でーた

香久山 ゆみ

でーた

 トイレ休憩から戻ると、詩織はすでに作業を再開していた。

「すみません、遅くなって。手伝います」

 慌てて声を掛ける。

「いえ、大丈夫ですよ。用事はもう済みましたし、これ以上手伝ってもらうつもりでお呼び立てしたのではないですし」

 詩織は遠慮するが、そんなわけにもいかない。

 書店主である詩織は、改装中の入居型高齢者施設の図書室の整理を、ボランティアで請け負っている。ドアが開かないなどのトラブルで作業を一時中断したため、足元にはまだ中身の入ったダンボール箱が十数箱置かれている。これらの箱に詰められた本を書架に配置していくのは、なかなかに手間だろう。

 少しの下心もある。ひっそりとした図書室に二人きりなのだ。

「気にしないでください。どうせ帰ったところで仕事もなくて暇なんで」

「ではお言葉に甘えて、箱を開けていくのを手伝っていただこうかしら」

 詩織がふっと笑う。

「それじゃあ、まずあの箱を下ろしますね」

 一つだけ本棚の上に乗ったダンボール箱がある。少し黒ずみ、他の箱よりも古そうだ。中身が見えないから重さは分からない。頭上の箱へ手を伸ばす。

 箱の側面に手を添えた瞬間に、ふと違和感を持つ。

 さっき、トイレに行く前に、こんな場所にダンボール箱などあっただろうか? 箱はすべて足元に置かれていたように思う。――いや、たんに気付かなかっただけだろう。トラブルでバタバタしていたから。

 違和感よりも、詩織にいいところを見せたいという浮ついた気持ちの方が勝った。

 箱をぐっと手前に引く。

「う、わっ!」

 ダンボール箱は想像以上の重さで、抱えきれずに手から滑り落ちる。

 そのまま体勢を崩し、とっさに両腕で頭を庇う。が、いっこうに箱がぶつかる衝撃がこない。

 そろそろと目を開けると、視線の先に白い腕が見えた。

「大丈夫ですか?」

 見上げる先で、詩織がにこっと微笑む。ダンボール箱は宙に浮かんだままだ。しゃがみ込む俺のすぐ後ろに立った詩織が、両手で箱をキャッチしてくれていた。

「本って、意外と重いですからね」

 書店主の詩織はやすやすと抱えた箱を床に下ろした。俺はそれを唖然と見つめる。

 紙が案外重いということは知っている。俺はそのつもりで箱を持った。箱を手前に引いた時に、大体の重さも把握したつもりだ。しかし、本棚から下ろした箱は、のだ。まるで鉄の固まりでも入っているみたいに。書店が日頃より重労働だといったって、特に筋肉質というわけでもない彼女があのように軽々と持てる重さではないはずだ。

 何かがおかしい。

 見つめる先では、詩織が下ろしたばかりのダンボール箱の梱包を解こうとしている。

 箱にはいくつかのラベルが貼られているが、文字はかすれて読み取れない。疑念を持っているせいか、その内の何枚かは御札のようにも見える。

 詩織が封をしたガムテープの端に爪を掛ける。べったりくっついているようで、カリカリと爪を立てている。

 妙な既視感。

 開けてはいけない。俺の本能が告げる。

 なぜ。分からない。どこでこの箱を見たのか。記憶を辿るように必死で箱の側面を観察する。脇に貼られたラベルに、数字を読み取れた。

 あ!

「詩織さん、待って!」

 俺が声を上げたのと、ベリベリベリと詩織がガムテープを剥したのが同時だった。

 ダンボール箱の蓋が開くと同時に、中から何かが飛び出した。

「くそっ」

 視線で追うも、ドアの隙間から出て行ったようで、もう姿は見えない。

「えっ、どうしたんですか?」

 詩織が、俺の様子に戸惑った表情を向ける。

 黙りこくったまま入口を見つめる俺をよそに、箱に視線を戻した詩織がさらに戸惑いの声を上げた。

「あれっ」

「どうしました」

 ようやく視線を戻した俺に、詩織が箱の中を指差す。

「この箱、空っぽなんです。確かに何か入っていたと思ったのに……」

 二人で呆然と空の箱を見つめる。俺は絶望感を持って。

 嫌な予感しかしない。

 箱のラベルは『No.9』と読み取れる。

 このタイプ文字には、刑事時代に覚えがあった。

 ――未解決事件番号一桁台。

 かつて未解決のまま捜査終了となった事件たち。中でも特に凶悪なものや異様・不可思議な事件に、一桁の番号が振られていた。「一桁台に関わるとろくなことが起こらない」とまことしやかに囁かれる案件。

 しかし、それらの資料は警察庁の保管庫の奥深くに眠っているはずだ。こんな所にあるはずがない。気のせいだ。

 そう思うのに、冷汗が止まらない。

 未解決一桁台ならば、このような不可思議が起きたって不思議ではない。一時期一桁台の事件を追っていた俺自身が身に沁みて知っている。9番ではなかったが、俺が刑事を辞めるきっかけとなった。

 それで今、霊能探偵なぞしている。ただ視えるようになっただけで、それ以外何の力もない。霊の声すら聞くことができないくせに。

「あの、どうしましょうか?」

 詩織が不安げな表情を向ける。

「いや、どうもありません。作業を再開しましょう」

 笑顔を向ける。は出て行ったのだから、彼女には関係のないことだ。

 すべての箱の中身を出して、空のダンボール箱を捨ててくると言って、俺は図書室を出た。

 施設裏のゴミ集積所で、携帯電話の通話ボタンを押す。

 数コールの後、相手が出た。

「未解決事件番号No.9について、調べてほしい」

 そう告げると、かつての同僚は小さく息を呑んだ。少しの沈黙の後、やめておけとは言わずに、分かったと返事があった。

 電話を切って、しばらくそこでぼんやりしていた。

 まったく俺は何をやっているんだ。

 一桁台は、未解決のまま時効を迎えた事件だ。今更、首を突っ込んだところでどうにもならない。だいいち一桁台にはもう関わらぬと誓ったはずだ。関わるとろくなことが起こらない。

 そうだ。どうにもならない過去よりも、現在を優先すべきだ。

 今日は、詩織にいいところを見せる絶好の機会ではないか。今も一人で作業しており、人手が必要なはずだ。

 ぺたんこに解体したダンボール箱を、どさっと無造作に集積所に積む。のだ。俺は図書室に引き返した。

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