その箱庭

海野夏

✳︎

箱庭屋、と掲げられた看板が揺れる店は、私が知らない間に私の暮らす町の片隅にあった。この町で生まれ育った私には少しの見覚えもない店だったが、ずっとそこにあったかのような顔をしていた。


スマホの時計を見る。時間にはまだ早い。

私が育ったのは祖母の家だった。小学生になる前にうちの両親が離婚してから、それぞれ家庭を持った彼らに代わって私を育ててくれたのが母方のミチ子おばあちゃん。祖父は随分前に亡くなっていて、一人暮らしの祖母に猫を預けるように私を押し付けた両親とは、最近まで疎遠だった。

祖母が亡くなり、私が高校を卒業するのを機に、母が家の取り壊しを決めた。私は大学の寮に入り、帰る家を失う。


「ごめんください」


カランと軽やかにベルが鳴り、薄暗い店内に足を踏み入れる。店内をぐるっと見回すと、中央にテーブル、そして壁際をぐるりと囲うように棚が置かれていた。ぽつりぽつりと照明があって、それぞれ箱を照らしていた。


箱庭屋というだけあって、並んだ箱の中には精巧で美しい景色が広がっていた。

一面に雪が積もって子供たちが遊んだ後の静かな夜。夏の緑の紅葉が生い茂る日本庭園。雑草の白い花と青いつるが遊具を包む寂れた公園。永遠に続くような桜並木。洋風のお屋敷とイングリッシュガーデン。森の小屋と動物たち。

あちこちを旅しているようなリアルさと、吸い込まれそうな不思議な感覚があった。こういう箱庭にハマって集め始めると抜け出せなくなると聞いたことがある。実際にこうして見ると、集めたくなる気持ちも分かる。


(まぁ買わないけどね)


真ん中の箱にはどんな景色があるのだろう、と手を伸ばして、止まった。

それは私の家だった。おばあちゃんが育てていた花の植木鉢が並ぶ裏庭と、おばあちゃんがさっきまで休んでいたような縁側の新聞紙と湯呑み。家の奥には畳の部屋と、今にも包丁を使う音が聞こえてきそうな台所。


とん、とん、とん


はるちゃん、今日はワカメとお豆腐ののお味噌汁なんだけど食べてくれる?


「うん。食べたい。おばあちゃんのごはん」


帰りたいよ、おばあちゃん。

お味噌汁の匂いがした。




お客様が来たらしいと気づいた店主が工房から出てきたが、店内に客の姿は無かった。気のせいかと戻りかけ、何かを感じた様子で中央の箱を覗く。


「気に入っていただけたようで」


店主はにこりと微笑んで、箱を壁際の棚に移動させた。


時折楽しげな声が聞こえるその箱には。

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その箱庭 海野夏 @penguin_blue

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