第2話
推しのアイドルが自分の名前を言っている。
脳内の処理が追いつかない。
隣の 2人の視線を受けてわたしは再起動した。
「ふぇ?!」
画面にかじりつく。
聞き間違いだと思いたかったが字幕でもわたしの名前が出ていた。
人気アイドルと知名度の低いアイドルの関係が気になったのか、アナウンサーが沙耶さんにマイクを近づける。
『それは何故ですか?』
『以前、デビューしたての頃に挨拶に来てくれたんですけど』
画面の向こうもの沙耶さんはクールな表情のままだ。
無表情というわけではない。
ただアイドルっぽい笑顔はレアで、どちらかといえば女優さんかと思うような微笑みが多かった。
相変わらず綺麗な人。
そう思って見ていたら、沙耶さんの口元がほころんだ。
『その時お話して、曲の趣味が似てるなぁって思ったんです』
わたしは目を丸くした。
確かにそれは実際あったことで、デビューしたての頃に挨拶に行ったのだ。
その時は素直に自分の好きな曲を伝えた。
今だったら、とてもできない。
「優香の好きな曲って」
「ラブ好きなのが被っててぇ……覚えててくれたんだ」
桃香の視線にわたしは頷き返した。
ラブは女性だけのヘビメタバンドだ。アルバムではたまにメロウな曲もあるが、メタルらしい曲がほとんど。
嬉しいような、恥ずかしいような。
言わないようにしていた趣味が推しの口から出るなんて。
「月城沙耶はメタル好きを公言してる」
「あの歌唱力なら何でも歌えるだろうしね」
彩音の説明に桃香は感心して大きく息を吐いた。
そう、ムーンディーバはジャンルを問わず歌うアイドル。
だが沙耶さんがメタルを歌っているのは見たことがなかった。
『じゃ、コラボ希望はクリスタル・ハーモニーの優香ちゃんですね!』
『できるなら、ぜひ』
アナウンサーの言葉に沙耶さんは頷いた。
画面越しに送られてきた視線に、見られているような気分になってしまう。
桃香のスマホを持ったまま固まっていた。
そんなわたしの肩をいつの間にか移動した桃香と彩音に肩に手を置かれる。
「これは辞められないでしょ」
「この動画が出た後に辞退なんてしたら、コラボが嫌って言ってるようなもの」
両隣からそう言われ、わたしは言葉を失った。
沙耶さんとのコラボ。夢のような舞台。
ムーンディーバくらいの人気なら、恐らく希望はそのまま通る。
でも、メタルを歌うなんてアイドルらしくないのでは。
小さな臆病 心が顔を出す。
松浦さんがうるうるした瞳でわたしを見ていた。
「お金はどうにかなっても、評判に傷がつくのは……」
お金、評判、大きなチャンス、やる気の仲間。
何より推しから指名されて逃げるなんてできるだろうか。
ここで逃げたら、一生好きなものから逃げないといけなくなる。
わたしはソファーから立ち上がった。
「で、でますっ。出ますよ、こうなったら!」
「ファイト、優香」
「応援している」
間髪入れずに桃香と彩音がそう返してくる。
自分の世界に戻ろうとする二人の肩をわたしは掴んだ。
「クリハモで出るんだから二人も練習してー!」
コラボが事実だったとしても、わたしたちの出番があるのは事実で。そのためには二人の協力が必要だ。
この日から特訓が開始された。
「結局、ステージは対面だし、コラボは月城さんの言う通りだし」
あっという間に月日は流れ、気づけば東京アイドルフェスタの日になっていた。
ここまで 3人で練習した期間はないし、わたしがメタルの練習をしたこともない。
できる準備を全部した。
だけど実際の舞台に来てみれば、否応なく緊張感は高まっていく。
「ムーンディーバの向かいにあたしたちってヤバいね!」
「規模が違いすぎて、普通ならぶつからない」
リハ前に覗かせてもらったステージ。
反対側にいる人は米粒に見えるほどの大きさ。
対面にも同じようなステージが見える。
ステージの中央には対面のステージへ伸びる道は伸びていた。
ここを渡るのか。
「ムンディバのお客さんを取り込むつもりで頑張ろう!」
「桃香の前向きさがスゴい」
心臓の音がうるさいくらいで、目の前のことに飲み込まれていた。
背中を軽く叩かれる。
ニッと笑うリーダーに少しだけ肩の力が抜けた。
「私たちはいつも通り歌って踊る。大変なのは優香」
「わかってます」
彩音も側に来てくれて、わたしは仲間のありがたさを実感する。
ひとりだったら、ここに立っていることもできないだろう。
舞台裏に戻れば、リハーサルに入ってくる先輩たちが入ってくる所だった。
「お、噂をすれば」
「つ、月城さん!」
その中に沙耶さんがいた。
わたしの体は機械仕掛けの人形のようにギクシャクと動いた。
心の中では名前呼びなんだけど、本人に対して呼べたことはない。
わたしの声に気づいたのか立ち止まり、こちらを振り返る。
「あ、優香ちゃん、今日楽しみにしてるね」
「はいっ、よろしくお願いします」
艶やかな黒髪が腰まで伸びている。
整いすぎた顔面は光り輝いていて、直視できない。
ふわりと届けられた微笑みに心臓はバクバクするし、顔は熱い。
わたしは勢いよく頭を下げるのが精一杯だった。
「でも、なんでわたしを」
ずっと聞きたかったことを口にする。
好きなジャンルが同じなのを知っていたとして、コラボ相手として指名するほどのことではないはずだ。
すると沙耶さんは珍しいいたずらっ子のような笑顔を浮かべた。
「実は優香ちゃんがラブの曲歌ってるの聞いたの」
「ええっ?」
小さく飛び上がる。
一体、いつ、どこで?
ぐるぐると目を回していたわたしに沙耶さんは頬に指を当てて首を傾げた。
「いい声だったわよ?」
「あ、あ、ありがとう、ごさいます!」
沙耶さんに褒められた。
いつ聞かれていたかは分からないけれど、過去の自分を褒めてあげたい。
と、笑顔の質が切り替わる。
「だから、コラボしたくなっちゃった」
それは同好者を見る目ではなく、同業者を見る目。
肉食獣のようなプレッシャーに背筋が伸びた。
だけど。
「負けないでね。楽しみにしてるから」
「はい! よろしくお願いします」
沙耶さんがそう言ってくれるならら頑張らないわけにはいかない。
わたしはどうにか目を合わせてそう返すことができた。
それだけ言って沙耶さんはリハーサルに向かう。
残りがさえ良い匂いがした。
「こーわー」
「ムンディバは元々歌唱力が売り。負けられなさはあっちが上」
ひょっこりと両隣に桃香と彩音が立つ。
沙耶さんがいる間は後ろで見守ってくれていたらしい。
口ではそう言っていても、二人とも負ける気は微塵もなさそうだった。
「優香? どうする?」
最終確認のような問いかけに、わたしは顔を上げた。
もういない、推しの背中をじっと見る。
「……歌う」
メタルを好きなアイドルがいていいのか。
イメージを壊さないか。
ふとした瞬間に湧き上がる恐怖は、まだある。
でも、これを前にして逃げる方がもっと怖い。
わたしの決意に桃香は破顔すると、背中を何度も叩いてくる。少し痛い。
「よっし、応援してる! 大丈夫だって」
「アイドルほど何でもかけ合わせられるものはない」
彩音の冷静な言葉。
二人のと話していると少しずつ落ち着いてきた。
「二人とも、ありがとう」
大きく深呼吸。
まずはグループでのライブ。そのあとにコラボ。
やることは決まっている。
「沙耶さんが認めてくれるなら、わたしは負けるわけにはいかないの」
コラボ相手として、隣に立てる人間として。
わたしから逃げるという選択肢はなくなったのだ。
※
ドキュメンタリーの動画が終わる。
ここまでがクリスタル・ハーモニーのドキュメンタリー前半らしい。
わたしはわざわざホームシアターでドキュメンタリーを流してくれた張本人を見つめた。
その張本人――沙耶ちゃんは楽しそうに笑っている。
「どうですか? ヘビメタ好きとして人気アイドルになった優香ちゃん?」
「沙耶ちゃん、昔の動画は恥ずかしいよ」
ソファの上でクッションに顔を埋める。
どっちもふかふかで、クッションはわたしのお気に入りだった。
プロジェクターの電源を切った沙耶ちゃんがわたしの隣に座る。
「好きなものを好きって言えるようになってから、優香は人気出たわよね」
「沙耶ちゃんが一緒に歌ったからでしょ」
東京アイドルフェスタで、人気アイドルがヘビメタでコラボしたのだ。
話題性もあり、歌もまずまず歌えていたからか、あっという間に露出が増えた。
沙耶ちゃんは小さく肩をすくめて、あの頃と変わらない黒髪を手で流す。
「それだけじゃないと思うけどなぁ」
わたしは小さく首を横に振った。
沙耶ちゃんが一緒に歌ったから、多くの人に見てもらえた。
沙耶ちゃんが一緒に歌ったから、わたしは逃げずに好きなヘビメタを歌えた。
沙耶ちゃんが一緒に歌ったから。
わたしにとってはそれが全て。
「今じゃ、グループでも堂々対バン張るようになっちゃって」
「……嬉しいんでしょ?」
「当然」
拗ねるような口調で言ったかと思うと、すぐに肉食獣みたいな笑顔に切り替わる。
画面越しで見ていたときには知らなかった。
沙耶ちゃんは大人っぽい見た目とは裏腹に、子供っぽいブブンやイタズラ好きな部分がある。
そして、何より歌う人に厳しい。
「やっと伸びて欲しい芽が伸びたんだもの」
待っててくれたのか。
あまりにも伸びて来ないからお尻を叩かれたのか。
松浦さんのミスからクリスタル・ハーモニーは大きく成長できた。
「負けないよ?」
「こっちのセリフよ。明日、楽しみにしてるわ」
「うん」
明日は東京アイドルフェスタの日。
レギュラー出演になったクリスタル・ハーモニーと、相変わらず、圧倒的な歌唱力でアイドルの先頭を走るムーンディーバの対バンの日。
一年に一度、沙耶ちゃんと表でぶつかれる日だ。
わたしは祈りを込めるように目をつむった。
祈る相手は沙耶ちゃん。
そう決めている。
マネージャーが箱の大きさを間違ったせいでレベチのイベントに出なきゃいけなくなった件 藤之恵 @teiritu
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