貴方の隣に

@coral8989

第一話

私には前世の記憶がある。それも猫だった頃の記憶だ。世界でもごく稀にそういう記憶を持っている人がいるらしいが、普通に考えたら虚言だと言われるのに、猫とは。なぜ私にそのようなものがあるのかはわからない。そして、それは目を閉じると鮮明に浮かび上がってくるのだ。

 その記憶は必ずある場面から始まる。ある寒い冬の日、その日は天気が悪く雨が降っていた。少し離れたところには明るくライトアップされた道があるが、雨のせいか人通りは少なかった。

そんな、人目につかないような所に自分は、ずぶ濡れかつ空腹のまま動けず倒れていた。なぜそういう状態になっているかは全くわからない。でも、もう指一本も動かせない。辛うじて意識だけを保っているような状態だったのだ。そんな時に彼が私の目の前に現れたのだ。彼は倒れている私を見て、すぐに抱えて走り出した。

彼に抱きかかえられた私は抵抗できるわけも無く、久しぶりに感じる温もりで意識が飛んでいた。

次に目が覚めると、見覚えの無い部屋に居た。寝起きではっきりしない頭をフルに動かして、意識が飛ぶ前のことを必死に思い出そうとしていた。ぼーっとしている私の目の前に、私を助けてくれただろう彼が現れた。彼は、起きている私を見てバタバタと急いで部屋から出て行ってしまった。そんな彼を唖然と見ていると、急激な空腹に襲われた。当たり前だ何日も何も食べてないのだから。最後に食べたものは何だっただろうかと考えていると、焼き魚のいい香りがしてきた。その匂いを辿ると、また別の部屋にいきついた。私専用の朝食もしっかり用意されていた。移動してきた私を見て彼は、おはようと声をかけてきた。私はおはようと返事を返した。彼は、笑顔を向けて何かを言ってきたが、お腹が空いていた私は、彼の話を聞かず勢いよく食べ始め、あっという間に完食した。その様子を見ていた彼はまた、笑顔になった。

 ご飯を終えた私は、家の中の冒険を勝手に始めた。見るもの全てが初めてで、驚きに溢れていた。家は広く冒険は楽しかった。冒険がある程度終わったとき、彼に外に出るように促された。外に出た私は、車に飛び乗った。初めて車に乗ってハイテンションになっていると、ある建物についた。今となれば病院ということはわかるのだが、前世の私は初めて行くところだった。病院では、いろんな検査をして、ヘトヘトになったが、彼がずっと傍にいてくれたので落ち着いていた。家に帰ってくると、また彼がご飯を作ってくれた。それもまた美味だった。

 それから、冷たい冬の時期は終わり、綺麗な桜が咲く時期になった。私は基本家から出ることは無く、家から出てもベランダくらいなのだ。外は自分だけで出るのが怖く引きこもっていた。そんな私に対して彼は、何かを強要してくることは無かった。そもそも彼は日中家にはおらず、家には私しかいないのだ。いないからと言って何かするわけでもなくだらだらと過ごしている。私は動き回るのが得意では無いので、ベランダで日向ぼっこするのが日課なのだ。日中での日光浴が終わった後は、彼の書斎の棚の上で寝るのも楽しみの一つだ。夕方ごろになると彼は帰ってくる。そんな彼を出迎えることも日課であり、彼との大切なコミュニケーションになっている。この頃の前世の私は、彼の言葉を少しだけ理解できるようになっていた。おはようやただいまなどの簡単な言葉はなんとなくわかるようになったのだ。しかし、私の言葉は彼には伝わってないらしく、意思疎通は全くできないのだ。別にそれで困ることは無いので、少し寂しさを感じるが特に気にもしていなかった。

 帰ってきた彼は、私に手作りのご飯を作ってくれる。彼のご飯は美味しいので、つい食べ過ぎて太ってしまうかもしれない。食べてる私の頭を笑顔で、優しく撫でてくれる彼のことがとても大好きだ。

 しかし、そんな生活は突然終わってしまうことを私は考えてもいなかった。

それは、私が彼と出会ってから、5回目の春が来て、桜が散り始めたころだった。最近彼は帰ってくる時間が遅くなった。いつもなら帰ってくる時間に中々帰ってこなくなり、朝に帰ってくるときもあった。最初は彼になにかあったのでは。と不安になったこともあった。しかし、帰ってくる彼はだいたいどこか浮かれていた。ご飯はだんだん手作りで作ってくれることは無くなった。すぐにできる出来合いのものが増えたのだ。それが私はとても悲しかったのだ。手作りをお願いしても彼には言葉は通じないので、私の願いは届くことはない。そこから1週間後、彼は綺麗な女の人を連れて帰ってきた。私というものがありながらなんなのだろう。彼が連れてきた彼女と目が合うと、余裕の笑顔を振りまき頭を撫でようとしてきた。本能的に嫌いになったのですぐに、書斎に逃げた。その後も良く彼女は家に来るようになった。彼は彼女に夢中で私が目に入ってないようだった。ご飯が手作りになることも無く、頭を撫でてくれることもなくなった。むしろ邪魔物を見るような目で見てくるようになった。今まで優しくしてくれていた彼はどこにいってしまったのか。私に向けていた笑顔、優しさ、温かさは全て彼女に取られてしまった。それが、とても悲しく、悔しかった。どうにかして、彼の気を引きたかった私は、彼の部屋を荒らし始めた。彼の大切な書類を破いたり、壁を傷つけるようになった。しかし、彼はさらに冷たい視線を私に向けてくるのだった。私をもっと見て!とどんなに彼に伝えても伝わることは、ない。

そして私は家を追い出されてしまった。扉を閉じる彼に向かって私は、お願い!いい子にするから!もう、、一人は、嫌だよと泣き叫んだ。無情にも目の前に扉は閉まり、開くことはなかった。

 放浪生活がまた始まった。絶望の淵にいる私は生きる気力など無く、ただただ何日もひたすら歩いていた。人の家のゴミをカラスと一緒に漁る日々。辛くて泣きそうだった。私の体はみるみるやせ細っていった。そこから私の生活はとても酷いものだった。カラスや他の猫には虐められ、人間には煙たがれる毎日。時には石や棒を投げられた。そして、寒さ厳しい冬が来た。なんとか半年間命を繋いでいたがとうとう限界が来た。意識が朦朧としている私はいつの間にか、彼の家の前に辿り着いていた。この半年間生きてこれたのはまた、彼と過ごしたい。それだけだった。あの温かい笑顔、ご飯、5年間の幸せな記憶が蘇る。私が醜い嫉妬心なんか生まなければと今更ながらに後悔した。もっと彼とすごしたかった。もっと彼のえがおをみたかった。もっと、、、あなたのよこに、、。


 ここで毎回前世の記憶は終わる。閉じていた目を開けると、私の前世を知らない綺麗な青空が顔を覗かせていた。そしてしばらく、物思いに耽っているとどこからか私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

声がする方を向くと、彼が笑顔で手を振っている。私はその姿を見て、目を潤ませながら控えめに手を振り返し、勢いよく駆けていった。

貴方の隣にいつまでもいられますようにと願いながら。

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