マネージャーが箱の大きさを間違ったせいでレベチのイベントに出なきゃいけなくなった件
藤之恵多
第1話
マネージャーの松浦さんの一言にわたしは固まった。
聞き慣れた単語。憧れの単語。
それをこの以上聞きたくないタイミングで聞いてしまったのだ。
恐る恐る、確認するように尋ねる。
「東京アイドルフェスタって……あの?」
「世界一の規模と称され、人気アイドルからガールズバンドまで網羅する、あの東京アイドルフェスタです」
東京アイドルフェスタ。
アイドルと名のつく活動をしている人間ならば誰もが一度は憧れる舞台。
つばを飲み込む音が自分の耳に響く。
楽屋を見回せば、リーダーの桃香はゲームを片手に首を傾げているし、彩音はメガネの位置を直しているだけ。
愕然としているのはわたしだけのようだ。
「あたしたちって、TOYOアイドルフェスに出るんじゃなかったっけ?」
「東京よりTOYOのほうが規模が小さい。単語としては逆の意味なのが受けるところ」
桃香の言葉に彩音が答えた。
淡々とした答えは常に冷静な彼女らしいのだけれど。
そう、出る予定はTOYOアイドルフェス。
こっちなら地下アイドルのような人も多く出る、会場の規模も小さい。
わたしは焦る様子を見せない二人の肩を揺すった。
「桃ちゃん、彩ちゃん、それどころじゃないでしょ」
元々TOYOアイドルフェスに出るはずのアイドルが、なぜか東京アイドルフェスタに出ていること。
それを問題にしているわけで。
わたしの問いかけに二人は揃って顔を見合わせた。
「出れないんじゃなくて、出れるんだからいいんじゎない?」
「でも、東京アイドルフェスタだよ。箱だって、とんでもなく大きいし」
なんというポジティブな考え。
桃香のこの性格に救われてきたところは大きいが、今は駄目だ。
箱の大きさ、キャパシティとアイドルとしての人気が釣り合わなすぎる。
「いくらだっけ?」
「場所は東京ドーム。ステージは2つで真ん中にコラボステージがある」
冷静な彩音の言葉が頭の中でエコーのように響く。
東京ドーム。
中野サンプラザを埋めることさえ難しいわたしたちに、東京ドーム!
目眩がした。
「ドーム……ステージ2つ」
「人数としては四万人が入ります」
呆然と繰り返す。
ドームでのコンサートはとにかく広大なイメージだ。
もっとも観客として行った身なので、ステージからの景色は想像もできなかった。
「四万人? 二千の箱もキツイのに……?」
単純計算で二十倍だ。
いくら単独ライブではないとはいえ、四万のキャパシティがそう容易に埋まるとは思えなかった。
自分たちの目の前だけ観客がスカスカなんて嫌だ。
「行けるって」
「他のアイドルのファンも居るし、来なくてもいつものこと」
ポジティブすぎる宣言に谷底に落とされたような気分になる。
これはたまにある理解し合えないやつだ。
「そうじゃなくってぇ」
私が言いたいのはそういうことじゃない。
よほど 情けない声が出ていたのか、桃花にほっぺたをつつかれた。
ひとしきり触った後、桃香はマネージャーを振り返る。
「あ、じゃ、配信で早速言おうかな」
「公表はいつからなんですか? 松浦マネ」
桃香はアイドルでありながら YouTube で配信も行っている。
内容はゲーム配信。
基本的に桃香がゲームをしながら喋っているだけの内容だ。
彩音は配信はしていないが、SNSで自分が残った山と一緒に頻繁に投稿している。
普段ライブには来ないようなファンも2人には多くいた。
「よ、よかった……出てくださるんですね!」
松浦さんが二人の反応を見てほっとしたように胸に手を当てる。
目の前で見ているうちに事態が進んでいく。
「うん、いいよー!」
「構いません」
2人の返事とは裏腹に、松浦さんの反応から私は湧いた 疑問をぶつける。
「ちょ、辞退もできるってことですか?」
「できないことはないですが」
松浦さんが眉間にしわを寄せながら答えた。
なんだ、辞退できるんだ。それを早く言って欲しかった。
わたしは 松浦さんに詰め寄った。
「じゃ、辞退しましょうよ! ドームで閑古鳥とか、恥ずかしすぎて」
「それが……」
渋い反応。
公表されていないイベントを辞退することで一体何か困ることがあるのか。
ひたすら答えを待っていると、桃香がスマホを見ながら言った。
「東京アイドルフェスタから動画出てるよ」
「え?」
まさか。嫌な予感が胸をつく。
桃香の指が滑り、テンションの高い声が聞こえてきた。
わたしは桃香の肩の上から覗き込むようにして画面を見る。
『今年の出演者が決定!』
画面には東京アイドルフェスタの文字が踊っていた。
軽快な音楽と共に次々に有名なアイドルが発表になる。
でも数の多さとレベルの高さに、わたしの血の気は引いていく。
「おー、テレビで見るようなグループばっかり」
「単独でもドーム埋められそうなアイドル・バンドが多い」
本当にその通りだ。単独で埋められる人たちばかり。
嫌な想像がひたひたと現実感を帯びてくる。
言いながら楽しそうに画面を見つめる桃香と彩音の精神力を分けて欲しい。
画面が切り替わった。
『ニューフェイスはクリスタル・ハーモニー!』
初出演だからか、画面いっぱいにグループ名とアー写が出る。
見た瞬間に少しテンションが上がり、すぐに下がっていく。
これが出たということは、もう断られないということじゃないか。
わたしは力をなくしたようにしゃがみ込んだ。
「お、この間撮ったアー写! みんな可愛いじゃん」
「アー写だけなら、負けてない」
そんな訳がない。
このラインナップに並べられて、初顔だから大きな扱い。
わたしは頭を抱えた。
「コメント欄に『誰?』の乱舞が見える」
「だ、大丈夫です。優香さん! ここで有名になればいいんですからっ」
慌てて近づいてきた松浦さんが同じ体勢で励ましてくれる。
ネット社会は怖い。
なんでもすぐバレるし、残ってしまう。
「マネージャー……まだ、間に合います。辞退しましょう」
隣に来てくれた松浦さんの腕をつかみ、揺さぶる。
「それが、公表された後の辞退は違約金が発生しまして」
「え? いくらなんですか?」
違約金。だから、松浦さんはあんなに焦っていたのか。
どうか大したことない金額でありますように。
そう祈りながら答えを待つ。
「……百万です」
「ひぇ」
足から力が抜けた。
本当に座り込みそうになって、慌てて立ち上がる。
百万円。
断るだけでその値段とは、さすが大きなイベントは違う。
「ど、どうするんですかー!」
勢いのまま松浦さんの肩を諤々と揺さぶった。
「ははは……」と遠い目をする松浦さんは、きっとこの部屋の中で唯一わたしと同じ感覚を持っている人だ。
と、動画を見続けていた桃香がスマホを振った。
「優香、優香の好きなムンディバからメッセージ届いてるよ!」
「ええ?!」
ムーンディーバ。
その名前の通り圧倒的な歌唱力を上にしたグループだ。
何よりメンバーの一人である月城沙耶さんを推していた。
桃香のそばに寄り画面を覗き込む。
「見せて、見せて」
「はいはい」
桃香のスマホを奪うようにして齧り付く。
画面に集中するわたしの隣で桃香が松浦さんと話していた。
「ムンディバも出るんだ」
「あそこは実力派として常連ですよ」
その通り。
わたし自身、彼女たち目当てで東京ドームに行ったことがある。
あまりの広さと観客の多さ、そして人気のないグループの前の対称的な寂しさ。
あの光景が目に焼き付いているから、出場が怖い。
『今回の東京アイドルフェスタへの意気込みをお聞きしたいと思います!』
出場者の紹介から、インタビューへと動画は変わっていた。
画面にはムーンディーバの3人が映っている。
沙耶さんは右端が定位置だ。
スラリとした骨格から、なぜあんなにパワフルな声が出るのか不思議でしょうがない。
『毎回、コラボが取り立たされますが、月城さんがコラボしたいお相手はいますか?』
『そうてすね。クリスタル・ハーモニーの優香ちゃんですかね』
と、唐突に聞こえてきた自分の名前にわたしは今度こそ固まった。
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