終章-3

 どうやらあの日から1ヶ月ほど寝ていたらしい。

 幸いにも弾丸は頭蓋骨を滑って、横に抜けたとの事だ。

 若干の気だるさはあるが体は問題なく動く。


「マヤ、ありがとう」


 改めて目の前の少女に礼を言う。

 マヤが居なければ、私は先輩の死に目に間に合わなかっただろう。


「京香さんの所に行くわ、着いてきてくれる?」


 マヤが頷いた。

 私は3つのスマートフォンを握りしめて、ベッドから立ち上がった。




 コンコン


「…はい」


 扉の奥から、別人のように沈んだ京香さんの声が聞こえた。


 ガラリ


「琴音…ちゃん」

「お久しぶりです」


 そう言って、京香さんに頭を下げる。

 余りにやつれた京香さんの姿に、忸怩たる思いを抱く。


「先輩と、話させてもらっても良いですか」

「…分かったわ」


 京香さんがふらふらと椅子から立ち上がる。


「先輩、私を救ってくれて、ありがとうございます」


 ベッドに横たわった先輩は何本もの管が刺さっていた。


「録音、聞きました。身勝手でぶっきらぼうで、でもとても優しくて…先輩らしかったです」


 蒼白で痩せ細った先輩の腕に手を這わせる。


「もしクソ野郎が居たら、遠慮なく先輩の心残し、使わせてもらいますね」


 先輩に繋がれた心電図モニターを見る。

 それは、今にも動きを止めそうなほどに弱々しかった。


「でも、すいません。私は円香と先輩の命を何もせずに散らす事は出来ません」


 そう言って京香さんの方を見る。


「京香さん、お願いがあります」




 先輩の通夜が終わり、ようやく全ての弔問客が帰った。


「…何度も聞くようだが、本当に良いのか?」


 一息ついていると、先輩のお父さん、雲野誠士郎さんに声を掛けられた。


「ええ、何も問題はありません」


 そう言って隣を見る。

 そこには半分以上寝ている京香さんが、壁に寄りかかるように座っていた。


「京香さん、お家に帰りましょう」


 そう言って京香さんの背中を擦る。


「…ああ、ごめんね。寝てたみたい」

「いえ、お疲れ様です。タクシーは呼んであるので帰りましょう」


 京香さんの体を支えて、一緒に立ち上がる。


「ありがとう…琴音ちゃん」

「いえ」


 式場には私達3人しか残っていない。

 未だに難しい顔をしている誠士郎さんを連れて、私達はタクシーに乗り込んだ。


「京香さんは寝ました」


 リビングのソファに座り、水を飲んでいた誠士郎さんに声を掛ける。


「そうか、ありがとう」

「では、私は帰ります」


 そう言うと、誠士郎さんが僅かに躊躇ってから口を開く。


「明日も朝から葬式だ。泊まっていったらどうか」


 誠士郎さんの言葉に私は首を降る。


「いえ、そういう訳にもいきません」

「…そうか、分かった」


 誠士郎さんは、難しい顔をしてコップをテーブルに置いた。


「では、失礼します」

「ああ、今日はありがとう」


 円香の家を出てスマホを開くと、まだ終電には間に合う時間だった。

 火照った体に、夜の風が心地良い。


 お腹に手をあて、空を見上げる。

 そこには、一人だけの月が虚しく灯っていた。




「琴音ちゃん、本当に良いの?」


 いよいよ施術の日が来た。

 京香さんが泣きそうな顔で私を見ている。


「はい、もう決めた事です」


 きっぱりと言い切るが、しかし京香さんは深い迷いの内にいるらしい。


「でも、貴女の人生はこれからずっと続くのよ」


 目を細めて京香さんの目を見る。


「そうです。だからこそ、真剣に考えて決めたんです」


「でも、でも…」


 何かを言いかけてから、京香さんが黙り込む。


「お母さんも絶対に喜んでくれますよ」


 そう言うと、京香さんは救いを求めるように瞳を潤ませた。


「真由…。本当に、そう、なのかな」


「はい、必ず」


 その時、受付から私の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「では、行ってきます」


「うっ…うっ…」


 京香さんは2つ折りの携帯電話を握りしめて、誰かに謝るように目を閉じていた。




 病室に向かいながらお腹に触れる。


「…っぅ」


 目覚めたあの日から、"それ"は火傷するほどの熱を持ち始めていた。

 下腹部の激しい疼痛は、今やカッターで切り刻まれるほどの痛みになっており、日常生活すら困難だった。


 …少しは、遠慮しなさいよ。


 名前だけは決めている。

 雲野識月。

 この名なら"何"が産まれても、生きていけるだろう。


 …もうすぐ、出してあげるわ。




 後に、この幻想の世界に魂の存在を知らしめる者。

 今日が、その生命を授かった日だった。


 ー零章 完ー

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この幻影の世界に魂を狩る 一条行弘 @corty

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