第25話 魔術師の隠し部屋①
九月に入って間もないある日、レイキシリス・ブラウエルはバルドア区北部に建つ魔獣競技場に赴いた。
魔獣競技場は飼い慣らした魔獣を使ったレースを開催する大規模な公営賭博施設であり、地上四階と地下二階に分かれている。地上では馬の魔物による競馬が、地下では水鳥の魔物による競泳が開催され、集まった帝都民は手に汗と投票券を握り勝負の行方を見守るのが日常だ。
この日、レイクは地下の競泳場に足を運んだ。目的は観戦ではない。併設された飲食スペースで待ち合わせをするためだ。
レイクは空いている席の一つに腰を下ろす。周囲の席から客同士が歓談する声が飛び交っている。誰もレイクには意識を割いていない。
それから十数秒経った頃に彼の背後に誰かが立つ気配がした。
「やあレイク、久しぶり」
声をかけられたレイクはゆっくりと振り返る。立っていたのは眼鏡をかけた金髪の優男だった。背はレイクと同じくらいで身体つきは細い。一見するとどこかの会社の事務員のようだ。
「久しぶりガレリス。元気そうでなにより」
レイクはアルトネリア帝国第一皇子ガレリス・レヴィノスに友人として笑いかけた。
ガレリスはレイクの対面に座る。
「最近の君の噂は耳にしているよ。リン・クレファー嬢と随分
「仲良くといっても普通の友達付き合いの範疇だよ。勘繰られるようなことはない」
「そうか……」
何ともないという風のレイクにガレリスは優しい眼差しを向ける。レイクの言葉に偽りは見られない。彼が心から言っていることをガレリスは悟った。弟のソルがこの言葉を聞けば複雑な表情を見せたに違いないと心の中で呟いた。
「“仕立屋”も久しぶり」
「ご無沙汰しております、レイキシリス様」
レイクはガレリスの傍らに侍るもう一人の人間にも挨拶する。黒いスーツを着こなした壮年の男だ。
「しかし、どうして仕立屋がいるの? 帝国一の諜報機関のトップが同行するなんて穏やかじゃないね」
仕立屋と呼ばれた男の本名をレイクは知らない。ただ、仕事上そう呼ばれているためレイクもその名で呼んでいるに過ぎなかった。彼についてレイクが知っているのは帝国最高峰の
「まさにその穏やかじゃない話題をするために君を呼んだのさ」
「その様子だと相当な厄介な事態が起きたみたいだ。表にはしたくない案件?」
ガレリスは頷く。
「ああ、君向きの案件だ。まず仕立屋の話を聞いてもらおう」
皇子が視線を向けると、仕立屋は立ったまま小さくを礼をして話し始めた。
「では、手短に説明させていただきます。三日前の朝、バルドア区東部の住宅街にあるアパートの一室で男性の遺体が発見されました。発見者は同じアパートの住民で、被害者宅に用事があって赴いたところ呼んでも応答がなく、玄関の鍵が開いていたので中を覗いてみたところ遺体を発見したとのことです」
仕立屋はスーツの内ポケットから一枚の写真を取り出す。
「遺体の身元はドーン・ワイラックという三十代の男で、職業は食品輸送車輌のドライバーです。こちらが遺体の写真になります。少々気分を害されますのでご注意を」
テーブルの上に差し出された写真を手に取ったレイクは眉を顰めた。
「これはまた……」
写真の中の遺体は、頭の左半分を大きく損傷していた。まるで硬い果実を割ったかのような有様だった。
「遺体の頭部は半分が砕けていましたが、残りの部分から身元を判別できました。検視の結果、頭部の断面から魔力の痕跡が検出されたことから何らかの魔導器具によって破壊されたと考えられます。帝都警察は殺人事件と見て捜査を開始しました」
「それだけだと単なる殺人事件のように思えるけど、勿論そうじゃないんでしょ?」
レイクの言葉にガレリスは心底面倒そうな顔をした。
「ああ、問題は殺されたドーン・ワイラックがエラリス共和国のスパイだったという点にある」
エラリス共和国の名を聞いた瞬間、レイクの眉間にさらに皺が寄った。
「露骨に嫌そうな顔になったな。『ティンメル公爵家の醜聞』を思い出したか?」
「まあね。それでワイラックがスパイと結論づけた根拠は?」
レイクは湧き上がった不快感を抑え込んで訊ねる。
仕立屋が答えた。
「ワイラックの部屋を捜索したところ、エラリス共和国の大使館職員と会っていた記録が発見されました。その職員はスパイ活動の指揮を担当している疑いで以前から四課が目をつけていた人物です。さらに両者の間で金銭の授受を裏付ける証拠も出てきたことから、我々はワイラックを黒とみなしました」
「ワイラックがエラリス共和国に買収されていたとして、どんな役割を担っていたというのさ?」
ガレリスは身を乗り出すと声のトーンを抑えて言った。
「奴は帝都各地のオフィスに業務用食材を配送するのが仕事だった。その配送先の一つが国立魔導技術研究所なんだよ」
国立魔導技術研究所は自動車、船、飛行船、発電設備など輸送やエネルギー生産にかかわる技術を研究する機関として知られる。魔導機関時代の到来にも大きく貢献したと云われている。
「魔導技術研究所から研究資料を盗んだって? 確かなの?」
「ワイラックの部屋で発見されたメモにも研究所の名が記されていて、その下に“荷物”という言葉が重要そうに丸で囲まれていた。他には過去の日付と例の大使館職員と会う旨の走り書きもあったよ。ワイラックがその日に研究所から“荷物”と称されるような物を受け取ったことはないと既に判明している。恐らくその“荷物”というのが研究所内部の情報だと踏んでいる」
レイクは考える仕草を見せる。ガレリスと仕立屋はその様子をじっと見守った。
しばらくしてレイクは口を開いた。
「たかがドライバー一人でできることじゃないね」
「ええ、ワイラックだけではありません。奴に研究資料を渡した奴がいる」
仕立屋もまたレイクに同意した。
「我々の考えはこうです。研究所内部に潜伏しているワイラックの仲間が少なくとも一人いて、その人物が機密情報をトラックの駐車場所付近か搬入路の近くに隠した。ワイラックは食材を搬入する際にそれを回収した」
その推測は正しいだろうとレイクは考えた。盗み出した資料は嵩張らず、どこか狭い場所に隠すことができる。人目につかず回収するのは困難ではない。
「それで俺にこの事件を調べてほしいと?」
「ああ、四課が表に出て捜査するわけにはいかないからね。あくまでドーン・ワイラック殺害事件の調査を依頼されて、彼が普段行っている場所を当たっているという体で行ってほしいんだ」
「まあ、それが無難か」
レイクは仕立屋の顔を見つめた。
「今の四課の見解を訊いておきたいんだけど、ワイラックが殺されたのはスパイ活動と関係があると思う?」
問いかけに対して仕立屋は顎を撫でながら答えた。
「今はまだ何とも言えませんね。現場の状況から強盗目的の殺人ではないと思われますが、いかんせん情報が不足しています。過激な殺害手段からして怨恨の線も捨てきれません」
「つまり、殺人とスパイ活動は別件の可能性もあると。俺の仕事はあくまで研究所内部に潜むスパイを暴くことで、殺人犯を見つけ出す必要はないってことでいい?」
レイクはガレリスに調査目的の確認をする。ガレリスは曖昧に笑った。
「無関係ならね。だが、もしその二つに関連があるとするなら殺人犯の正体を暴くことがスパイの正体を暴くことに繋がるかもしれない。というわけで大変とは思うが、殺人犯探しとスパイ探しは並行して進めてほしい」
ガレリスの回答にレイクは溜息を吐いた。
「まあ、やってみるよ。放置しておくと共和国が首を突っ込んでくる可能性もある。早いうちに解決するに越したことはないからね」
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