3-15

 すべてが終わってから数日が経過して、ようやく『研究所』は落ち着きを取り戻してきていた。戦いで破壊された部分の復旧や、自由を得た職員たちの人員配置を再構成するにはまだしばらく時間がかかるが、未来が見え始めたことで施設全体が活気づいている。

 ミツネたちはクシミとの戦いを終えたあと、傷を癒して旅支度をするためにまだ研究所に滞在していたが、そろそろ出発しようかと話をしていたところだった。

「ちょっと来てくれるかしら」

 慌てた様子で現れた滝川が少し深刻な口ぶりで三人を呼び出す。

「あれからこの施設のことを色々調べていたの」

 メインコントロールルームに辿り着くと、滝川は画面を操作しながら経緯を語り始める。

「結局大事なデータはほとんど消去されているか、残っているものには強いプロテクトがかかっていて見ることができなかった。辛うじてわかったことは、元々ここはとある軍事企業が母体となってできた施設で、格納庫的な役割も兼ねていた場所だったみたい。だからあんなにたくさんのロボット兵器が置かれていて、防衛設備も妙に充実していた」

 実際に兵器の実験を行うための設備もある程度揃っていて、その気になれば本格的な軍事研究にも着手できるような状態だった。さらには同じような施設が大小様々で各地に点在しており、混沌とした世界の中で他国との戦争やヒトデナシとの戦いに対する需要を見越し、そのための拠点とすることが目的だったようだった。

「あなたたちの話も含めて考えるとこの辺りも辻褄が合う。きっと同じ企業が絡んでいたんだと思うわ」

 しかし、鱗粉病とヒトデナシによる人類滅亡によって母体の企業は消滅。結果としてこの施設は放置されることになり、真実を数十年間隠されたまま、研究所という体裁だけを保って今まで存在してきた。

「でも地下のあれはどう説明するんだ? 放置されてたなら、あんなやばいもんが動いてるのはおかしいだろ」

「確かにそこは私もおかしいと思ったわ。今でもどこかに自動でデータが送られ続けているわけだしね。かと言って、その企業が消滅しているのは間違いない。そもそもこんな世界で企業なんてもの自体が存在しているわけがない」

「つまり主がいないのに、それに気付かないまま稼働し続けてたってことですか?」

「いえ、そういうわけでもなさそうなの。詳しくはわからないけど、何か明確な指示を受け取って動いているような痕跡もある。だから考えられるのは、あのクローン研究設備は全く別の誰かが作ったものだという可能性」

 そこまで言って、滝川は目の前のディスプレイ上である動画ファイルを開いた。

「これは……?」

 そこに映し出されたのは、こちらを向いて不敵な笑みを浮かべるクシミの姿だった。

「色々とデータを漁っているうちに、一つだけ不自然な場所に目立つように置かれたこのファイルを見つけたの。まるで私たちに見つけてくれと言わんばかりの置き方だったわ。クシミが生前、たぶん自我を失う前に録画したもので、自分が死んだときにプロテクトが外れるよう仕掛けをしていたみたい」

 滝川は説明を終えると、その動画を再生する。

『やあ。これが流れているということは、きっとボクは化け物に成り下がり、それを誰かが見事殺してくれたということだろう。律儀に約束を守ってここまで来るってことは、きっとミツネ辺りかな?』

 画面の中のクシミはそんな予言めいたことをどこか楽しそうな口調で語る。

『まあそんなことはどうでもいいさ。ボクがこうして動画を遺すことにしたのは、この施設のことを調べるうちに、少し面白いことがわかったからだ』

『まずここはある軍事企業が母体となり、他の複数の企業や研究者、ひいては国までもが裏で繋がってできた施設だった。目的はよくわからないけど、人類滅亡前の混沌とした中で、色んな思惑や利権が絡み合ってできた場所だったんだろう』

『そしてその企業はまさにボクたちが過ごしたあの孤児院の運営も行っていた。あの孤児院は年端のいかない子どもを集めて、こっそり人体実験をする場所だったんだよね。その一番の被害者はボクたちなわけだけど。だからボクはこの研究所の地下で眠らされていた。おそらくキミたちも別の場所にある同じような施設で眠っていたんじゃないかな』

 クシミはまるでミツネたちの反応を待つかのような素振りで間を置いて、満足そうに頷いてから再び話を続ける。

『ただね、どうやらこの研究所はもっときな臭いことになっているようなんだ。母体となった企業は消滅し、他の協力者たちもそのほとんどが死に絶えて、今はただのクローン食材を研究する平和な施設になっている。それなのに、未だに異常な電力消費とデータ送信が行われているんだ。まるで何か途轍もない規模の研究が続けられているかのように』

「まさかあいつは気付いてたってのか?」

 そこまで聞いて、ニシナが驚いたように呟く。

「地下のあの部屋までは見つけられなかったみたいだけど」

 滝川や彼女の父が何年かかっても辿り着けなかった真実を、クシミはわずか数か月で、しかも限りなく自由を制限された状態でほぼ見つけ出していた。あのとき滝川が奇跡的に隠し部屋の奥を発見できたのも、過去にクシミが開拓したハッキングルートがあったからこそだった。

『それで一度送付されているデータの中身を解析してみた。そうしたら、なんとびっくり。人間のクローンなんて末恐ろしいものを作ろうとしてるじゃないか。しかもただ人間を複製するだけじゃなく、遺伝子や細胞を弄り回して、オーダーメイドの一体を作るための実験をしていたその手法や内容は、ボクたちが受けていたのとひどく似ていてね。おそらく大本の研究はあの孤児院で行われていたんだろう』

『データの送り先も辿ってみたんだけど、何度やってもこればっかりは途中で弾かれてしまった。ただその反応は明らかに人為的なものだったから、その先に誰か人間がいるのは間違いない。というか、ご丁寧に名前まで教えてくれたよ』

『EVE。彼はそう名乗った。イヴなら〝彼女〟じゃないのかって? いいや。〝彼〟さ』

 クシミは一度言葉を止めて、試すような表情でミツネたちを見る。

「イヴ……そうか……」

 散りばめられたピースが繋がって、ミツネは一人の名前を思い浮かべる。

「『伊部道隆』」

 ちょうど画面の中のクシミが発するのと同時に、ミツネも同じ名前を口に出した。画面にはニシナたちが地下の部屋で見つけた集合写真が映され、端に佇む伊部の顔がアップになる。

『天才科学者・伊部道隆。彼がいわゆる黒幕ってヤツさ。証拠というわけでもないけど、孤児院と研究所どちらの協力者の中にも彼の名前があった。都合のいい成果を企業側に渡す代わりに、好き勝手研究できる場所を与えてもらっていたんだと思う。それがあの孤児院であり、この研究所だった』

『もっとも、まだ生きてるとしたら百歳はとうに超えているはずだから、彼の意志を継いだ誰かというのが正しいだろう。ともかく天才という名のイカレた人間がこんな終末世界のどこかで非人道的な研究を続けているのは間違いない。そしてその研究の元を辿った先にあるのは、たぶんあの孤児院であり、ボクたちだ』

 あまりに壮大な内容すぎて、ミツネは上手く話を呑み込めなかった。ただの陰気なメガネの中年にしか見えないような男が自分たちの人生を弄んだ張本人だと言われても、いまいちピンと来ない。

「なるほどな。要するにこの伊部とかいうおっさんを探せばいいわけか」

 ニシナは何故か納得した様子でそんなことを口にする。

「いや、流石に伊部本人は生きてないって……。そもそも探してどうするつもり?」

「どうするって、そりゃ俺たちが普通の人間に戻る方法を聞き出すんだろ」

 ごく当たり前のように帰ってきた答えに、ミツネはハッとした。確かに自分たちを化け物にした相手なら、元に戻す方法がわかるかもしれない。それは彼らにとって見えた一筋の光だった。

「でもそれなら……」

 もし本当に自分たちの中から化け物を消して、ただの人間に戻れるのだとしたら、クシミのことを助けてあげたかった。ミツネはそう言いかけて口を閉じる。

 それができないことは枯れも理解していた。クシミのように意識を完全に乗っ取られている場合、人間の細胞とヒトデナシの細胞が混ざり合って生まれた新たな細胞が身体に充満してしまっている状態だった。そしてこの細胞は不可逆であるため、一度化け物になってしまえば人間に戻ることはできない。

 そもそもいつになるかもわからない、本当に可能なのかもわからない解決策に期待して、それまでクシミを放置しておくわけにはいかなかった。その間も滝川たちは苦しみ続け、犠牲になる者も増えていってしまう。生け捕りにして捕えておくというのも、ヒトデナシの力によって驚異的な身体能力と治癒能力を得た彼が相手では現実的ではない。

 殺すことが最善だった。そう信じるしかないし、変えられない過去を悔やむのは甲斐のないことだと自分に言い聞かせて、ミツネはそれ以上何も言わなかった。

「それに、一発ぶん殴らないと気が済まねえ」

 ニシナは拳を固めて苛立った声で言う。あまりに素直な彼の姿に、ミツネは思わずおかしくて笑ってしまった。

「そうだね。僕もムカついてきた」

 これまで漠然と自分の運命を恨むことしかできなかったが、その運命の先に特定の人物が浮かび上がってきたことで、ミツネたちは憎むべき相手を得た。それはよくも悪くも彼らの旅に新たな目的を付け加えることになった。

「私もその人に会って、自分のことをもっと知りたい。お父さんのように大切な人を傷つけてしまわないように」

 伊部道隆という男を中心として、三人の目的が一致する。

こうしてそれぞれが自分たちを縛り付ける運命の糸を断ち切るために、長く苦しく虚しさに満ちた終末の旅が幕を開けることになる。


 次の日の朝、身支度を整えた三人は、滝川に別れを告げて『研究所』を後にした。

 滝川たちはこのまま研究所に残り、これまでやってきた研究を続けながら、その成果を生かしてこの終末世界に貢献できる方法を探していくということだった。まずは食糧の培養装置やノウハウを持ち運べるようにして、近くの町にそれを提供したいと考えているらしい。

 一方で、地下に取り残されたクローン実験体たちについては、まだ処遇を決めかねているようだった。先祖の罪を暴きつつ、そこにどう向き合っていくのかは、これから少しずつ考えていくことになる。

 ミツネたちは出発前に食糧や水、燃料などもたくさん分けてもらい、当面はずいぶんと楽に旅ができそうだった。荷物がパンパンに詰まったリュックを背負い、しっかりとした重みを両肩に感じる。

「それにしても、長い旅になりそうだね」

 眩しすぎるほどの青い空を見上げながら、ミツネはしみじみと呟く。

「いいじゃねえか。こんな何もない世界じゃ他にやることもないわけだし、ちょうどいい暇潰しだよ」

 ニシナはそんな冗談を口にして笑う。それが彼なりの強がりであることはわかっていた。

 けれど、せめて道中は楽しく、終わったあとに笑い飛ばせるようなくだらないものであればいい。ミツネもそう思って、今は何も考えずに無邪気に笑って見せる。隣に目を向けると、莉葉も釣られて呆れたように頬を緩めていた。

「じゃあ、行きますか」

 次の目的地に向かうため、深い森の中へゆっくりと足を踏み出す。まるでミツネたちを拒むかのように、しんと張り詰めた冷たい空気が静けさに満たされていた。思わずミツネは足踏みしそうになるが、後ろに続くニシナと莉葉の足音がそんな彼の背中を押す。

 時が止まったような終末世界の中で、彼らの物語が緩やかに動き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終末、また会えたら 紙野 七 @exoticpenguin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ