洗濯機の使い方

猫海士ゲル

洗濯機日和

我が家の洗濯機は亡き母から受け継いだ『二槽式』だ。


と、説明しても若い人は知らないかもしれない。

どこの家電販売店でも全自動どころか乾燥機までフルセットで付いているものがドヤ顔でコーナーを独占している。そんな最新家電大国のニッポン。


けれど大きな量販店へ行くと影に隠れてひっとりと売られ続けていたりする。

値段も安い。


もっとも店員は「全自動のほうが楽ちんですよ」とあまり積極的に売ろうとしない。だから益々人々の視界から遠ざけられる。


今も僕のパンツを洗剤まみれにして掻き回しているこいつは、近所の家電店で大安売りしていたものを母が見つけてきた。

この家を建てたすぐ後の話だから既に25年は過ぎている。故障一つなく我が家では現役である。


二槽式、というのはその名の通りついた洗濯機だ。

大きな箱は洗濯槽。隣に並ぶ小さな箱が脱水槽。


まず洗濯槽のほうに洗濯物を入れる。

そして水を注ぐ。

我が家の場合は洗濯槽専用の蛇口がひいてある。水をいっぱいに浸してから洗剤を入れダイヤルを回す。

すると槽の底に仕掛けてあるモーターが駆動して床が回転を始めるのだ。

洗濯物は水の回流にしたがって洗剤を溶け込ませながら汗や油分を落とす仕組みだ。


ところでこの専用蛇口から注がれる水が不思議なのだ。

僕がジッと見ている間はゆっくりと水を満たしていく。見続けていてもなかなか溜まってくれないから歯でも磨くかと台所へ向かう。

歯ブラシに練り歯磨き粉を乗せて口に加えると再び洗濯機のもとへ。

驚くべき事にになり、箱の上部に設けられている排水口から屋外へと流れ出しているではないか。


すでに慣れっこだが、最初のうちは不気味だった。

ジッと見ている間はなかなか溜まらない水が、目を離した途端にになる。素早く水を満たしてしまうのだ。


この現象を僕はこう考えた。


「照れ屋サンなのだな」


見られていると本気を出せない。僕と同じだ。


量子力学の『二重スリット実験』というものがある。ふたつのスリットの間に量子を通す実験だ。


観測している間は、量子はスリットの形と同じ筋の状態で後方の板に模様を作る。

ところが観測をやめた途端に、量子たちはサボって無秩序な縞模様になる。

つまり量子は人間が見張っていると本気モードで働くが、監視をやめた途端にサボり始めるのだ。

なんたる怠け者だろう。


それに比べたら我が家の洗濯機はカワイイ性格をしていると、昨今益々好きになった。


さて洗濯が終わると箱の上にあるスイッチを注水から排水へ切り替える。

箱に洗剤とともに溜まった水は屋外へ排出され箱のなかは濡れたパンツでいっぱいになる。

ここでスイッチを再び注水へ切り替えて水を溜める。

恥ずかしがり屋サンのために僕はインスタントコーヒーを淹れにいく。ハチミツをほんのり垂らしてから洗濯機へ戻ると、ほら、もういっぱいに満たされている。


上部に設けられた排水口から水が排出されているが、今度は放っておく。ただ水を回転させてやるだけだ。


コーヒーを堪能すべくリビングに腰掛けiPadでYouTubeをみつつまったり過ごす。

頃合いをみて洗濯機のもとへ戻る。洗剤まみれだった水が綺麗に浄化され綺麗な透明に戻っていた。


注水スイッチを排水にして屋外へ排出する。

ここでようやく隣の箱『脱水槽』の出番となる。

濡れた洗濯物をひとつずつ取り出しては脱水槽へ放る。そして内蓋でしっかり洗濯物を押さえつけて上蓋を閉める。


脱水槽のダイヤルを回すと勢いよくモーターが高速回転する。

洗濯槽のモーターとは別物だ。

凄まじい勢いにときどき脱水槽の中の洗濯物が暴れる。内蓋でいっかり押さえているはずが押さえ切れていない。あまりの暴れっぷりに洗濯機も楽しくなるのか一緒に踊り始めるのだ。

老齢なくせに無理してドドン、ドンドン、重い躰がステップまで踏むようならこれはいけない。すぐに脱水槽の上蓋を開く。すると安全装置が働いて回転が止まる。


洗濯物の位置を変えて内蓋をもう一度しっかり押さえる。

脱水の再開。

今度はどうか、大丈夫っぽい……ああ、ダメだ!

内蓋と一緒に脱水槽のなかで大暴れ。すぐに上蓋を開いて再び調整。


こんなことを数回繰り返したのち脱水は終了する。

脱水槽からパンツ軍団を取り出し、シャツやその他もろもろも取り出し、裏庭の一角に干すのである。


……疲れ果てる。


洗濯がこれほど大変なものだったとは。

文句一つ言わず僕のパンツを洗い続けてくれた母に感謝する。

全自動に買い換えようかと思ったことはある。けれどお日様が降りそそぐ裏庭で母の姿を思い出しながらおもう。


「母の使い込んだこの洗濯機をまだしばらくは使い続けたい」と。

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