3-14

「……ネ…………おい……ミツネ、起きろって」

「ん……?」

 重たい瞼を擦りながら目を覚ます。どうやらミツネはいつの間にか眠ってしまっていたようだった。

「いつまで寝てるんだよ。みんな向こうで待ってるぞ」

 顔を上げてぼやける視界の焦点を合わせると、ニシナが呆れた顔でこちらを覗き込んでいた。

「あ、あぁ。ごめんごめん」

 まだ判然としない頭を振って何とか身体を起こして立ち上がる。

 とても天気が良く、雲一つない青空がどこまでも広がっていた。頭上を覆う大きな木の隙間から溢れる太陽の光が眩しくて、思わず目を細める。

「それで今日は何をするんだっけ……?」

 ニシナに連れられて、他の友人たちと合流する。すでに全員集まっていて、待ちかねたといった表情を浮かべている。しかし、何故だかミツネは眠る前のことを上手く思い出せなくて、恥ずかしそうに苦笑いを浮かべながらそう尋ねる。

「何言ってんだよ。今日はクシミの誕生日だから、みんなで祝おうって話だったろ。あいつに見つからないように、これから夜までにその準備しねえと」

「そうだ。そうだったね」

 言われてみれば、前々からみんなで今日のために話し合っていたのを思い出す。まだ少し寝ぼけていたのかもしれない。ミツネは目を覚まそうと手のひらで頬を叩く。

 それぞれ作業の分担を決めて、ミツネとニシナは倉庫から食べ物を持ってくることになった。本当は勝手に持ち出してはいけないことになっているけれど、今日はパーティーだから特別だった。見つかったらきっと怒られることになるが、そのときはみんなで謝ろうと決めていた。

「大量、大量」

 無事に職員に見つからずに、倉庫へ忍び込むことに成功した。箱いっぱいに詰めたお菓子を抱えて、ニシナは得意げな顔で鼻歌を歌う。

 ミツネはずっしりとした重さを腕に感じながら、自分の方にだけ重たいものが入っていることを少し不満に思った。強かで調子ばかりいいニシナの世渡り上手な性格が羨ましい、とつい溜め息が漏れる。

「……ねえ、そういえばクシミは何歳になるんだっけ?」

 唐突にミツネはそんな疑問が頭に浮かぶ。自分たちはどのくらいこの施設で過ごしていて、こうしてクシミの誕生日を祝うのが何度目なのか思い出せなかった。

「はあ? 何だよ、いきなり。歳なんてどうだっていいだろ」

どうしてそんなことを聞くのかわからないといった様子で、ニシナは眉を顰める。

「よう! ばっちりくすねてきたぜ!」

 パーティーをする食堂へ辿り着くと、すっかり飾り付けが進んでいて、カラフルで楽しげな空間が出来上がっていた。壁には風船やガーランドで装飾がなされ、中心部分には大きく「クシミ 誕生日おめでとう!」という手作りの文字が貼り付けられている。

 ミツネたちが持ってきた食べ物がテーブルの上に並ぶと、これで準備は万端だった。

「来た……!」

 扉の隙間から外を覗いていると、廊下の先をクシミが歩いてくる姿が見えた。全員一斉に配置について、彼を出迎える体勢を整える。

「「「「おめでとう!」」」」

 扉が開いた瞬間、みんなで一斉にクラッカーを鳴らしてお祝いの言葉を投げかける。突然の出来事に驚いたクシミは、身構えるような恰好で恐る恐るこちらに目を向けた。

「一体これは何事かな……?」

「今日はクシミの誕生日でしょ? みんなでお祝いしようって、こっそり準備をしてたんだ」

 無理矢理被せられた紙の王冠を頭に乗せて、クシミは冷めた目で飾り付けされた部屋を見ながら、口角を上げて鼻を鳴らす。喜んだ様子は見せなかったが、それは喜びの裏返しであり照れ隠しでもあった。

「んじゃ、さっさと始めようぜ。俺はもう腹ペコだ」

 主役であるクシミを中心にテーブルについて、わいわいと騒ぎながら、各々好き勝手に食べ物を摘んでいく。会が始まってしまえば、全員誕生日のことなどすっかり忘れてしまっていた。結局みんなで騒ぐための口実として、クシミの誕生日を利用しただけだった。しかし、ミツネはその適当さが心地よかった。

「こういう時間がずっと続いたらいいのに……」

 あまりの幸せな時間に、ミツネは思わず心の声が漏れる。

「しみったれた顔してんなあ」

 感傷的になるミツネをニシナが面白がってからかう。ミツネは恥ずかしくなって顔を赤らめて俯くと、それを見て他のみんなもおかしそうに笑った。

「……飲み物取りに行ってくる」

 ちょうど手元にあった飲み物がなくなっていたので、ミツネはその場を誤魔化すために立ち上がり、部屋の隅にあるサーバーまで飲み物を取りに行った。

 何だか今日は調子が狂う日だなと思いながら、コップに水を注ぐ。すっかり目は覚めたはずなのに、まだ頭が少しぼんやりとしている。揺れる水面に映る自分の顔を眺めたまま、まるで白昼夢を見ているような浮遊感に苛まれた。

 ――ミツネ……!

 すると突然誰かに呼びかけられるような声がして、驚いて後ろを振り返る。しかしそこには誰もおらず、テーブルで談笑する友人たちも声をかけて来た様子はなかった。

「気のせいかな」

 空耳にしては妙に頭の中に声が残って離れなかった。どこかで聞いたことがあるような、けれど、誰の声だったかはよく思い出せない。

 さっきからずっとこの繰り返しだった。何かを思い出そうとすると、頭に霧がかかったように、その部分の記憶が深いところへと消えていってしまう。

 ミツネはとても大事なことを忘れてしまっている気がした。得体の知れない焦燥感が襲いかかる。でも何を思い出さなくてはいけないかすら思い出すことができない。白く霞んだ意識の中を手探りで進もうとする。

 ――ミツネ! いつまで寝てるつもり!?

 再び声が聞こえる。さっきよりもはっきりと頭に響いてきた。

「莉葉……?」

 遠くで鳴っている時計のアラーム音のように、薄っすらと不快に繰り返されるその声を聞いて、その声の主が誰なのかをようやく思い出す。そしてそれをきっかけに、少しずつ頭の霧が晴れていく。

「そうだ。僕はクシミに会いに来て……」

「どうかしたのかい?」

 今度は肩を叩かれて振り返ると、クシミは不審そうな目でこちらを見つめていた。彼の後ろで楽しそうに笑い合うみんなの姿が見えて、またこちら側に意識を持っていかれそうになる。

「違う。戻らないと」

「戻るって、どこへさ?」

「ここは現実じゃない」

 ミツネは深く息を吸って、ゆっくりと部屋の中を見回す。

「これはたぶん僕が憧れていた光景だ」

 みんなで楽しく、家族のように、いつまでも一緒に暮らす。家族を失い、家族が何なのかわからないからこそ、ミツネが心のどこかでずっと求めていたことだった。

「ちょっと妄想にしても綺麗すぎるけどね」

 実際にミツネたちが施設にいた頃はほとんどの時間を大人たちの監視の目の中で過ごしていた。特に細胞移植の実験体に選ばれたあとは、わずかな休憩や食事の時間を除いて自由な時間さえ与えられなかった。

 だから当然誰かの誕生日を祝ったことなどなかったし、もはや自分の誕生日がいつだったかもうろ覚えだった。楽しい時間などほとんどなくて、だからこそほんの少しの幸せだった時間を共に過ごした仲間たちを大切に想っていた。

「そろそろ行かなきゃ」

 ミツネはこの幻想から抜け出すために、扉の方へと歩き出す。

「そっちへ行って、一体何があるんだ?」

 そんな彼を見て、クシミが不思議そうに尋ねる。

「化け物になった友達を殺して、いつかは自分も化け物になって殺される。そんな世界に何の意味がある? たとえ虚構だとしても、幸せを感じることができるなら、この世界に留まっていればいいじゃないか」

 引き留めるような言葉にミツネは一度立ち止まり、振り返らないまま答える。

「そうかもしれないね。でも行かなくちゃいけないんだ。友達が呼んでるから」

 ミツネはドアノブに手をかけると、目を瞑って一気に扉を開く。

「莉葉……!」

 再び目を開けると、目の前で莉葉が銃弾を避けながら倉庫の中を駆け回っていた。

「全く、ずいぶん寝坊していたじゃない」

 ミツネが目を覚ましたことに気付いて、莉葉は彼の元に駆け寄ると、二人で動かなくなったロボットの陰に身を隠す。

「ありがとう。一人でクシミを引き付けてくれてたんだね。でも莉葉も幻覚を見せられてたんじゃ……?」

「ええ。お父さんとお母さんと三人で幸せに暮らしてる、優しい夢を見たわ」

 莉葉はひどくくだらないことのように、うんざりした様子で続ける。

「でもすぐにそれが偽物だとわかった。だって、あまりにも平穏で幸せな暮らしすぎたから。よくよく思い返してみれば、お父さんとお母さんはよく喧嘩をしてたの。お母さんが一方的にお父さんのことを叱りつけて、落ち込む後ろ姿を何度も見たのを覚えてる。お父さんが拗ねちゃって、何日か帰ってこないこともあった。だけど気付いたら仲直りをしてて、かと思ったらまた次の日には喧嘩をする。そういう騒がしい毎日だった」

 それは莉葉にとってひどく平凡でうんざりするようなつまらない思い出だった。当時はいつも小言を言われて肩を落とす父をみっともなく思っていたし、口うるさい母を疎ましく思っていた。

「そっか。まあそんなもんだよね」

 ミツネは莉葉の話を聞いて、自分が幸せの幻想を抱いたことにすごく納得できた気がした。

「潔く眠っていれば、幸せの中で苦しみもなく死んでいけたのに」

 クシミは弾倉を差し替えながら、皮肉っぽく薄笑いを浮かべる。

「……ここからは僕にやらせて」

 一人でクシミに向かい合うと、ミツネは莉葉を制止してそう告げる。莉葉も彼の気持ちを汲み取って、何も言わずに頷いて持っていた斧を床に置いた。

「そんなに死にたいなら殺してあげるよ」

 真っ直ぐ正面に向かい合い、目を合わせて迫ってくるミツネに対し、クシミは迎え撃つように手を突き出す。

「出血大サービスだ! 今度は地獄を見せてあげよう!」

 パチンと指が鳴ると、ミツネの視界が突然別の空間に切り替わる。

 薄暗い部屋の中で一人佇むミツネ。その周囲には無惨な姿で倒れる見知った顔がいくつも転がっていた。自分の手のひらに目を落とすと、真っ赤に汚れた血が暗い影の中でくっきりと浮かんで見える。

 しかし、不思議と動揺はなかった。ゆっくりと呼吸を整えて、ぎゅっと拳を握り、この空間が幻影であることを確認する。

 彼にとってみれば、クシミと対峙している現実の方がよっぽど地獄だった。ただこんな風に自分が悪役になるだけでいいなら、どれだけ楽だったか。自分が正しいのか間違っているかもわからないから、それでも前に進まなければいけないから、彼はこんなにも苦しいのだった。

「幸せなふりができたら、不幸なふりができたら、少しは楽だったのかもしれない」

 ミツネは目を開き、もう一度クシミの瞳を見据える。

「でもそんな幻想に囚われたくない。それはきっと自分に嘘を吐くことだから。だから悩んで、間違えて、苦しみ続けることになっても、僕はそういうややこしいものを全部背負って生きていく」

 何度も視界を遮る幻覚はミツネの足を止めることさえできず、次々と放たれる銃弾は一つも当たらない。彼は幻覚と現実を行き来するまばたきを繰り返し、その度に覚悟のこもったまなざしをクシミに向ける。

 そして彼はクシミの目の前まで迫ると、そのまま真っ直ぐ刀を胸元に突き立てた。

「アァアアアアアアアアアアアアアアアア」

 クシミは心臓から血が噴き出すのを必死で抑えながら、雄叫びのような声を上げる。苦悶と怒りに満ちた表情でミツネを睨みつける。

「ぶっ殺ッ……」

 のどに血が溜まったまま鈍い声で罵声を浴びせようとしたところで、ミツネはそれを遮るように素早くクシミの首を落とした。

突然訪れた静寂の中で、刀を鞘にしまう乾いた音が寂しげに響く。

「……最後がクシミらしくなくてよかったよ」

 そっと目を瞑り、自分だけに聞こえる声で小さく呟く。

 ミツネは感傷的すぎると自嘲しながらも、頬を伝う涙を拭わずその場に立ち尽くす。ニシナがそんな姿を茶化しに来てくれるまでは、しばらくそうしていようと思った。

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