家の「玄関」は「ドアが内向きに開いても問題がないくらいに」――

「…………」

――広いのだ。

「…………」

 キサラは静かにドアが閉まる音を背後に聞きながら、思わず上を見上げた。

 やはり、広い。そして高い。二階まで吹き抜けの玄関の天井には大きな明り取りの窓があって、明るい。

 容量たっぷりのシューズクロークがあって、なお閉塞感がない。これは物理的な広さではなく、配置や配色が行き届いているからだ。

 さらに床。先ほどドアの構造で感じたキサラの違和感はここで決定的になる。

「上がり框が、ない……」

 玄関に、室内と土間とわける境界、「上がり框」がない――否。それどころか一切の段差がない。まったくフラットの環境だ。

 靴を脱ぐための場所は、タイルと絨毯の色分けで示されている。足元の清掃は行き届いていた。住人が綺麗好きなのかともおもったが、それだけではない。玄関ホール(最早「ホール」と呼ぶしかない)の隅に、猫が通りそうな小さなくぼみがあって、そこに、猫ではなく円盤型の掃除ロボットが充電を兼ねて待機していた。

「……」

 家は、そこに住む人間の人となりを表わす。

 新築であれ、借家であれ、それがたとえ仮住まいのホテルの一室であろうと、家とは、そこに棲む人間の何かを映し出さずにはいられないものだ。

 図面を引く段階からかかわったのなら、どれほどオーナーの意志が反映されているだろうか。

 

 八重樫キサラは俯瞰気味に屋内を内覧した。

 人の動き合わせて点灯し、あるいは消灯するライト。

 玄関とは一変して、室内を仕切るドアは全部、触れるだけで開く引き戸。当然扉の下のガイドレールはすべて埋設型。

 高い位置にある、明り取りの窓。静かで心地よい空調。白基調ながら、柔らかな色合いの壁紙。

 屋根の上か敷地内の地上かはわからないが、かなりの規模の太陽光発電システムがあってこそ可能になる完全電化の環境維持システム。


 これ以上、ありえない程の完璧な『バリアフリー』


 住人をありとあらゆる外敵から守り、内にあっては可能な限りの快適さを追求せんとする強固な意志の具現。

 この家は、まるで。

 執念すら感じるほどの気遣いで形作られた巨大な『匣』(はこ)のようだ。


 なんてっこった。どんだけ本気だ。

 キン肉マン・シスコンの分際で、どんだけ気合の入ったキン肉ハウスつくってるんだあのシスコン。


「どうぞ、こちらへ」


 幽かに震える様な声に導かれて、扉を開ける。


 ふわりと、甘く、芳醇な果実の香りが漂う。古代魔法王国の書籍にも不老長寿の果実とか眉唾の記載があった、便宜上我々の知っている伝説込みの知識で「ライチ」と呼んでいるソレの香りだ。


 どう見てもおいしそうなのに、食べてよいのかどうかわからず、必死で食べるのを我慢し自制し、マジックアイテムの眼鏡かけて図書室の魔導書を不眠不休で漁って記事を見つけ、やっと食べても良いものとわかった時には、どう見てもイマイチの状態になっていたという、あの異世界産果実である。


 そこにいた者は一人の例外もなく、地面を殴って悔しがった。

「ちくしょー、すぐ食べたら絶対っ美味しかったかったはずなのにぃぃぃ」

 その苦労の記憶が発見者の登山愛好家の村民を含めた関係者の心に爪痕を残した所為か、異世界における正式名称が分かった今も、花が瀬村におけるあの果実の呼び名は「ライチ」のまんまである。


 あの時は大変だったなあ、とキサラは現実逃避気味に回顧しつつ、部屋へはいる。


 部屋は、アイランドキッチンのある調理スペースと続きになったリビングで、『彼女』は庭に面した大きな窓の前でキサラを待っていた。


 ボリュームのある、ゆったりとしたフリースの白いロングスカートに、薄紫のブラウス。袖を通すでもなく肩から羽織った暖かそうなニットのカーディガン。桜色のそれは華奢な彼女の体には、ややオーバーサイズであるようだった。

 おそらくは非常に高性能でありながら、重くは見えないすっきりとしたデザインの『車いす』に座っていた彼女であったが、いつの間にかキサラに先行していたらしい健太の助けで、ゆっくりと静かに、立ち上がった。


 さらり、と濡れ羽色の長い黒髪が、すべりおちる。それだけで、なんだか部屋の空気が変わったような気がした。


 ――向かいあったソファの一つから金髪の若者が立ち上がった時、楽の音がしなかったことが不思議に感じられたほどだった。

 ……ってのは、田中芳樹だっけか。アレ、何て名前のラノベだっけ?


「はじめまして。千波まひろ、です」


 少しはにかむ様に、嫌味にならないくらいの塩梅で品のいいお辞儀をした彼女を見て、外見上は全く平静を保ちつつも、胸の奥で心臓を「ばっくんばっくん」させながら、八重樫キサラは、思った。


 ――ははーん。さてはテメーが、噂の『箱入り娘』だな。


花が瀬村異世界だより2024 その4  『アロエ』 につづく

https://kakuyomu.jp/works/16818093073643996852/episodes/16818093073644122632

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『千波まひろ』(20243:お題【箱】) 石束 @ishizuka-yugo

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