第9話

 作戦当日。

 ギルが調べた情報によると、密輸団は既に私を狙っているらしい。モント公爵邸の近くをうろうろする不審な人物が何人か護衛に発見されている。私とギルは、護衛に敢えて捕まえるなと指示を出した。作戦の成功率を上げるにも、ここは泳がせないと。それに、おびき出すにはちょうどいい状況だ。


 私は外套も被らずに街に出た。見つけてくれと言わんばかりに、目立つよう動く。背後を見ると、屋敷を出てからずっと同じ人物が私の後をついてきている。

 街の外れに向かい、立ち止まる。彼らは待っていましたと言わんばかりに、すぐ行動に移した。男たちは背後から私に飛びかかる。


 羽交い絞めにし、布を顔に押し当ててくる。布には毒物の匂いはしなかったから、悲鳴を響かせにくくするためのものだろう。と、冷静に考えながら私は攫われるフリをする。演技するのも意外と難しいな。悲鳴が棒読みだと怪しまれるので、出来るだけ臨場感を演出するよう心掛けた。これが成功したら女優を目指すのもいいかも。


 暴れる振りをしながら辺りを確認すると、実行犯は男二人だけのようだった。近くには荷馬車が停まっている。貴族の女性を攫うにはこれだけの人数で充分だろうと思っての事だろうか。

 男に押さえられながら、私はもう一人の男に麻袋に入れられる。そして、荷物のように馬車の荷台へと乗せられた。人質だから仕方ないかもしれないが、もう少し丁寧に扱って欲しい。


 私は麻袋の中で履いているブーツに手を伸ばす。前世の自分はそうでもなかったが、バーバラの体はとても柔らかいので軟体動物みたいに動ける。ブーツに仕込んでいた小型のナイフを手に取ると、麻袋の一部を切り裂いた。外の景色が見えるようにする為だ。


 貴族の女だからと舐められているのか手足の拘束はない。私としても非常にありがたい事だった。馬車の荷台から見る景色は、森を抜け、ある古い屋敷に向かっていた。さすがにどこの屋敷なのかは、麻袋の中からは判別出来なかったが、場所に関しては別部隊に任せるとしよう。


 馬車が停まり、男が御者台から降りてきて私を担ぐ。

 屋敷に入ると、大広間に向かい、一番奥の壁の前までやって来た。男が壁を押すと、ゆっくりとへこみ、扉のように動かせるようになっていた。隠し部屋に繋がる扉らしい。

 男は何の躊躇もなく、扉になった壁を左に動かし、中へ入る。

 中は石造りになっていて、流れる空気がとても冷たい。チュチュ、とネズミが慌てて逃げる声が聞こえてきた。


 石造りの部屋の中には、古びた鉄格子の牢屋がある。男は空いている牢に私を麻袋ごと入れる。

「大人しくしていろよ」

 男は麻袋の中の私に声を掛けると、部屋を出て行った。


 耳を澄まし、誰も居なくなったことを確認すると、先ほど手に取ったナイフで麻袋を思い切り切り裂き、外に出る。

 牢屋は人が一人分しかないので狭い。私は鉄格子の扉を掴むと、揺らしてみた。さすがに鍵はかかっているようだ。

 服の中に仕込んでいたピッキングツールを取り出す。中から鍵穴に工具を入れ、鍵を開けた。


 脱出して部屋を確認すると、私の入っていた隣の牢に一人の女性が入れられていた。彼女は怯えきっていて、私が近付くと震えだす。

「安心して、私は貴女の味方よ。バーバラっていうの、貴女は?」

 出来るだけ優しい声を出すように心がける。彼女が安心できるように。


「わ、わたしはルース男爵の娘です。かどわかされてここに入れられています」

 彼女が行方不明になっていた貴族令嬢だ。敵に居場所を吐かせる前に見つけられた事に安堵する。少しやつれているが、特に怪我もしていないし、命に問題はなさそうだ。

 私は彼女の牢の鍵を開ける。手慣れた様子にルース男爵令嬢は不思議そうに聞いてきた。


「何故、そんな事が出来るのですか?」

「昔、色々と仕込まれたから」

 私は苦笑しながら答えた。万が一、国王が失脚し命を狙われた時、他国に逃げ出せるよう護身術やサバイバル術をこっそり仕込まれたのだ。絶対、人前ではやるなよと念押しされたから披露する事は無かったけど。

 父は冷たい人だったが、こうした技術を身につけてくれたのは感謝している。まさかこんな所で役立つとは思っていなかったから。


 私は男が入ってきた扉に耳を当て、外の音を聞く。

 誰もいないのを確認すると、内側から外へ力強く押した。壁はゆっくりと動き、来た時のように動かせる状態の扉へと変身する。私は右に動かすと、外へ出た。

 後ろにいるルース男爵令嬢に外へ出るよう合図する。

 彼女は数日ぶりの光に、眩しそうに目を細めながらゆっくりと出た。


 自由になった私達は、大広間を調べていく。

「見たところ、裕福な商人か貴族が住んでいた屋敷のようね。もしかしたら、脱出経路を作っていたかも」

 私が言うと、ルース男爵令嬢は顔を曇らせて答えた。

「ここは、スタンディ伯爵家が昔住んでいた屋敷です」

「どうして分かったの?」


 ルース男爵令嬢は震える体を両腕で押さえながら言う。

「スタンディ伯爵令嬢とわたしは幼馴染なんです。昔、この屋敷に来た事があって……」

 人攫い集団が拠点に使っているという事は、スタンディ伯爵家とダタライ密輸団に繋がりがある?

「じゃあ、黒幕がスタンディ伯爵で貴女を誘拐するよう指示したのも伯爵?」

 ルース男爵令嬢は暗い顔で言う。


「詳しくは分かりませんけど、伯爵の娘の機嫌を損ねてしまったから誘拐されたのだと思います。伯爵は娘の言う事なら何でも聞くので、わたしの事が気に食わないベロニカが伯爵にどうにかして、と言ったのでしょう」

 それでルース男爵令嬢を攫ったと考えると、私は呆れて言葉も出なかった。


「娘の機嫌を損ねただけで誘拐するなんて恐ろしい親子だわ」

「ベロニカは父親の仕業とは知らなさそうですが……」

 私達は脱出経路を探しながら部屋を見て回っていた。早く出た方が良いのは分かっているのだが、ついでに証拠を見つけられたらラッキーと思い、ルース男爵令嬢にお願いして探させてもらっている。


 ある埃っぽい部屋に入る。中には骨董品やらが置かれているので、物置部屋みたいなものなのだろう。貴重そうな箱を見つけ、私は蓋を開けてみた。

 中から出てきたのは、羊皮紙に書かれた帳簿だ。目を通すと、入出金の記録をしているようで、様々な銀行と口座名義人を介している。しかし、最終的には『ダタライ』という人物と『スタンディ伯爵』に繋がっているので、これは資金提供の繋がりを示すものになるかもしれない。

 私は羊皮紙を丁寧に折りたたみ、服の内側のポケットに入れる。


「じゃあ、脱出経路を探しましょうか」

 私がルース男爵令嬢に声を掛けると同時に扉の方から男が入ってきた。

「何をしているんだ? あれ、どうやって外に?」

 顔を見ると私を誘拐してきた一人だった。


 私はブーツの内部に隠している麻酔針を手に取り、男に投げつける。

 ダーツのように額に針が刺さり、麻酔薬が体内に入った男は倒れた。白目を向き、泡を吹く男を見てルース男爵令嬢が怯えてしまった。

「大丈夫、眠っているだけだから。ちょっと刺激が強くて泡を吹いているけど死んでないよ!」

 努めて明るい声音で言う。心配させてはいけない。恐怖が頂点に達すると、人間はパニックになってしまうからだ。彼女を無事に逃がすためにも精神衛生面も気を付けなければならない。と、幼少期にサバイバル術を教えてくれた教官が言っていた。


 私は部屋の窓を見つけ開ける。外を確認すると、ルース男爵令嬢を手招きした。

「ねぇ、ここから外に出られる? このまま真っ直ぐ行くと、茂みに騎士団がいるの。保護してもらえるわ」

 ルース男爵令嬢は頷き、窓から外に出る。小柄な彼女ならすんなりと出る事が出来た。


 彼女は振り返り、その場から動かない私を見ると、

「あの……バーバラ様はどうされますか?」

 と声を掛けてくれた。私は首を横に振る。

「他にも誘拐された人が居ないか見てみるわ」


 今、屋敷を包囲している王国騎士団が突入すれば、被害者も見つかるだろうが、出来るだけ私の手で見つけて、逃がしてあげたかった。怖い思いを少しでもさせないために。


 私はルース男爵令嬢が騎士に保護されたのを目視すると、中に戻り、部屋を端から見て回った。誘拐されていたのは、どうやら私達だけのようだ。安心して私も外に出ようとしたその時。


「牢に入れておいたはずの女だろう? 只者じゃねぇな」

 男の声がすると同時に私の首に刃物の先が突き付けられていた。

 気配を殺し、近付いてこられるとは。私を誘拐した男とは明らかに格が違うので、おそらくこの者がリーダーだろう。


「私はバーバラ。貴方は?」

 背後を見る事なく聞くと、男は答えた。

「オレはダタライ」

 やっぱり。

 私は思い切り踵を彼の足に突き立てる。踵からは刃物が飛び出るようになっており、太ももをえぐるように蹴り上げた。


 ちなみにこの服、ブーツは色々と仕込みが入っている特注品だ。言葉通りの勝負服である。これも実家が作った品物だ。何かあった時はこれを着て逃げろと嫁入り道具の中に父が入れたのを思い出す。


 痛みに怯んだダタライの隙をついて、私は彼から距離を取る。

「傷口から痺れ毒が入るようにしてあるから、そのうち体が麻痺して動かなくなるわよ。今のうちに降参しておく?」

「馬鹿言え、この屋敷はもう包囲されている。降参すれば王国騎士団に連れて行かれて処刑だ。オレは生きる、こんな所では絶対死なねぇ」

 その騎士団連れて来たのは私だけどね。


「でも、貴方達もうっかりさんね」

「何?」

「分からない? 高貴な女性が一人で街に出るなんてあり得ないでしょう。囮なの。私が連れて行かれる場所を特定する為に実は騎士団が隠れていたのよ」

 煽るように言うと、ダタライはふっと笑う。


「用意周到だな」

「もうすぐ真の親玉も来る頃なんじゃないかしら?」

 これ以上お喋りに付き合うつもりはないとダタライは、踵を返して、逃げ出そうとする。私は、太ももに隠してあった麻酔針を取り出し、ダタライの背中に向けて投げつける。


 さすが密輸団のリーダー、背後から獲物が飛んできていると確認すると、物陰にすぐに隠れた。

 しかし、避けきれなかったのか、床には血痕がある。

 麻酔針は当たっている。太ももに隠してあった麻酔針は、一番濃度の高い毒を塗っているので、動けなくなるのも数秒後だろう。


 だが、ダタライはしぶとく腕に刺さっていた麻酔針を引き抜くと正面扉に向かって走り始める。本当ならもう倒れても良い頃なのだが、執念が彼を動かしていた。


 私は扉を開けて逃げ出そうとするダタライを追いかけた。

「ちくしょうが!」

 彼は振り返りながら私へ刃物を投げつける。避けきれないかもしれない、と思った時だった。


「私の姫さまはお転婆が過ぎる」

 黒い髪を靡かせ、手に持った剣で刃物を弾く。

「本当に二度とこういう事はしないでくださいよ。心臓がいくつあっても足りませんから」

 くるりと私の方へ振り返るギル。私は嬉しくなって彼に抱き着いた。

「ごめんね、でもありがとう」


 来てくれると信じてた。

 刃物が私に刺さらなかったと確認するや、ダタライは正面扉を開ける。

 逃げ出そうと足を踏み出した彼は、目の前の光景に気力を失ったのか、あるいは私の麻酔が効いたのか、がくんと崩れ落ちた。


「アンティギア王国騎士団がお前達を捕らえる。これから神の下で罪を暴き、裁きを受けろ」

 白い馬に乗ったルシオが言い、騎士達に捕まえるよう合図した。


 ダタライはもう動かなくなっていて、数人の騎士が彼を担ぎ上げる。

 ふと、ルシオの隣を見るとスタンディ伯爵も捕らえられていて、上手くいったのだと悟った。

 私が囮になっている間、ギル達はスタンディ伯爵の方を叩いていたのだ。


 ルシオに近付き、屋敷内で手に入れた古い羊皮紙を渡す。

「これは?」

「ダタライ密輸団と伯爵のお金の流れが書いてある帳簿です。ちょっとした証拠になると思って回収してきました」

 ルシオはふっと笑って、ありがとうと羊皮紙を受け取る。

「良い証拠になると思うよ」


 ふいに後ろから強く抱き締められる。

「心配しましたよ、君が命を失う事になるんじゃないかって気が気ではありませんでした」

 ギルの手が震えている事に私は気付くと、自分の手を重ねた。

「ごめんなさい。でも、私は死なないから。貴方を看取るまでは」

 笑って言うと、ギルは柘榴色の瞳を揺らしながら微笑んだ。

「いつの間にこんなじゃじゃ馬になってしまったんだろう?」


 呆れるような、感心するようにギルは言う。

 私達のやり取りを傍で見ていたルシオが遠慮がちに声を掛ける。

「君達二人のおかげで助かったよ。俺の首も飛ばずに済む。どんなお礼をすればいいのか……」

「謝礼金は相場の五倍でお願いします、陛下」

 お金にがめついと思われようが、大事だから貰えるものは貰っておこう!


「君は逞しいね。そういう所も私の愛すべき妻の良いところだけど」

 ギルは言うと、私の頬にキスをした。


 ルシオは私達に手を振り、馬を旋回させ、騎士団を引き連れて王都へと戻って行った。


 その後、裁判にかけられ、スタンディ伯爵家は取り壊しのうえ、当主とダタライは処刑される事になった。ベロニカは事件には関わっていなかったが、家が取り壊しになったので修道院に送られる事になった。


 私達はと言うと――。

「急いで! 列車が行ってしまうわ」

 ポウポウと甲高い汽笛の音が響くホームで慌てふためく私。その後ろを走るリヒト。前にはギルは手招きをして、列車に乗っていた。


 今日から私とギルの婚約記念旅行が始まる。自分の父親であるルシオの危機をギルが救ったと知ってから、気持ちに変化があったのだろう、リヒトは私達の婚約を歓迎してくれたのだ。


 結婚式を挙げる前に三人で旅行したいというリヒトの願いを聞き入れ、今日から皆が行ってみたいところを巡って行く旅が始まる。


 無事に列車に乗り込むと、すぐに発車した。発車時刻ギリギリだったらしい。開始早々、スケジュールが乱れるところだった。


 私は指定席に座って談笑していた。ふと、ギルにリヒトに向かって話をする。

「リヒトは弟か妹だとどちらが欲しいですか?」

「気が早すぎない?」

 まだ結婚式も済ませていないというのに、ギルはもう家族計画について話している。

「私は、バーバラに無理をさせない程度に大家族を作りたいと思っていますよ」

 言いながらギルは私にウインクする。何だ、そのウインクは。


 リヒトは口元を押さえながら品よく笑っていた。

「ふふっ、そうだ。僕が司婚者をやるから結婚式の予行練習をしてみましょうよ」

 リヒトの提案にギルは乗り気だ。鞄の中から白い羽織ものを出すと、私の頭に乗せる。

「ウェディングベールのつもり?」

 私はくすくすと笑って言った。ギルもリヒトも楽しそうでそれぞれの役になりきっている。


「新郎ギルバードさん。あなたは新婦バーバラ様を妻とし、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、死が二人を分かつまで命の続く限り、これを愛し、敬い、貞操を守ることを誓いますか?」

 リヒトがギルを真っすぐ見て問いかける。

 ギルは真面目な顔で頷くと、力強く答えた。

「はい、誓います」

「では、新婦バーバラ様。あなたは新郎ギルバードさんを夫とし、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、死が二人を分かつまで命の続く限り、これを愛し、敬い、貞操を守ることを誓いますか?」


 リヒトは私を見る。

「はい、誓います」

「では、誓いのキスを」

 リヒトは微笑んで言う。え、列車の中でキスまでするの!? と慌てる私にギルはウェディングベールの代わりにしていた羽織ものを取る。

 そして、私に微笑みかけながら口づけをした。


 柔らかなギルの唇を感じながら私は心の中で誓う。


 死が私達を分かつまで、私はギルもリヒトも愛し続ける。





 ~あとがき~


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悪女の星 十井 風 @hahaha-

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