小さな箱

水乃流

大切な箱

 ここに小さな箱がある。

 手のひらにすっぽりと収まってしまうような小さな、小さな箱。しかも、表面のあちこちに焼け焦げがついている。誰の目にも、価値のないゴミにも等しい物に映るだろう。だが、彼にとっては何ものにも代えがたい大切な物であった。彼はその箱を、仏壇の引き出しに大切に仕舞って、時折取り出しては悲しげな目で見つめるのだった。


 ある日、彼は仕事で一週間ほど家を空けることになった。がトラウマとなっていて、本当は一週間も家を離れることに抵抗があったが、仕事の都合上どうしても出張は避けられなかった。

 そう、いつまでも過去に引きずられていても仕方ない。これを良い機会と思って、彼は旅だった。たった一週間のことだ。戻ればまた、前と同じ生活が始まる。そう思っていたのだが。


 帰宅した彼を待っていたのは、荒らされた自宅だった。どうやら空き巣に入られたらしい。独身で会社でも比較的高い地位にいる彼は、資産をたんまりと溜め込んでいる――と思ったのだろうか。しかし、実際の彼の部屋には家具も必要最小限、小さなダイニングテーブルとタンス、仏壇くらいしかなかったのだ。金目当てで侵入した犯人が、盗む物がないことに腹を立て、家中をひっくり返すように暴れたのではないか。それが警察の見解だった。

 あの小さな箱が、なくなっていることに気が付いたのは、部屋の中を片付けている時だった。なんということだろう。彼は絶望に打ちひしがれた。犯人は金目の物が中に入っていると思って取っていったのだろうが、中身はない、空なのだ。中身が空っぽの薄汚れた箱なのだ。犯人も、中に何おないとわかれば、箱を捨ててしまうに違いない。もう二度とあの箱は戻ってこないのだ。彼は大粒の涙を流しながら悔しがった。


 その後、事件は急展開を迎える。

 打ちひしがれた彼が、数日ぶりに出社したときだった。自分のデスクで仕事を始めようとしていた彼に、つかつかと一人の女が近づき叫び始めたのだ。最初は何を言っているのかわからなかったが、少しずつ女の言葉が耳に入ってきた。曰く「金持ってるって聞いたのに」「私がうまく活用してやろうと」「どこかに隠しているんだろ」云々。

 彼の家に空き巣に入った犯人だった。女は、同じ会社に勤める派遣社員で、彼が長期の出張に行くことを知って、空き巣を思いついたのだ。誰かが呼んだ警察官に連行される直前、女は彼に向かって何かを投げつけた。

 それは、一部が壊れていたものの、彼の大切な小さな箱だった。


 彼は箱が(壊れてしまったが)手元に戻ったことで女の犯した犯罪を許したが、女には余罪がザクザクと発覚し、有罪判決を受けることになった。

 貸金庫でも借りて、箱を保管しようかと考えていた時、友人の一人から小物の修理を行う職人を紹介してもらうことになった。紹介状をもらった彼は、自宅からは少し離れた場所にある工房を訪ねた。


「遠いところをわざわざすいません。お話は伺っています」


 出てきたのは、彼と同世代の女性だった。なんでも、彼女の一族は昔からいろいろな物の修理をしてきた家系であり、中でも彼女は手先が器用で、小物の修理を多くこなしているという。彼は、彼女に修理をお願いした。


 その後、なんどか彼の要望を伝えたり、彼女の質問を受けたりとメールのやりとりがあり、一ヶ月後には修理が完了したと連絡があった。彼は急いで工房に向かった。


「ご要望通りに直っていればいいのですが」


 表面の煤けた部分はそのままで、箱自体は完璧に前と同じ――彼の要望通りだった。


「ありがとう」


 ※


 そして数年後、彼と彼女は結婚することになった。彼女にとっては初めての、彼にとっては二度目の結婚であった。彼としてはためらいもあったが、周囲の説得もあって夫婦となった。

 あの小さな箱、彼が大切にしていた亡き妻が残した唯一の形見の指輪ケースの中には、二つの結婚指輪が並べて仕舞われている。

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小さな箱 水乃流 @song_of_earth

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