第26話 魔術師の隠し部屋②

 レイクは国立魔導技術研究所の前でタクシーを降りた。

 正門の前に立った彼は白く塗られた建物を遠目に眺める。現在のアルトネリア帝国の隆盛を支える技術のいくつかはこの場所で生まれた。そう考えると顔を見たこともない技術者たちへの敬意で胸が満たされた。


 守衛に案内された先の所長室で、レイクは現所長のマイアス・デミスと面会した。


「申し訳ありません。お忙しいところお時間を割いていただいて」

「いえいえ、ブラウエル侯爵家の頼みとあらば喜んで協力いたしますとも」


 マイアス・デミスは五十手前のやや肥えた男だ。艶の良い肌に媚びるような笑みを浮かべ、太い両手を揉んでいる。

 彼の後ろには秘書のミーシャ・トラウプスが立っていた。黒縁眼鏡をかけた三十歳になる女で、無表情のままレイクとデミスが会話する様子を見つめている。


 レイクとデミスはテーブルを挟んで対面に座る。

 デミスは探るように訊ねた。


「ええと、それで――この施設に出入りしている配送業者について調べているとのことですが、何か問題がありましたか?」

「既にお伝えしましたが、その配送業者が数日前に殺害されるという事件が起きました。その事件に不審な点がいくつかあり、ここに勤めている方々にお訊ねしたいことがあるのです」

「それはつまり、その事件にうちの職員が何か関わりあるという話ですか?」


 デミスは“殺人”という単語に過敏に反応している事実を隠そうとしなかった。彼が厄介事に巻き込まれるのを忌避しているのは簡単に読み取れた。


「いいえ、そういう話ではありません。ただ何か事件の手掛かりとなる事実を御存じの方がいるかもしれないというだけです」


 レイクは当たり障りのない言葉を述べる。デミスは警戒心を秘めた目でじろじろと眼前の青年を見つめるが、彼は涼しい顔をするだけだった。


「ええ、勿論何かあれば協力するのは我々の義務ですとも」

「お手数はおかけしません。ただいくつか質問をさせていただければ結構です」


 デミスは妥協することにした。ここで不要な発言をして心証を害するのも良くないと考えたからだ。何よりブラウエル侯爵家の人間に善意の協力者として名を憶えてもらうことも悪くない。彼は名誉と体裁を重視する人間だった。


「分かりました。私はここにいますので、何かあればお声かけください。案内はトラウプスに任せます」

「ありがとうございます」


 ミーシャ・トラウプスに連れられたレイクが最初に向かった場所は、研究所の一階に設置された食堂裏の調理場だった。食材を搬入するワイラックと普段から顔を合わせる機会の多かった調理魔術師たちはレイクの質問に対し、口を揃えて言った。


「ワイラックさんは朗らかな人だったよ。仕事もしっかりこなす人で礼儀正しいし。空いた時間は世間話に興じてたよ」


 調理師長の中年女性は、ワイラックの死に残念そうな表情を見せた。


「調理場で働いてる方たちは皆彼と親しかったのですね。研究員の方に仲の良い方はいましたか?」


 レイクの質問に調理師長は「うーん」と唸る。


「そうだねえ。たまに挨拶する人はいたけど別段親しいって人はいなかったと記憶してるけど。どうだい、あんたたちは知ってる?」


 リーダーから質問を回された若い調理師たちは顔を見合わせる。その中で一番年の若い娘が何かを思い出したような顔をした。


「ああ、そういえば少し前にロームさんがワイラックさんに話しかけているのを見ましたね。二週間くらい前だったかな?」

「ロームさん?」


 レイクが訊き返すと、若い女性調理師は答えた。


「はい、凄い学者さんなんですよ。ヴィクター・ロームという方です。結構有名な人なんですよ」


 その名を聞いた瞬間、レイクの中に電流が走った。


(ヴィクター・ローム!)


 レイクはヴィクター・ロームの名を耳にしたことがあった。魔導器具の研究者であり、独自開発した技術の特許をいくつか取得している人物だ。

 彼の名を知ったのはリン・クレファーの影響で、魔導機関の最新技術について重点的に調べていた時のことだ。ある研究誌には、ヴィクター・ロームは自動車用魔導機関の効率化に大きく貢献したと書かれている。


(そうか。確かあの研究誌にもここに所属しているって書いてあったな)


 レイクは思わぬ名前が出てきたことへの興奮を抑えつつ、質問を続けた。


「ロームさんとワイラックさんがどんな話をしていたかはご存じですか?」

「いいえ、そこまでは。ただワイラックさんはちょっと迷惑そうな顔をしてましたね。ええと、確かいつも車を停めている場所の後ろにある植え込みの所で話していました」


 彼女は調理場の外へレイクを誘い、駐車スペースが並んでいる場所の一角を指差した。

 レイクは調理場を離れると真っ直ぐ駐車場へ向かう。駐車場の後方には等間隔で植え込みが設置されていて、どれも綺麗に剪定されている。ワイラックがいつも車を停めていたという位置のちょうど真後ろにも丸く剪定された植え込みが一つあった。


(ここにいつも車を停めていたのか)


 レイクは屈んで植え込みの根元を覗き込んだ。枝と葉で土が隠れているが、下に手を入れる程度の隙間があることを確認する。彼はそこに手を差し込み左右に軽く振ると、一人で納得するかのように頷いた。

 レイクは立ち上がると建物の中へ戻り、待機していたミーシャに話しかける。


「すみませんトラウプスさん、ヴィクター・ロームさんとお話したいのですがどこにいますか?」

「ロームさんは交通機械研究室に勤めておられます。ご案内しましょう」


 交通機械研究室は施設一階の西端に位置している。案内する途中でミーシャはこの研究室が自動車、船舶、飛行船などの新技術を研究している場所であると説明した。

 レイクが案内された先は研究員用のオフィスだった。部屋の中では既に連絡を受けて待っていた主任研究員のイグナス・バロウズの姿があった。

 イグナス・バロウズは神経質そうな目を忙しなく動かす痩せぎすの男だ。まだ四十歳であるにもかかわらず老人のような印象を受けた。


「どうも、この研究室の主任を務めるイグナス・バロウズです。ロームくんに何かご用があると聞きましたが?」

「お仕事中すみません。実はある事件の調査でロームさんにお訊ねしたいことがございまして。こちらの研究所に出入りしていた食料輸送車のドライバーが亡くなられた事件を御存じですか?」


 バロウズは大仰に頷いた。


「ええ、聞きました。殺されたそうですね」

「彼のことでロームさんに二、三質問したいのです」

「分かりました。彼は今は実験室にいます。こちらにお呼びしましょう」


 レイクはバロウズがすぐに了承したのを意外に思った。彼の態度が所長のデミスと似ていたことから、真意を探るような問いかけがされると構えていたからだ。しかし、バロウズは事件について詳しく訊こうとしなかった。


 バロウズが部屋を出た後、残されたレイクはオフィスを見回した。彼の他には男性の研究員が一人いるだけだった。研究員はデスクに座り、コーヒーを飲んでいた。ミーシャ・トラウプスは案内をした後、所長室へ戻っていった。

 ふと、壁にかけられた額縁入りの写真がレイクの視界に入った。彼は暇潰しのつもりで壁に近づき、それを眺める。写真の中に白衣を着た二十名ほどの人間が並んでいる。


(これは集合写真か。ここの研究員たちかな)


 レイクは写真の中央付近に立つヴィクター・ロームに注目する。ヴィクターの写真は以前研究誌で目にしていた。集合写真に写るヴィクターは研究誌で見たものより硬い表情をしている。二つ隣にはイグナス・バロウズの姿もあった。

 そこでレイクの目の動きが止まる。彼はバロウズの前に立っている男の顔に焦点を合わせた。その男の顔には見覚えがあった。


(ここに写っているのは……ショウ・ライリーじゃないか)


 そこにはライボルト区のスラムで闇医者をしているショウ・ライリーが写っていた。ショウはレイクの忠臣であるエレニカ・ブレイズの古い知人であり、“三叉のカーマイン”の事件で面識を持った仲だ。事件後も元掏摸のニコラス少年の更生に関する件で一度相談を受けていた。


(今と比べると随分清潔感があるな。以前はどこか大きな所に勤めていた魔術師だって聞いたけど、まさかここだったとはな)


 レイクが写真を眺めていると、背後に誰かが立つ気配を感じた。振り返ると先程までデスクに座っていた研究員がすぐ後ろにいた。白衣に付けられたネームプレートには『ガラド・アニン』と記されている。


「どうかされましたか?」


 ガラド・アニンはコーヒーの入ったカップを片手に持ち訊ねてきた。


「ああ、この写真に写っている人を知っていましてね。ここに写っているのはショウ・ライリーさんじゃないですか?」


 レイクが答えると、アニンの眉がぴくりと動いた。


「ええ――そうです。三年前までこの研究室にいました」

「そうでしたか。世間は狭いものです」


 アニンはオフィスの入口を一瞬見やった。それから声を潜めて訊いた。


「貴方はライリーと知り合いなんですか?」

「少し前に別の事件の調査で会いました。良い人でしたよ」


 レイクは穏やかに微笑みながら言ったが、アニンの顔は渋くなった。レイクは彼の表情が先程のバロウズと似ていることに気づいた。


「あの、貴方はひょっとしてライリーが辞めた時のことを調べるために来たんですか?」


 思ってもいない質問が飛んできたことで、レイクは困惑した。


「いいえ、別の件ですが。先程バロウズさんにご説明した通りです」

「でも、あの死んだドライバーのことを調べに来たって言いましたよね?」


 レイクにはアニンの言葉の意味が分からず、訊き返すしかなかった。


「言いましたよ。それが何故ライリーさんの話になるんです?」

「だからそれは――」


 そこでアニンははっとして口を噤んだ。それから慌てた様子で首を振った。


「すみません、違うならいいんです。失礼します」


 アニンは言い直すと逃げるように研究室から出ていった。

 後に一人残されたレイクは、アニンを引き留めようと伸ばした手を空中で揺らすしかなかった。


(今の話はどういう意味だ? 何故ショウ・ライリーの話からワイラックの話に繋がる?)


 レイクは集合写真に視線を戻した。

 写真の中のショウ・ライリーは笑っていた。

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帝都道楽貴族 夏多巽 @natsutatatsumi

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