夢みるブラックボックス

葛瀬 秋奈

夢みるブラックボックス

 このところ週末は自宅に引きこもりがちだったのだが、学生時代の友人から急に誘いがあり、二つ返事で会いに出かけた。社会人になると利害関係なく楽しく飲める友人の存在は貴重なのだ。


 出かける途中、最寄り駅の改札口で変なものを見た。光沢のない黒い立方体。箱だ、と直感的に思った。落とし物なら駅員に届けるべきだが、残念ながらこの駅は夜と早朝には無人になる。監視カメラがあるから盗まれることはないだろうと、そのままその場を後にした。


 待ち合わせ場所に着くと、小野と才賀が同時に手を上げて私へ挨拶した。細身で目立った特徴がないのが小野で、眼鏡をかけているのが才賀だ。直接会うのは数年ぶりだったが、それを忘れさせるほどの気安さだった。


「よお、水嶋」

「オフでは久しぶりだね」

「待ったか?」

「いいさ、あの路線は本数が少ないし」

「急だったしな。むしろよく来たもんだ」

「暇だったんだよ。たまたま、ね」


 照れ隠しに「たまたま」などと言ってはみたが、そうでないことは気づかれていただろう。二人とも感情の機微に聡い奴らだから。


 才賀とは、大学のボードゲーム同好会で出会いよく卓を囲んだ。大雑把なダイス狂いだったが、騙されやすくどこか憎めない人たらしだった。小野はそんな才賀が「シナリオを書ける」という理由で文芸サークルから引っ張ってきた。ほぼ素人だったのにいきなりTRPGのGMとかいう無茶振りをこなしていたあの対応力は尊敬に値する。


「それで、どうするんだ。呼ばれたから来たけど、今日は何も持ってきてないぞ」


 居酒屋で落ち着いてから、口火を切ったのは小野だった。どうやらこの集まりの発案者は才賀の方らしい。


「人も時間も少ないし、ワンナイト人狼でもやるか?」

「いや、トランプなら持ってきてるけど、今日はゲームがしたくて呼んだわけじゃないんだ」


 それでもトランプは持ってきているあたり流石だと言いたいが、ゲームがしたいわけじゃないと言われて少し身構えてしまった。金や宗教の話なら断らなければいけない。


「ああ、先に言っておくが借金とか勧誘とかそういうのじゃない。ただ少し、与太話がしたかっただけさ」

「与太話って?」

「ああ。……なあ、お前らってもう電脳化手術してる?」


 小野の質問には答えずに、才賀は一瞬だけ店の監視カメラに目をやってから胡乱な話を始めた。私は思わず小野と顔を見合わせる。


「そりゃ、したよ。確か義務だろう」

「一応、拒否権はあったはずだけど。便利だから僕はしたよ」

「いや、俺もしたけどさ」

「何なんだよ」


 数十年前に画期的な技術が発明されて心理的ハードルの下がった電脳化は爆発的に国民に普及した、らしい。らしいというのは生まれる前の話だからで、私達の世代が物心つく頃には脳を電脳に置き換える手術はもう一般的になっていたはずだ。いまや非電脳者は一部の信仰上の理由がある者か年寄りぐらいしかいないのではないか。


「……『ブラックボックス』って知ってるか?」


 唐揚げを食べようと伸ばした手がびくりと止まる。才賀の顔を見ると眼鏡が曇っていて表情がよく見えなかった。何故、どうして黒い箱の話がここで出るのだ。


「黒い箱なら、さっき落ちてたけど」

「えっ」


 私の返事がよほど意外だったのか、才賀は絶句した後慌てて眼鏡を拭き始めた。冷静になろうとしてるときの彼の癖だ。


「え、そのへんに落ちてるもんなの?」

「違う。が……まさか拾ってないよな」

「触ってもいないよ」

「そうか、良かった」


 才賀は安心したように笑ってジョッキに残っていたビールを飲み干した。


「実はさっき話そうとしてたこととも関係するんだが……『ブラックボックス』には、記憶情報が保存されてるんだ」

「記憶情報?」

「俺達のいるこの世界はその巨大な黒い箱の中で演算されてる仮想現実に過ぎない、という話がある、らしい」

「なんだ、世界5分前仮説か?」

「何だっけ、『夢見るままに待ちいたり』?」

「それはクトゥルフ」

「世界が5分前に生まれたって説も世界が邪神の見てる夢だって話も似たようなもんだろう」

「乱暴すぎるし、俺は現実の話をしてるんだ」

「なら陰謀論じゃないか」

「アルファコンプレックスじゃあるまいし、友人を売り渡したくないぞ」

「だから違うんだって。ちゃんと根拠もある」


 根拠もあると言いつつ土台の話が「らしい」という伝聞系なのがいかにも怪しい。


「……この前、変なうさぎの夢をみて、起きたらプリンが増えてたんだ」

「プリンが?」

「増えてた?」

「でも、そもそもそれ以前の記憶も曖昧で……日ごとに昔の記憶がなくなってる気がして、偽の記憶じゃないって証明できなくて」

「それで今日、会いたいって言ったのか?」

「そう。お前らの顔も忘れる前に、どうしても会いたかった」


 さめざめと泣く才賀を見ていたら、それ以上は追求も反論もできなくなって、ただ彼が落ち着くまで見守ることしかできなかった。


 才賀と別れて駅のホームに向かう途中、小野と二人で話をした。話題はもちろん、才賀のことだ。


「……どう思った?」

「言ってることがめちゃくちゃだった。そもそも記憶が曖昧ならプリンが増えたことが根拠にならないし」


 その通りだ。才賀の話は支離滅裂で、けれどとても切実だった。途中で茶化してしまったのが申し訳なくなるほどに。


「僕が思うに、才賀は電脳ウイルスにやられたんだろう」

「電脳ウイルス?」

「落とし物に偽装して感染させる手口があるらしいんだよ。認知機能に作用するとか」

「都市伝説だろう。『願いを叶えるアプリ』みたいな類の」

「それだって都市統括AIが管理しやすくするためにばら撒いているという噂もある」

「噂は噂だ、それこそ陰謀論だ」

「だと良いけど。人の脳こそブラックボックスとも言うし、水嶋も気をつけなよ」

「まあ、そうだな」


 そこで終電が来たので慌てて乗り込んだ。振り返ると小野がまだ何か言いたげな顔をしていたが、結局黙って手を振ったのでこちらも振り返した。


 自宅の最寄り駅へと戻ってみると、とっくに清掃用ドローンに回収されたと思った箱は変わらずそこにあった。全ての光を吸収したかのような漆黒。そんな真っ黒な箱から、たった一筋だけ光が漏れていた。どうやら穴があるようだ。先程気づかなかったのは、まだ明るい時間だったからだろう。


 どうしてか好奇心に抗えず、箱に近づいてしまった。箱本体には触らないように慎重に、穴から中を覗く。最初に薄ぼんやりとした桃色が見えて、次第に像を結ぶ。立体映像だろうか。桃色は満開の桜だった。その下に、石地蔵が並んでいる。色とりどりのマフラーを巻いて。


「もし、そこの人」


 急に声をかけられて慌てて立ち上がり振り返る。目を凝らしてよく見ると、5メートル程先の暗がりに、坊主が立っていた。違う。坊主頭で黒い学生服を着た少年のようだ。マフラーだけは藍色だが。


「申し訳ないが、それは拙僧の大切なものなので返していただけますか」


 坊主みたいな少年は坊主みたいな口調で話した。それ、と言って指差したのは黒い箱だった。どうやら彼はこの箱の持ち主であったらしい。


「あ。いえ、こちらこそ邪魔してすみません」

「ああ、かたじけない」


 軽く頭を下げて私が箱から離れると、少年は駆け寄って箱を抱え上げた。持ち上げてみるとちょうど人の頭が入りそうな大きさだとわかるその箱を、少年は本当に愛おしそうに抱きかかえる。


「ありがとうございます。本当に大事なものなので」

「ええ、そうでしょうとも」


 大切な、思い出の詰まったものなのだろう。彼の様子を見ていればわかる。それをこっそり覗き見てしまった恥ずかしさと気まずさで早々にここから立ち去りたい。けれど少年は頭を上げてこちらを見ると、真顔で見つめながらにじり寄ってきた。


「あの……まだ何か?」

「失敬。知人に似ていたもので、つい。水嶋という名に覚えはありませんか」

「ああ、親戚がたくさんいるのでそのうちの誰かとは似てるかもしれません」

「そうですか。では、ご縁があればまたお会いしましょう」


 どこか大人びて遠い目をした少年は、黒い箱を抱きかかえたままふらりと夜の闇へ消えていった。およそ子供の出歩く時間ではないが、識別コードが管理側のものだったから大丈夫だろう。


 それにしても、気の毒なのは小野と才賀のことだ。二人ともあんな陰謀論に取りつかれて悩んでいるなんて。水嶋なぎさの自我データがとっくの昔に『私』というAIに置き換わっていても気づかず友人として接してくれる善良な彼らが、監視カメラに怯えているなんて。これは早急に統括に願い出て記憶の改竄をしてもらうべきだろう。そうすれば、またよく眠れるようになるだろうから。


(了)

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