ジョウロくんのカイダン手帳

中靍 水雲

1 黄泉の国への神隠し

 最近、動画サイトで小中学生を中心に流行っているチャンネルがあった。

 その名は、ホラーチャンネル『カイダン手帳』。

 心霊スポットや不思議なことが起きる場所を紹介してくれるというものだ。

 なぜ、人気なのか。

 それは、テレビ番組並みのクオリティの高い編集と――。

「誰が配信者なのか、わからない! それが、一番のドキゾワポイントなの!」

 お昼休みの教室で、ミオが興奮気味にアカリに言った。

「ど、ドキゾワ?」

「ドキドキ、そしてゾワゾワってことよ!」

「あ、ああ……なるほど」

「もちろん配信者が分からないホラーチャンネルなんて、ゴマンとあるの。でも、カイダン手帳に至っては、くわえてその動画のクオリティの高さに注目が集まってるのね。もちろん、個人情報な部分にはしっかりモザイクがかかってるんだけど……でも、普通だったら撮れないようなスポットや、そしてアングル。どういう技術で撮っているのかサッパリわからないところから、ウワサでは配信者は人間ではないのは……妖怪だとか都市伝説だとか、そういうたぐいなんじゃないのか、とまでいわれてるのよ!」

「な、何それ。ちょっと非現実的すぎない? あはは……」

 こわがりのアカリは言葉をつまらせながら否定するが、それがミオのおしゃべり癖に火をつけた。

 目を輝かせながら、アカリの鼻先まで近づいて力説する。

「アカリはさ。一時期、ネットでめっちゃウワサになった未来人の話、知ってる?」

「し、知らない……」

「とある掲示板に、〝自分は未来人です。なので何でも知っています。これからこの世界に起きることを予言しましょう。何でも聞いて下さい〟っていう書きこみがあったの。そして、その未来人が予言したことはことごとく大当たり! どう、すごいと思わない?」

「それってつまり、どういうこと……?」

「つまり、この世には非現実的なことが、今でも起きてるってことなの! カイダン手帳ってね、作りものだとか、ヤラセだっていう人もいるんだ。だけどさ、本物だっていう人もたくさんいるの。私は……本物だって信じてる!」

 自信たっぷりに言うミオをアカリはつい、うらやましそうに見つめてしまう。

 アカリは臆病だ。

 よく吠える犬、いつ刺されるかわからないハチ、味の分からない見たことのない料理。

 そして、正体の分からないもの。

 自分が経験したことのないものに触れるのが、どうしようもなく怖い。

 だから怖いもの知らずのミオのことを「すごいなあ」と尊敬しつつも、反対では「こんな話、聞かなきゃよかった」と肩を落としている。

 この世には怖いものは存在する、そう断言されてしまったからだ。

「ふっふっふ。では、さっきの続き! そんな、カイダン手帳で取り上げられて今まさに話題沸騰の都市伝説は……はい! アカリさん、何だったでしょうか」

「えっと、か……『神隠し』だっけ……?」

「その通り! 神隠しってね、私たちみたいな子供が歩いていると、黄泉の国から紫色の手が伸びてきて、肩を掴まれるんだって。でも、そこから一言もしゃべらずに家に着けたら、連れてかれないですむらしいよ」

 今、六年生であるアカリたちのクラスでは神隠しという都市伝説が話題になっていた。

 ある時、カイダン手帳で神隠しの動画を見た他クラスの児童が、その日の夕方、実際に神隠しにあったらしいというウワサが流れた。

 それから校内は、一気に神隠しブームに。

『二組の子が神隠しに遭いかけたけど、一言もしゃべらず帰ったら助かったらしい』

『私のいとこも、キャンプ中に紫色の手を見たんだって。走って逃げたらしい。足が速かったから、よかったって』

 廊下を歩けば「神隠し」だの「カイダン手帳」だのという単語が、耳に勝手に入ってくるのだ。

 ホラー大流行時代。

 こんな状況では、いくらホラーが苦手なアカリでも、ちっとも気にならないと言えば嘘になる。

 流行には、逆らえなかった。

「まさかアカリ自身から、じきじきに私に『神隠し』のことを聞きに来るとはねえ。アカリがちょー怖がりで、ちょっとでもホラーな話題を聞くと夜も眠れなくなるのは知ってたからさ。今まで話題にして来なかったけど……この一大ブームには逆らえなかったか」

「そりゃ怖いよ! でもさ、クラスで私だけ知らないってのは寂しいし。ミオはネットの事情に詳しいから、つい……」

「わかる、わかる。それで、どう? ちゃんと聞いてみると、そんなに怖くないでしょ。ちょっと物足りないって感じじゃない?」

「いや、何いってるの。十分、怖いって」

「ウッソ、まじかあ。この話には、続きがあるんだけどなあ……聞く?」

「無理! もう聞けない。眠れなくなちゃうよ。ねえミオ。今日、うち泊まりに来てっ」

「ありゃりゃ。土曜だったら親の許可おりたのに。平日に話さなきゃよかったよ」

 泊まりの件を真剣に考えてくれるミオに、アカリの恐怖心が少しだけ和む。

 やはり、持つべきものは友達だ。

「ごめん、ごめん。半分、冗談ね。大丈夫。でも、お泊まり会はまたしたいな!」

「うん、したいしたい!」

 五年生の夏休み、アカリの家で二人でお泊まり会をした。

 夜、少しだけ夜更かしをして長話をしたことは、今でもいい思い出になっている。

「学校じゃ、時間が限られてるからさ。なかなかできないもんね。〝無限恋バナ〟」

 無限恋バナは、ミオが命名した新ジャンルだ。

 学校じゃできないような長尺の恋の相談。

 キュンキュンするような真剣な恋愛の悩みを夜中まで、たっぷりと語りあうのだ。

「アカリの恋、応援してるよ!」

「ありがとう、ミオ」

「でも、なかなか進展しないんだよなあ」

「ううっ、だって恋なんて初めてなんだもん」

 アカリは四年生の頃からずっと、同級生の富士見リオンに恋をしていた。

 気配りができ、ムードメーカーな明るいリオン。

 そんな彼をアカリはこれまで、ずっと目で追っているだけだった。

「うかうかしてると、誰かにとられちゃうよ。リオンくん、結構人気なんだからさ」

 ミオがニヤニヤしながら肘で突いてくる。「止めてよお」といいながらも、アカリもそれは十分わかっていた。

 リオンは誰にでも優しい。

 それにスポーツ万能で、毎年運動会ではリレーのアンカーを務めている。

 欠点があるとすれば、給食にトマトが出るのをすごく嫌がること。

 いつも、仲良しのレンにトマトをこっそりと渡しているのをアカリは知っている。

 でも、そんなところもまたかわいいと思えてしまう。

「リオンくんに、告白しないの?」

「したいけど。でも、今は無理かな」

「アピールとか、ちゃんとしてる? 話しかけたりとか」

「うん。この間もリオンくんがハマってるゲームの話をレンくんとしてたから……」

「してたから、話題に入っていったの?」

「いや……いったんそのゲームを勉強してから、話しかけに行こうかなと思って」

「ありゃりゃ。ダメだこりゃ」

 ミオが呆れたように笑った。

「アカリがリオンくんとくっ付ける、一番の近道。知りたい?」

「な、なになに? 知りたい!」

「神隠しにあいそうになったアカリをリオンくんが偶然見つけて、助けてくれる! そして二人は〝吊り橋効果〟でラブラブエンド! どう、超エモくない?」

「つ、吊り橋効果……? 何それ」

「吊り橋を渡っているときみたいな怖い思いをした男女は、恋愛感情を抱きやすい! これぞ〝恋の吊り橋理論〟! いわゆる、恋愛心理学ってやつ。ときめくっしょ」

「もう、ミオってば。そんな映画みたいなこと、起こるわけないじゃん」

 ツッコミながらも〝そうなったらいいな〟――と思わずにはいられない。

(そんなことになったら、ちょっとだけ怖い話……好きになっちゃうかもなあ)

 なんて、こっそりと思いながらも……ミオがしてくれた神隠しの話を思い出し、アカリは背中をブルッと震わせた。


 *


 その日、通学団から別れたアカリは一人、家への帰り道を歩いていた。

 陽が沈みかけた空を見て、ふと昼間、教室でミオから聞いた話を思い出してしまう。

「神隠し、かあ」

 そんなファンタジー、本当にあったのなら大事件だ。

 しょせん、怖い話はただの〝話〟でしかない。

 現実とは違う、作りものなんだ。

 そうやって、自分で自分を慰めるアカリ。

 でも、こんなにウワサになっているなら、誰かの作り話ではないのかもしれない――チラッとそう考えただけで、ゾゾッと寒気を感じてしまう。

「いやいや。万が一、そんなことになったとしても〝一言も喋らずに家に着けたら、連れていかれない〟んだもんね。それを忘れないようにすれば、なんてことのない話だよ」

 そう改めて口に出してみるものの、心なしか歩くテンポは早くなっていた。

(怖いと思うから、怖いんだ。最近あった面白かったことでも考えながら帰ろう。そうだ、昨日見た動画サイトで、一番笑ったシーンは何だったっけ。えーっと……)

 あの角を曲がったら、もう自宅だ。あと、百メートルもない。

 ずっと怖がっていてもしょうがない。

 さあ、さっさと帰ってしまおう。

 そう、一歩踏み出した時だった。

 目の前に広がった、紫色。

 シワシワの指紋が、くっきりと見える。

 これは、手だ。

 大きな紫色の手が、自分の顔を覆っている。

「え……?」

 目を見開き、自分の今の状況を理解しようとする。

 しかし、その前に足は走り出していた。

 自分の家とは、反対方向に。

 帰らなければならない。

 家に。

 自分の帰りを待っている、家に。

 だが、何かが追ってきている気配を感じる。

 気持ち悪い、気持ち悪い……!

 足を懸命に動かしながら、恐る恐る後ろを振り返った――来てる。

 何十本もの紫色の細い腕がアカリを追いかけ、うねうねと蛇のようにうごめく。

「……ひいっ!」

(どうして? 私が、神隠しを怖がっていたから? だから、狙われたの?)

 緊張で破裂しそうな心臓。

 恐怖で震える足を、アカリはひきずるようにして走り続けた。

 そして、遠回りしながらも、なんとか再び家への曲がり角へとたどり着く。

『一言もしゃべらずに家に着けたら、連れてかれないですむらしいよ』

 ミオの言葉を思い出す。

 それだけが、今の心の支えだった。

 しゃべらなければいいだけ。

 そうすれば、連れていかれずにすむ。

 黄泉の国なんかに、連れていかれてたまるか。

 まだ、好きな人とデートもしたことないのに。

 片思いだけで人生が終わるなんて、そんなの絶対にいやだ。

(リオンくんとゲームの話をするんだ。そのために、苦手なゲームも頑張ってるんだもん。そろそろ、クリアできそうなの。リオンくんと、話がしたい。面白い子だって、思ってもらいたい。だから私、神隠しなんてされてる場合じゃないの!)

 その時、アカリの背中を誰かがぎゅうと抱き締めた。

 あまりの恐怖に血の気がサーッと引いていく。

 しかし、回された腕が目に入る。

 見覚えのあるグレーのパーカー。

 今日、これを着ていたのって――。

「リオン、くん……?」

 振り返ると、そこにはリオンが真っ青な顔をしてアカリをのぞきこんでいた。

 アカリの心臓がドクンと跳ねあがる。

 ミオがいっていた通りだ。

(本当に……リオンくんが、助けに来てくれた!)

 あまりの嬉しさに、涙がにじむ。

 その潤んだ視界に、紫色が映った。

 手だ。

 リオンの後ろに大量の手がうねっている。

(どうして、〝そっち〟にもいるの……)

 見上げると、リオンの目からも大粒の涙が零れ落ちていた。

「リオンくん。どうして、泣いてるの……」

 ぐん、とアカリの体が宙に浮かぶ。

 その腰には、紫色の手が巻き付いていた。

 そして、アカリは気づく。

 自分を追いかけていた手たちが、さっきよりも増えていることに。

 真っ黒な闇が、曲がり角で渦巻いているのが見える。

 リオンの声が、やたら遠くに感じた。

 深い闇のなかへと飲み込まれていく、アカリ。

 アカリが連れ去られるのを、リオンは涙を流しながら見ていることしかできなかった。

 アカリが完全にその場から消えてしまうと、リオンはその場にへたり込んだ。

 自分が助かるには、こうするしかなかった。

「アカリちゃん。アカリちゃんの気持ち、俺……知ってたんだ。だから、ああしたら声を出すかもしれないって……俺の名前を呼んでくれるんじゃないかと思って……。本当に、ごめん……ごめんなさい……」

 ――神隠しのウワサには、続きがあった。


『神隠しにつかまりそうになったら、同じ年齢の人間に代わりに声をあげさせればいい。そうすれば、紫色の手はそっちに移動して自分は助かる』

「あれさえ見ていなければ……俺はアカリちゃんにあんなことをしなかったんだ……『カイダン手帳』さえ見ていなければ……」



 *



 青年は周りに浮かぶ大量の白い毛玉を、掃除機で吸い取っていた。

 白髪の天然パーマに、紫のオーバーサイズのパーカー。

 黒いスキニーレギンスパンツにハイカットスニーカー。

 いっけん、高校生くらいに見えるが、二十代後半にも見える。

 そんな彼の額には、一本の短いツノが生えている。

 それは、彼が人間以外の生き物なのだということを表していた。

 そんな彼のもとへ、緑のランドセルを背負った少年が近づいてくる。

 少年は、青年の腰ほどの身長だった。

 肩まで伸ばした灰色の髪、そして黒いフォーマルな服装をしている。

「うしとらさん、どうですか? 撮影はうまくいきましたか」

「おお、今日も俺のケサランパサランちゃんたちは、いいアングルで撮影してくれたぜ。人間たちはただのホコリだと思っているだろうからな。至近距離での撮影もバッチリだ」

 ワイヤレス掃除機を得意げに持ちあげながら、うしとらはニカッとはにかむ。

 しかし少年はクールな表情を崩さずに、スタスタと歩き出した。

「そうですか。それではさっそく、編集に向かいましょう。今日の投稿に間に合わない」

「いや、今日? いやいや、無茶だろ。もう十四時だぞ!」

「いったでしょう。カイダン手帳は毎日十七時投稿を目指すと!」

 戸惑ううしとらに、少年はきっぱりといい放つ。

 うしとらは唇を尖らせながら、ぶつぶつと文句をたれた。

「マジか? 動画内で大々的に宣言したような大したルールじゃねえのに。大体、カイダン手帳自体、誰が配信者なのかも明かしてないんだし、んな責任感に問われる必要ねえんじゃねえの。つか、正直メンドクセー」

「きみの面倒くさがり、本当に変わりませんね。地獄の役人であったきみが、そんな体たらくでいいんですか」

 うしとらは地獄の役人、つまり獄卒と呼ばれる鬼だ。

 獄卒とは地獄に落ちた罪人を取りしまる役人のようなもの。

 うしとらは、その何人もいる獄卒たちのひとりだった。

 この少年と出会うまでは。

「俺はお前の〝目的〟の手助けをする。そして、目的が果たされたあかつきには、そのおこぼれを貰う。体たらくも何も、助っ人なんだから。常に本気を出す必要はなくね?」

「ああ、そうですか。じゃあ、編集作業はもういいです。そのかわり、助っ人としての役割は果たしてもらいます」

「は? 何やらせるつもりだよ」

「パシリです」

「あー」

 うしとらは、その一言で諦めたかのように頭をポリポリとかいた。

「コンビニでソイラテを買ってきてください。僕の好物のうちのひとつです」

 淡々と言う少年。

 それにうしとらは鬼の形相で吠える。

「はあ。お前なあ、ジョウロ! 地獄の獄卒である俺に大豆を買いにパシらせるとはいい度胸だな! 来年の節分は覚悟しとけ!」

「獄卒〝だった〟でしょう。ほら、さっさと行ってください。今夜の投稿に間に合わない」

「あーもー。わかってるよ、メンドクセーな!」

 鬼のごとき脅威の脚力で、うしとらは怒り狂いながら最寄りのコンビニまで走っていく。

 通りゆく人々は、そんなうしとらを驚きの表情で見送っていた。

 鬼のツノは走り出したと同時に消していた。

 コンビニの店員に、レジをしてもらうためだ。

 その律義さに、ジョウロと呼ばれた少年は、クスクスと笑った。

「まったく。獄卒はルールが大好きなんですから。人間界における、いわゆる縛りプレイってやつですか。何が楽しくて人間が決めたルールを守ろうと思うのでしょう。僕にとってはそれこそ、面倒以外のなにものでもないですが……。やはり、地獄を取り締まる鬼の性ってやつでしょうか。……さて、家に戻って編集を開始しましょう。僕たちの、理想の景色のためにもね」

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