「開けないで」
さて、目の前に 箱がある。
それは、ちょうど 両の手のひらに乗せられふるような大きさで
ふと 持ち上げてみたくなるような
木目の美しい箱である。
✶ ✶ ✶
この箱を開けずに中を見ることはできないのだろうか。
開けてはいけないと言われている箱。
けれども、知りたい その中身。
ほんとうに、中に入っているのか。
確かに、その中に安置されているのか。
不安が男を絡め取る。
✶ ✶ ✶
いくばかりの時間が過ぎたのであろうか。
男の両手はずっと握られたまま、
固く握った その手から 汗がにじんで
ぎゅっと結ばれた唇は 少し乾いては おらぬかえ。
正座をした男の足も しびれてきては あるまいか。
✶ ✶ ✶
堪えたなら 見せてあげよう その中を
たま差し出して
入れてあげよう
✶ ✶ ✶
命と引き換えにしても 見たいものなのか?
一体 何故 耐えねばならぬのか。
開けてはならぬと言われたならば、
開けずにおればよいものを。
禁を破って開けるから、
己を失い 身が滅ぶ。
我が身大事な 人 ならば、
そっと 触れずに
去りたいものを。
何故、ここに 縛られる?
✶ ✶ ✶
男の任は、確かに、その箱に収められていることを確認することである。
けれども、
箱を開けずして 確かめるとは、どうしたものか。
思案の時ばかりが無情に流れ、
聞こえてきた誘惑に
心 乱され
苦しくて
早く 任から解き放たれたくて。
前任者は いかようにして この任を果たしたのか。
男の苦悩は 額の汗が 乾いて白くなるほどに
続く 続く
時間は過ぎる。
迫る刻限
間に合わなければ、後がない……
✶ ✶ ✶
部屋には、誰も居なかった。
定刻を告げる鐘の音と共に
部屋に入った 上役の見たものは、
美しい木箱
ただ、それだけ。
そっと、手にとって
その重みを確かめ、
少し傾けて、
小さな摩擦音と 重心のズレを 察知して
息を止めたまま
その部屋を出た。
✶ ✶ ✶
長袴を引きずる音が
冷たい廊下を 奥へ 奥へ と
箱を運んだ。
✶ ✶ ✶
あぁ、しばらくは これで安泰……
✶ ✶ ✶
箱は 開かずの間へと 運び込まれた。
✶ ✶ ✶
あかずとも
ひと こひしくて
なき 乞えばこそ
魂がないから人ではないと言われたの。
開かない箱でも、飽きないで。
人が恋しくなって泣いたなら、
開かずの間から出してもらえて……
無い物として扱われることが耐えられなくなる時があるの。
だから、人に会いたいと願い乞うのよ。
開かない扉
空かない部屋で
開かない箱と言われても。
見ていて飽きないから。
信念を持たない人間よりかは
ずうっと人間らしいと言われているわ。
あなたも入れてあげましょうか?
✶ ✶ ✶
はぁ、ここに あったのね。
探したよ。
✶ ✶ ✶
無いと欲しくなるのよね。
箱の誘惑【KAC20243】 結音(Yuine) @midsummer-violet
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