箱庭と蜻蛉
こうちょうかずみ
箱庭と蜻蛉
子どもというのは動物やら何やらを飼いたがるもの。それは私も例外ではなく、幼い頃はペットショップに行くのが大好きだった。
そんな中、小学生の頃から飼い始めたのが熱帯魚の一種グッピー。
当時の友達が飼っていたのを分けてもらったのが始まりだった。
とはいえ、その年代の子がまともに自分で世話をするわけもなく、私がやっていたのは毎日のエサやり程度。掃除なんかは完全に母親に任せていた。
それから問題だったのは病気。
一匹にかかってしまうともう手遅れで、結構繁殖して数も増えていたのだが、結局は次第に数が減り、絶滅してしまった。
しかし、これで終わりというわけではなく、なんと今度は私の道楽を傍から見ていたはずの父が、どっぷりと熱帯魚にのめりこんでしまったのだ。
父はコリドラスという3センチ程度の小さなナマズのような熱帯魚をいつの間にか飼い始め、水槽の中にたくさんの水草を植えていった。
初め小さな水槽から始めたはずの飼育は、いつの間にかひと回り大きな水槽に変わり、それなりに立派なアクアリウム・水の箱庭が出来上がっていた。
そんなあるときだ。
私が“奴”を見つけたのは。
水槽の底に我が物顔で居座る異様な生物。
フリフリと二股に分かれた尾を振り、大きな目を持つそれは、どう考えても魚の形をしていなかった。
――ヤゴだ。
そう結論付けたのは入念に図鑑で調べてからだった。
なにせ、私も両親も、全くその存在に心当たりがなかったのだ。
私に至ってはヤゴなど間近に見るのは初めてだった。
虫というのはどんな種でもそうだと勝手に思っているのだが、じぃっと近くで見るとなかなかに気持ち悪い見た目をしている。
特にこのヤゴなんかは本当に怪獣のような風貌を醸し出しており、正直あまり目に入れたくないとすら思っていた。
これはあくまで推測なのだが、そのヤゴはおそらく水草に卵の状態でくっついていたのだろう。それが水槽で孵化して成長し、こうやって現れたのだ。
何を餌にしていたかというと、そのときコリドラスの稚魚なんかはたくさん生まれていたので――まぁそういうことだろう。
ヤゴは初めの数日は底のほうにいたが、やがて水面近くをどこか苦しそうに動き回るようになった。
そう。ヤゴはトンボの幼生。
脱皮が近づいていたのだ。
私(実際にやったのは母)は、ヤゴを水槽から出し、浅く水を入れた虫かごに移した。
かごのなかには割りばしを入れて簡易的な止まり木を作り、ヤゴが羽化できるように整えた。
そして案の定、ヤゴは羽化する。
その瞬間を目にしたわけではない。
だが、あるとき気が付くと、そこにヤゴの姿はなかった。
代わりにそこにいたのは止まり木にくっついたヤゴの殻と、その上に停まる青緑色の体をした細いトンボだった。
見たこともない姿をしていたそのトンボは、ヤゴの姿とは比べ物にならないほど美しく、鮮やかな青緑のボディと透き通る羽をしていた。
秋になるとよく見かける赤とんぼのように太い体ではなく、糸のように細い体。
調べてみるとどうやら、イトトンボの仲間らしいことがわかった。
さて、トンボというのは本来、空を飛び回るものだ。
このまま狭い虫かごの中に入れておいても飼い続けることは難しい。
ちょうど近くに緑豊かな公園があったので、私はそこに虫かごを持って行き、放してやることにした。
今考えてみると、原産国がどこかもわからない水草についてきたトンボを野に放つのは良くないことなのだろうが、まぁ当時はそんなこと思い付くわけもない。
母とともに公園を訪れ、河川敷で虫かごを開けた。
しかし、なかなかトンボは外へ出ようとしなかったので、私は羽をそっと掴み、そばに生えてあったイタドリの葉にトンボを乗っけた。
それから間もなくだっただろうか。
トンボはぎゅんと飛び上がり、目で追うのもやっとのスピードでそのまま山のほうへと飛び去って行った。
人工の箱庭で生まれたトンボが、外の世界へ飛び立った瞬間だった。
実は、それからというもの水槽の中にヤゴが突然発生する現象はしばらく続いた。
卵はどうやら一つだけではなかったらしい。
しかし、トンボになり、大空へ羽ばたけた個体はその中の2, 3匹程度だったと記憶している。
大体は羽化のタイミングで足を滑らせて水に落ちてしまったりして途中で息絶えてしまっていたのだ。
今思うと、天然の木と違い、加工された割りばしでは表面がつるつるで落下しやすかったのだろう。
だからこそ、無事に羽化し、放すことに成功したトンボを見たときには感動したものだ。
よく死なずに飛び立ってくれたものだと。
今はもう熱帯魚もいなくなり、箱庭自体なくなってしまったが、その珍妙な出来事は鮮明に記憶に残っている。
たぶん、永遠に忘れることはない。
箱庭と蜻蛉 こうちょうかずみ @kocho_kazumi
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