【KAC20243】『透明な箱』
小田舵木
【KAC20243】『透明な箱』
「お前も12になったか。ならば渡すべき物がある」お祖父ちゃんの座敷でそう告げられた私。
「渡すべき物?一体全体なに?お赤飯的な物なら要らない」
「…お前も子どもを産める歳か。だが。そういう事は婆ちゃんに任せる」
「で?結局は何なの?」
「ちょっと待ってろ…」お祖父ちゃんは自らの後ろのふすまを開けて。物置の中から物を取り出して。私とお祖父ちゃんが座るテーブルの上に置く。
それは。透明な箱だった。
見た目としてはアクリルかガラスで作られていて。中身は―空っぽ。
「…おしゃれな小物入れ?」私は問う。
「いんや」
「じゃあ?」
「コイツにはな―宇宙、世界が詰まっている」
「謎掛けの類?」
「ある意味ではそうだが。事実として。この箱には世界が詰まっている」
「哲学的な話な訳?」
「哲学的には。世界を見渡す私らの内に世界は詰まってる」
「神経科学的にもそうだと思う」
「脳を世界と取るか」
「ええ。脳なしでは世界は観測できない」
「科学に傾倒するのもいいが。それは一種の信仰に過ぎない」
「今の世の中で。宗教以上に信仰されてるのが科学な訳で」
「それを疑い、検証するのも大事だぞ?」
「12歳の私には荷が重すぎる」
「そんな事はない。そも。12歳くらいが。一番物事を考えられる時期だ」
「買いかぶり過ぎじゃない?」
「偏見や信仰。そういう物がこびり付いてない時期。それが12歳だ、だからこそ。私はコイツを君に託す訳だよ」
「託されたトコロで。私にはただの透明な箱にしか見えない」
「そこから思考の羽を伸ばすのだ」
「これは…お祖父ちゃんからの宿題?」
「そうかな。ま、早々に答えを出す必要もないが」
◆
かくして。
お祖父ちゃんから託された透明な箱。
お祖父ちゃん
だが。私には。ただの透明な箱にしか見えない。
私は箱を叩いてみる。コンコン。
箱は。うんともすんとも言わない。
この中に世界が詰まっている―
それはある意味そうだろう。世界の一部が切り取られて。この中に収まっているのは事実だ。
だが。お祖父ちゃんの言い方では。
この中に。まるっと世界が詰め込まれている…らしい。
私は箱を開けてみようとするが。
透明な箱には。蓋らしき物は付いていない。
…この中を伺うには。箱を破壊する他ない。
けど。箱は透明な訳で。中身は見えているようなモノなのだ。
わざわざ壊す価値はあるのだろうか?
私は箱を勉強机に置いたまま、ベッドに寝転がる。
箱を見つめ過ぎた。飽きてしまったのだ。
ふかふかのベッドに寝転がれば。世界はあっという間に暗くなる。
眠い…
◆
私は落下していた。
遠い空から。地面に向かって。
ああ、夢だな。そう思った。
落下する夢はある種定番だ。私はよく見る。
地面に激突する前に眼が覚めるに違いない…
私は落下しながら、周りの景色を見ていた。
レイリー散乱で青く染まった空。
その中を私は落下していた訳だが―
見えてはいけないモノが見えた。
それは…ガラスだ。空の向こうに。ガラスが見えて。その先は。私の部屋だった。
私は落下しながら頭をフル回転させる。
要するに…私は…箱の中に居る?
◆
眼が覚める。
気がつけばベッドから落ちていて。
私は床から起き上がる。
そして。勉強机の上を見てみるのだが。
お祖父ちゃんから託された箱は消えていた。
…意味が分からない。
私は確かに。お祖父ちゃんから透明な箱を受け取ったはずなのだ。
夢の中で。私は…私は。何に気付いたんだっけ?
何か大切な事に気付いたはずなのだ。
何か。見てはいけないモノを見たはずなのだ。
とりもあえず。
私は部屋を出て。お祖父ちゃんの座敷に向かってみる―
が。そこには。仏間が広がっていた。
そして。仏間には。お祖父ちゃんの写真が飾られているのだった。
ああ。そう言えば。
私のお祖父ちゃんは。2年前に他界している。
葬式に出た記憶が微かにある。
では?
あのお祖父ちゃんから箱を託されたシーン。アレは一体何だったのか?
私は考えてみるが。夢として片付けるのが妥当な気がする。
しかし。あの夢は…夢にしてはリアル過ぎたのだ。
座敷の畳の感触が。まだ手に残っているような…
だが。私には。あの夢を検証する術はない。
なにせ。夢から覚めたらここに居たのだから。
私は。
仏間を出て。トイレに行って。
部屋に戻って。ベッドの上に寝転がって。
夢の中に再び落ちていく。
◆
「そいつは。ある種のメタファーだ」私の前に座る旦那は言う。
私は。旦那との晩酌の席で。夢の話をしていて。ふと。あの夢を思い出したのだ。
「メタファーって言われてもね。私の祖父はその時には他界していた訳で」
「冥界から君に箱を託したんじゃないのか?」
「まさか。冥界なんてありはしない」私はすっかり科学の徒である。
「だけど。ロマンチックじゃないか。孫に世界を託す祖父」
「ロマンチックではある。でも意味が分からないの」
「それこそメタファーなんだよ。どうとでも取れるのさ」
「にしては。手触りのある夢だったけどね」
私は酒を傾けながら。あの夢について考える。
…私は。そもそも
いや。現実は現実だ。
私は。結婚して。子どもさえ居る。リアリティを
だが。この世界が。現実である保証はあるのだろうか?
…ない。それを検証する術さえない。
私は私の脳を介して世界を受け取っている。その世界は。私の脳が解釈する世界で。
客観的に存在を証明することは出来ない。脳という箱の中に居る限り。
…。
私は考える事を放棄する。
考えたって無駄だし。そもそも私には人生があって。子どもが居て。
こんなしょうもない事に
リアルというものは時間制限付きなのだ。
◆
私は。いつしか。
あの夢か現か分からないシーンのお祖父ちゃんと同じ年齢になっていた。
私にも孫が出来て。今や、私も何かを託す年齢になってしまった。
私は部屋に孫を呼び寄せて言う。
「お前も12になったんだね。託すべき物がある」
私はお祖父ちゃんと同じように。透明な箱を用意して。孫に示す。
これはある種の儀式である。
私はお祖父ちゃんから、メタファーを託された。
それは―私なりに解釈すると。現実なんて夢と変わりない、という事だ。
今、生きている現実が。夢か現かなんて、保証はないのだ。
私達は脳を介して世界を受け取っている。それは曖昧な境界線上にある。
透明な箱に世界が詰まっている…そういう可能性すら十分にあり得る事なのだ。
疑ってかかるべきなのである。自分が生きている現実がリアルなのかどうか?
そして。そういう可能性を考慮出来るのは12歳までだ。
余計な知恵が付いてしまえば。現実を疑う事などなくなる。
さあ。孫よ。世界を疑ってかかれ―
◆
やはりというか。
孫は。透明な箱の中に落ちて行った。
過去の私と同じように。
私は孫の部屋の透明な箱を見やる。
その中には落下していく孫。
私は過去の自分を眺めている気分になる。
私も。こうやって箱の中に落ちた。
そして。その世界を生きている。
…こうやって孫を別の世界に送り出したのだから。
私も。そろそろお役御免らしい。
お祖父ちゃんと同じように。私も。
孫と。彼女と。別れる時が来たらしい…
◆
私は病院のベッドに寝かされている。
それを上から眺めている。
ああ、これは私の死のシーンらしい。
私は科学の徒で。こういう宗教チックな現象は信じていない。
これは夢の類だ。
あまりリアリティがない…
リアリティのないシーンは。
私のベッドの
ピー、っと電子音が鳴り響き。
私の心臓は停止し、その内、脳も停止するだろう…
◆
私はふかふかのベッドの上で目を覚ます。
さっきまで心臓が停止していたような気がするのだが。
私の心臓は、元気に鼓動を打っている。
私はベッドから起き上がって。
机の上を見てみる。そこには割れた透明な箱。
私は。この箱の中に落ちて―この箱の中で生きていたはずなのに。
そう。私は。この箱の世界に属していた。
だが―死と共に離脱して。
この現実に戻ってきてしまった…
私は割れた箱を始末する為に、箒とちりとりを用意しに家のリビングに降り立つ。
そこには。死んだはずのお祖父ちゃんが居て。
「やあ。箱はどうだった?」と訊いてくる。
「…人生を一周経験するハメになった」
「そうかい。君にとってはそういう箱だったかい」
「お祖父ちゃんは。あの箱がどういうモノになるか分からないまま、私に託した訳?」
「そうだよ。ま。コレが我が家の12歳の通過儀礼というモノさ」
「全く。エライ目にあった…まだ12なのに。80年分の人生を歩むハメになった」
「勉強になったんじゃないか?」
「と、言うよりは。現実なんてモノが如何に曖昧かを思い知らされた」
「夢か現か。そんなモノは曖昧な境界線上にある」
「まったくね。私は。あの箱の中身を現実だと思い込んでいた」
「その時の君にとっては。十分に現実だったと思うよ」
「ええ。子どもが出来て孫が出来て…疑う余地を無くしていった」
「疑える内に疑っておけ、我が家の家訓だ」
「勉強になりました」
「ま、これからの人生の参考にするがいいさ」
「…参考になるかしら?」
「参考にするのが、学習というモノさ」
◆
かくして。
私の12歳の通過儀礼は終了した。
…結果として。私は。現実を疑う目線を身に着けるに至った。
現か夢か。そんなモノは曖昧な境界線上にある。
【KAC20243】『透明な箱』 小田舵木 @odakajiki
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