廃墟描きのアリーナ

秋色mai

廃墟描きのアリーナ



 私が長い眠りから目覚めると、百何十年が経っていた。

 そして、人類は滅びていた。

 持ち堪えたように見えたが、人の欲というのは醜くかった……と何かの古書に書いてあった。



「あー、パンがないかなぁ」


 荒廃した町で一人佇んでいると、ボサボサなアッシュブラウンの髪が風にたなびいた。

 空は曇天、燻んだ空気。建造物は枯れた草に侵食されている。道路だったものは崩れ、砂と混じってよくわからない。


 ぐぅ……とお腹が鳴った。何か思いついた気がして、おもむろに鉛筆を取り出し、キャンバスに走らせる。

リュックと鞄に敷き詰められた画材は、独特な匂いを漂わせ、私のために働く。

 苔むしたカトラリー。欠けた皿の上にメインディッシュの石を描こうとしてやめた。


「夢がないな。これはボツ」


 ボツにした作品は残さない。焚き火の足しにして終いだ。

 ふと温かみを感じて下を見ると黒猫がいた。しばらく顎の下を撫でてやっていると、満足したようで何処かへ行ってしまう。


「まぁ……予定も何もないし……こっそりついて行ってみるか」


 廃墟、枯れた蔓だらけのこの町で人間が走り回るのは難しい。まるで黒猫におちょくられているかのように苦戦しながらもついていく。


「んにゃぁお」


 雲の境目、大樹のある丘に、その亡骸はひっそりといた。

 文明の残骸であるスマートフォンは壊れ、死体から生えるのはアザミの花。黒猫は「わかっていたわ」とでも言うようにこちらに振り向いて、髭を揺らした。そうして孤独なその人に寄り添い眠る。


「いいよ、わかった。描くよ」


カントリーロードを口ずさみながら、目の前にある遺産をキャンバスに写していく。

 猫はその間、気まぐれに起きてはこちらに来たり来なかったり。猫の癖に人情があるらしい。沈黙に耐えかねて、「『描』と『猫』って似てるよね」と言ったらそっぽ向いてしまったけれど。


「……出来た」


 あの子はこの絵を見て喜ぶだろうか。きっと猫を見て微笑んだ後に、亡骸を見て泣き出すに決まってる。

 そうして、そっと濡れないところに絵を置いた。


「にゃぁ」

「もう行くのかって……先を急いでるんだ。絵を残したから、もう今はこの町に用はないの」

「……にゃ」

「また来るよ、今度は泣き虫な小さい女の子を連れて、ね」


 そういうと猫はまた静かに眠ってしまった。××町。世界が滅ぶ前は、笑う人が絶えない、栄えた町だった。この町の大きなデパートで、ランドセルを買って、お子様ランチを食べたことがある。パパとママと、また来ようと約束した。


「さようなら、××町。またね、文明の遺産」


 こうして次の町へ行く。もう何度も繰り返した。

 けど、まだあの子は見つからない。


           *


「砂漠……?」


 次の町は、面影も何も無くなっていた。

 晴天に砂しかない地面。これほどまでに綺麗なのに、悲しいものはあるだろうか。

 歩きづらいと思いながらも進むと、砂埃が入ったのか、少し、目が痛くなった。


「痛いっ!」


 そのせいで何かに躓いてしまう。随分と硬そうだ。私の足の方が痛い。丁寧に掘ると、そこにあったのは砂だらけの小さなロボットだった。顔はボール、体は筒のよう。小さな足も付いている。とりあえず叩いてみるが反応はない。壊れているのか。

 せめて祈ってやろうと手袋を外す。


「メッセージを再生します」


 突然、彼女の体温、脈拍数を顔の画面に映して、ロボットは動き始める。びっくりして投げ飛ばしてしまったが、何事もなかったかのように戻ってきた。


「……ピー、ガガガ。ザーザー。……こえているだろうか? もう一度繰り返す。聞こえているだろうか?」


 聞こえてきたのは、男の人の声だった。


「このメッセージが、悪人に届いていないことを願う。ザー。私は……ロ……ウド博士。ザー……科学者だ。ここに残すのは、ザーザー……『人類再生プログラム』だ」


 人類再生プログラム……。十数年前の滅亡以来、ずっと自分以外の人間を見たことがないけれど、私とあの子以外に生きている人はいるのだろうか。いないとばかり思っていた。


「私の記憶を、このロボに託す」



 それは、断片的で、古い映画のようだった。


「あなた、世界は広いってこと知らないの?」


 映るのは、たった一人の少女しかいない記憶。亜麻色の髪に、青い瞳の、少女。

 彼は、混沌とした世の中で、天才と呼ばれていた。幼い頃より研究施設で育ち、人を殺める兵器を作らされ続けた。

 しかしある日、彼は人を殺める事がどれだけ恐ろしく、酷いのかを知った。何よりも自分が怖くて、これ以上犠牲を出さないためにも、研究所から逃げた。


「ぼろ布かと思ったら……まさか人だなんて」


 逃げて、逃げて。生きる目標もないのに。焼け焦げた町に、潜んでいた。

 食べるものもなく行き倒れていた彼を拾ってくれたのは、彼と同い年くらいの少女だった。

「行くところがないなら、私と一緒に来る?」

 町にあった家は焼けてしまったらしく、彼女は山の麓の小さな小屋に一人で住んでていた。


「お母さんとお父さん?……あの町には、お父さんの安否を聞きに行ったの」

 陰った目を、彼は生涯忘れられなかった。

「戦死したって」

 砂のように味気なく彼女は続ける。

「お母さんは空襲で、お父さんは戦場で。お陰で私は一人ぼっち」


 自分のせいだ。自分のせいで彼女は家族を失った。けど……彼女について行くよりほかない。

 彼は苦悩していた。言わなければならないのに口から出ない。

「おはよう」「おやすみ」「ありがとう」

 そうしているうちに、彼女との日々は穏やかに過ぎていく。冬が来て、春が過ぎて、夏になって、また秋を待って。何度も何度も繰り返した。

 ある日、ついに溢した。抑えきれなくなったのだ。彼女は少し驚いた後に、真っ直ぐとこちらを見た。


「……そっか。じゃあさ、これからは世界を元に戻す機械を作ってよ」

「へ?」

「それから、責任取って私の家族になって」


 ひまわりのような笑顔に彼は一瞬時が止まったように思えた。


「な……んて言ったの?」

「恥ずかしいからもう一回だけよ?……私の家族になって」

 画面がぼやけて、彼が泣いていることに気がついた。彼女は困ったように笑って、ハンカチで涙を拭ってくれる。

「僕が……嫌いじゃないの?……君の家族を殺したも同然なんだよ?」

「……私、貴方の綺麗な黒髪が好きよ。凛とした目も、優しい笑顔も。一緒にいると幸せなの。貴方がいてよかった、拾ってよかったって、心から思うのよ」


 その日、彼には生きる目標と家族ができた。


「あなた、世界は広いってこと知らないの?」


 そうだ。世界は広い。百何十年前、未知のウィルス、隕石による地球危機が来る前は、豊かな世界が確かにあった。


 こんな自分を、愛してくれて、信じてくれる人もいる。


「ねえ!……大事な話があるの!」


 そして、こんな自分にも守るべき存在が増える。


 豊かな世界を取り戻すには、豊かな新しいエネルギー源、人類の増加が必要だということがわかり、いよいよ、人類増加プログラム、世界復興装置ができた時だった……。

 戦争が激化したのは。


「ごめんなさい……。この子を……お願い。名前は……」


 戦争のせいで、取り上げてくれる予定だった産婆も死に、空は戦闘機だらけ、空襲警報の鳴り止まない中、彼女は子を産んで死んでしまった。

 のちにこれは、人類滅亡戦争と呼ばれた。

 各国による無差別攻撃。

 そして人類は滅び、戦禍の中、生き残ったものでさえ混乱によって殺されたり逃げたりで家族と別れさせられてしまう。元より一人では生きられない脆弱な生き物である人類は、世界から姿を見せなくなった。


 そして彼も、彼女の忘れ形見、唯一の家族と別れさせられ、絶望の淵に落とされた。


 そこからは、ただただ同じ情景が続く。

 昼夜構わず、彼は研究を続ける。

 こうしてできたのが、旧人類増加プログラム、『人類再生プログラム』だった。



「……ガガ……メッセージは……以上です」


 正直に言って、私は人類を再生させようとは思わない。それにできない。研究の内容なんてわからなかった。私は文字が読めないのだから。


「それでも……」


 ロボットを拾い上げ、画材でぎゅうぎゅうのカバンに詰め込んだ。

 気持ちだけ、受け取ろうと思った。


「変なの、亡びゆく世界に追い討ちをかけたのに、今度は直そうとするなんて」


 まるで積み木遊び。作っては壊し、作っては壊し。


「積み木が可哀想」


 真っ青に塗ったキャンバスに、壊れかけた積み木と砂漠を描く。そばにいるのは、自我のないロボット。なにも言ってこない、なにもしない。


「さて、そろそろ行こう」


 どこへ? それは誰にもわからない。


           *


「……寒いなぁ」


 旅を続けていたら、雪山にたどり着いた。麓の村は、雪で埋もれている。足が重い。吹雪で凍えそうだ。


「山を越える以外に、道ってなかったっけ?」


 それがないのだ。滑稽な自問自答に苦笑しながらも進む。元より進むしかないのだから。


「え……」


 進んで、進んだ先に、焦茶色の髪が見えた気がした。あの子の、焦茶色が。


「サーシャ!!」


 雪に足を取られそうになりながらも走る。

 やっと会えた、やっと見つかった。

 倒れているようだ。駆け寄って、体を起こした時に気づいた。


「……あんた、誰?」


 “黒髪の少年“は朦朧とした意識の中でそう言い、意識を失う。

 人違いだった。あの子じゃなかった。

 とりあえず、近くの穴倉まで運び、火を焚く。死なせないとかじゃなく、なんとなくだった。私が寒かったのもある。


「ん……」

「目が覚めた?」


 パチパチと火の粉が飛ぶ。助かったようだ。黒髪碧眼の少年は未だボケっとしているが、目覚めた。


「あんた、誰」

「人に名前を聞く前に自分から名乗りなさいって幼稚園の先生に言われなかったの?」


 いきなり敵対心丸出しで睨んでくるものだから、少しいじめたくなった。


「ヨウチエンってなんだそれ。……俺の名前はコゾー」

「変な名前」

「じいちゃんが俺のことそう呼んでた」


 コゾー……小僧か。十二〜十四くらいの少年を呼ぶのにぴったりだ。名前と信じて疑わないなんて、余程愛を込めて呼んでもらっていたのだろう。

 火をつつきながら尋ねる。


「その人、どこにいるの?」

「この間死んじゃった。食い物が足んなかった。ジジイがこんな寒さの中で、空腹のまま生きられるわけないだろ」


 だからひとりぼっちなのか。それに、飢えてる。


「なあ、そのカバンの中、何が入ってるんだ?」

「残念だけど、食べ物じゃないよ。絵を描くもの」


 そういうと、少年は心底不思議そうな顔をした。


「なんで画材なんて持ってんだよ」

「なんでって……必要だから」

「じゃなくて、どこで手に入れたんだよ!」


 やけに話を聞いてくる。この少年の目的はなんなのだろう。

 怪しがりながらも淡々と答える。


「おうちが画材屋だったんだよ」

「へー。……絵、描いてんの?」

「うん。描きながら世界を回ってる」


 白湯を飲むと、寒さでツンとした鼻に温かさが染みて、変な感じになった。


「……飲む?」

「聞かなくても飲むに決まってんだろ」


 可愛くない子だな……と思いつつもコップを渡す。


「って下が黒くなってんじゃん」

「焚き火で沸かしたらそうなるの」


 ……。しばらく沈黙が続いた。

 案外喉が渇いていたらしい。でもこの乾きが、ちょっと懐かしく思った。


「……あのさ」

「……何?」

「……俺も連れてけよ」

「どこに?」

「旅に」


 そういえば、この少年はなぜ山を登ろうとしていたのだろう。何が目的なのだろう。


「世界は広いってこと知ってるか?」

「え……」

「じいちゃんが色々話してくれたんだ。世界のこと。世界はな、色んなものに満ちてたんだ。俺は世界を、元に戻す」


 凛とした青い目が、光ったような気がして目を擦った。

 ……知ってるよ。世界が広いことなんて。


「じいちゃんが言うには、俺は頭がいいんだと。だから、きっとできる。やってみせる」


 よくわからない使命感と、まだ見ぬ世界への好奇心、そして少しの不安が、垣間見えた。


「なんだよ、黙り込んで」


 ああ、そうか。

 元の世界を生きたことがあるのは、もう唯一私だけになったのか。


「旅についてきてもいいよ」


 世界が戻るまで、私は手向け続けなければならない。


「私の弟子になるならね」


 世界だって、ひとりにばかり悲しまれるのも、もうそろそろ飽きたでしょう。


「はぁ!?」

「私のことは、師匠って呼びなさい。あと、少年に新しい名をあげよう」


 ちょうど吹雪が収まって、太陽の光が差し込んできて。穴倉から一歩出た時に、思いついた。


「ノア」


 冷たい空気を吸ってそう呼んだ。


「……結局俺、あんたの名前聞いてないんだけど」

「教えない」

「ひでー」


 火を消して、画材でいっぱいのカバンにコップをしまい、帽子を被る。


「さあ行くよ」

「はいはい……師匠」

 

           *


 とある国のある町に、一つの画材屋があった。陽気な店主には綺麗なお嫁さんと愛娘がいた。

 しかし、娘は六つになる前に、永遠に眠り続ける奇病にかかる。店主は深く悲しみながらも、体を保存できる機械を作った。希望を捨てず、目が覚めた際は、コールドスリープが解けるように。自分たちがいなくなった後も寂しくないように、画材や思い出を部屋に詰めて。


 百何十年後、娘は奇跡的に目覚める。隣にいたのは小さな女の子。「お姉ちゃん」と呼ぶその子を、彼女は妹だと思った。

 わからない事だらけでも幸せな日々。

 けれど長くは続かない。人類滅亡戦争によって、二人は生き別れとなってしまった。




「師匠って何のために絵を描いてんの?」

「妹に、ここでこんな物を見て感じて描いたんだよって教えるためかな」

「へー」

「あとは、美しい世界への手向けだよ。ってほら、手が止まってる。無駄口叩いてないで描きな」


 今日も世界は滅びかけながら回っている。


「私の名前を一番最初に呼ぶのは、あの子であってほしい」

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