箱の中にいる謎の生き物

八百十三

第1話

「ただいまー」

「あ、ママ! おかえりー」


 ある日の休日。自宅でぼんやりとゲームをして遊んでいた小学5年生の唐沢からさわれいは、母親である唐沢からさわ真希まきが自宅のマンションのドアを開けながら呼びかけてきた声に、すぐさまコントローラーのボタンを押して立ち上がった。

 メニューを開いて画面を止め、さらにホームボタンを押す。そして部屋の扉を開けると、ちょうど真希が靴を脱いだところだった。


「ごめんね、黎。お留守番できた?」

「うん、大丈夫」


 自分の頭を微笑みながらくしゃりと撫でてくる真希に、黎は素直に頷いた。

 今日は休日、土曜日の夕方だ。本来ならば母も仕事に行く予定はなく、黎と一緒に家でのんびり過ごしているはずだったのだが、急に仕事に駆り出されて昼前に家を飛び出していってしまったのだ。

 真希が仕事で毎日忙しく、休みの日にもちゃんと休めると限らないことは黎も知っている。母が『魔法』に関わる仕事をしていて、偉いのだということも。

 だから黎は一人での留守番には慣れていたし、外で遊ぶよりも家の中で遊んでいる方が好きだった。だから今日もいつものことだ、と思っていたのだけれど。


「偉いわね。じゃあ、はいこれ」

「え? ……なにこれ」


 にっこり笑顔を見せながら、真希は黎に小さな箱を渡してきた。手のひらに乗るサイズの小さな、厚紙製の箱である。リボンが丁寧に巻かれていて、さながらチョコレート菓子の包みのようだが、その割には随分と

 突然渡された箱を両手で包み、黎は真希の顔を見上げて問いかける。すると母は困ったような笑みをしながら小さく頷く。


「今日のお仕事で、ちょっとね。今日いい子にしててくれたし、黎にあげる。昨日に誕生日プレゼントあげれなかったから、その代わりね」

「わぁ、ありがとう! 開けていい?」


 真希の言葉に黎はぱっと表情を明るくした。昨日は黎の誕生日、お祝いされることをとても楽しみにしていたのだが、真希は仕事で忙しかったためにお祝いが出来ず、代わりにと自宅に来てくれた祖父母が誕生日パーティーをしてくれたのだ。

 祖父母との誕生日パーティーも楽しかったし、ケーキやチキンは美味しかったが、それでもやっぱり母親と一緒に祝いたい。だからこうして渡してもらった小さな箱も嬉しくて、すぐに開けてしまいたかったのだが。真希は黎の額を軽くつつきながら首を振った。


「だーめ。今日の夜まで我慢してちょうだい。箱は黎が持ってていいけど、開けちゃダメよ。開けたらになるからね」

「え……えぇー、なにそれ」


 母の要領を得ない言葉に、分かりやすく口をへの字に曲げる黎だ。折角のプレゼント、開けて中身を見たいのは真希だって分かっているだろうに、そんな事を言ってくるなんて。

 おまけに「大変なこと」とは。プレゼントとして渡すものに対しての言葉ではない。そもそもそんなものを息子へのプレゼントに渡すなんて、どういうことだ。

 訳が分からないでいると、真希は通勤に使うカバンを自分の部屋にしまって、トートバッグ片手に再び出てきた。服もさっさと着替えたのか、普段着のTシャツとワンピース、タイツ姿である。


「ヒ・ミ・ツ。じゃあ、お母さんちょっとお買い物に行ってくるから、ごめんだけどまたちょっと留守番しててくれる?」

「え、うん。いってらっしゃい」


 そう言うと真希はさっさと靴を履き始めた。確かに仕事から帰って来るにあたって、買い物をしてきた様子はなかった。これから夕飯の支度をしないといけないのもあるだろうし、買い物に行ってくるというのは自然だろう。

 だが、そんなに急いで帰ってこないといけないくらいに、この小箱は大変なものだったのだろうか。首を傾げるしかない。

 と、靴を履いて扉の鍵を外したところで、真希は黎に振り返って言った。


「よろしくね。あ、もう一回言うけど、その箱、絶対に夜まで開けちゃダメだからね!」

「はーい」


 念を押すように言ってきた真希に、もはや惰性で黎は言葉を返す。言い返したところで何が変わることもない。

 部屋に入ってゲームを再開する。先程受け取った小箱は部屋のドア横にあるカラーボックスの上に置いた。そうしてゲームを遊び始めたのだが、やはりあの小箱が気になってしょうがない。


「……んー」


 ゲームが一区切りついたところでセーブを行い、再びホーム画面に切り替える。そしてコントローラーを放りだした黎は、立ち上がって小箱を手に取り、眺め始めた。


「開けるな、って言われたけど……なんだろ、これ」


 先程に受け取った時と同様、いやに軽い。空箱なのかとも思ってしまうが、開けちゃダメなんて言うんだから何かが入っていることは予想がつく。今日のお仕事で、とも言っていたから、『魔法』関連の何かである可能性もある。

 気になる。気になるのだが。


「いやでも……ママがあれだけ言うんだしなぁ……開けちゃダメなんだよなぁ」


 そう、真希があれだけ念を押してくるのだ。確実に、本当に「大変なこと」になるだろう。魔法に関わる物品にしろ、生物にしろ、適当な取扱いをすると大変なことになってしまうのが常だ。学校でも口酸っぱく言われている。

 この前も同じクラスの和歌山わかやま君が、道端に転がっていた仔犬を触って構っていたらそれが近所から逃げ出した火の精霊で、毛皮から火を出されて手を火傷した、なんて事件があった。ここで同じようなことが起こらないとも限らない。


「……」


 だが、しかし。箱を置いてまたゲームをやろうにも、どうしてもそういう気分にならない。今のところ問題の箱は大人しいし、何が起こる様子もないが、だからこそ不気味だ。


「うーん」


 しかし、しかしだ。だからこそ好奇心を掻き立てられて仕方がない。だってこんなに大人しいのだ。暴れる様子もなければ、騒ぐ風でもない。そもそも箱の中にいるのなら、箱から出るようなことが無ければいいのであって。

 恐る恐る、リボンをほどく。それそのものは簡単に解けた。箱の蓋がシールなどで固定されているわけでもない。持ち上げれば開きそうだ。


「ちょっと……ちょっとだけ」


 そっと、そーっと箱の蓋を持ち上げる。案外するりと箱は持ち上がり、中に入っていたが、ちらと見えた。

 そこにいたのは。


「――」

「えっ」


 そこにいたのは、小さな小さなだった。すやすやと眠っていて、蓋を開けたのにまだ気付いていないらしい。ほんのわずか、寝息を立てているのか胸が上下していた。

 だが、それにしたって。手のひらに収まる箱の中に入っているのだから、その小ささは推して知るべしである。


「ネ……ネコ? いやでも、なんかちっちゃいし」


 そう、あまりにも小さい、生物として小さすぎるこの猫が、普通の生物である筈がない。どう考えてもだ。

 なんの精霊だろう、もっと観察したいが、目を覚ましたら大変なことになるんじゃないか、と思って動けないでいた、その時だ。


「ただいまー」

「あっ、っ」


 ドアが開く音がした。同時に真希の声が玄関から聞こえてくる。思わずびくりと体が震え、同時に箱の蓋をしっかりと閉めた黎だ。

 冷や汗をかきながら、顔だけを自室の扉からひょこりと出す。


「おかえりー」

「ただいまー。はー、見つからなくて探しちゃったわ」


 母の手にしたトートバッグの中には、夕飯のための総菜類や冷凍食品の他、精霊向けの栄養補給フードと水皿、猫じゃらしが入っていた。やはり、この箱の中にいるネコ的な精霊向けのものだろう。精霊に専用のフードが販売されているのもなかなか謎だが、いくら精霊と言えどもお腹は空くのだ。

 と、トートバッグを下ろしながら真希が目を細める。


「で……ふーん」


 その視線の先にあるのは、黎の手に握られた小さな箱だ。リボンが解かれ、しかし蓋をしっかり手で押さえられた、その箱。


「黎、その箱」

「え、あ、開けてない、よ!」


 真希が指摘するように言うや、黎が大慌てで声を上げた。リボンが解かれていて、開けていないも何もないが、しかし彼としてはそう言うより他にない。

 見え見えの嘘をつくも、必死に蓋を抑える黎を見て、真希はくすりと笑みをこぼした。


「ふふっ、ま、そういうことにしときましょ。さて、晩ごはん晩ごはん」

「え、あっ」


 しれっと言いながら洗面所に向かう真希は、明らかに黎の言葉を受け流した。あまりにもあからさまに見逃した動きに黎は目を見開くが、部屋に戻って高鳴る鼓動を必死に抑える。


「……だ、大丈夫、大丈夫、たぶん……」


 怒られなかったし、咎められもしなかった。だから大丈夫なのだ、多分。

 恐る恐るリボンを巻きなおして、再びゲームに興じる黎。1時間もした頃だろうか、リビングから真希の声がする。


「黎ー、ごはんよー。ゲームやめてこっち来なさい」

「あ、はーい」


 夕飯が出来たのだ。お腹も空いたし待ち遠しかった。すぐさまゲームをやめてリビングに行くと、そこには唐揚げ、フライドポテト、鶏の照り焼きにサラダ。ごはんもいつもの白ごはんではなく炒飯だ。


「わ、すごい」

「誕生日だしね、本当は昨日だけど……ま、昨日出来なかったお詫びってこと」


 黎が目を見開く中、嬉しそうに真希が笑う。確かに誕生日当日は、祖父母がご馳走を振る舞ってくれたが、母との誕生日はまた格別だ。

 急いで手を洗い、食卓に着く。そして二人して、ぱっと手を合わせた。


「じゃ、いただきまーす」

「いただきまーす」


 そこからは早かった。唐揚げ、照り焼き、ポテトと次々食べていく。どれも美味しい。きっとすべては手料理ではないにしても、どれも美味しいし食べていて楽しい。黎はとても嬉しかった。

 もりもり食べて1時間足らず、皿が全部空になったところで、満面の笑みで黎が言う。


「ごちそうさまー」

「はい、ごちそうさまでした」


 真希もにこにこしながら手を合わせた。そして使った皿をキッチンのシンクに持って行き、テーブルを拭いたところで真希が言う。


「そろそろいいかしらね、黎、あの箱持ってきなさい」

「あ……はーい」


 その言葉に黎が身を固くする。あの箱、とは当然、あの精霊らしきネコの入っている小箱だ。部屋に戻るも、箱に変化はない。それをそうっと持ち上げて、恐る恐るリビングまで持って行った。


「もう、開けていいの?」

「いいわよ、夜になったし。そろそろ家の空気にもと思うから」


 箱をテーブルの上に置いて、念のためにと母に問う。あっさり頷いたことに拍子抜けしながら、黎は自分で結び直したリボンをほどいた。


「うん……開けるよ」


 蓋に手をかけ、ゆっくりゆっくり持ち上げる。今度はしっかり、蓋を完全に取り払って。中にいるネコの姿が、蛍光灯に照らされた。


「――」

「あ、ネコ……ネコ?」


 やっぱりネコだ。小さい、あまりにも小さい。しかしここで黎は先程、盗み見した時に気付かなかったものに気付いた。

 このネコ、背中にが生えているのだ。天使のような小さな羽が一枚ずつ。黎にも覚えがあった。風の精霊の一種、エンジェルキャットだ。

 と、光が目に入ったのか、エンジェルキャットが目を開く。


「ファゥ」

「あっ、起きた? かわ――」


 起きた、と喜んだのもつかの間。箱の中からエンジェルキャットが飛び出した。

 それと同時にその身体がむくむくと大きくなり、一般的なネコと同じくらいのサイズにまで膨らんだ。先程まではぴくりとも動かなかったのに、随分元気に飛んでいる。


「わっ!?」

「よかった、だいぶ元気になったわね」


 部屋を飛び回るエンジェルキャットを見て、真希がホッと息を吐き出した。手を差し出し、エンジェルキャットに手を掴ませながら話す。


「このコね、今日の仕事で逮捕した脱法魔術師が使い魔にしていたなの。かなり弱っていたし、子供の側にいることで元気になるコだから、うちで引き取ることにしたってわけ」


 真希の言葉に黎は今度こそ目を見開いた。

 精霊を使い魔にする魔術師は数多く存在するし、なんなら使い魔使役検定に合格していれば一般人でも使い魔に出来る。だが、検定に合格していたとして適切に使い魔を使役していなければ、当然その資格は剥奪されるのだ。

 法律順守の気持ちが無い脱法魔術師が逮捕されれば、当然使い魔の使役資格も失う。このエンジェルキャットも、そうして解放された精霊の一体だ。


「使い魔……精霊? ってことは、この子、僕の使い魔にしてもいいってこと?」

「そのつもりで連れてきたからね。低級精霊だから大したことは出来ないと思うけれど、黎はこないだ使い魔使役検定5級受かってたから、問題ないでしょ」


 そして真希の言葉に黎は目をキラキラと輝かせる。子供にとって、使い魔の使役は何にも勝る自慢だ。一体でも精霊を連れていればそれだけでクラスのヒーローになれる。

 黎も先日に、使い魔使役検定の5級を受験して、見事に合格していたのだ。クラスメイトから「いいなー」の大合唱を受けたのも記憶に新しい。

 そしてここで、黎は真希からの言いつけの真実に思い至る。


「じゃあ、夜になるまで開けちゃダメ、って言ってたのは……」

「風の精霊だからね。昼間は箱の中にしまっておかないと、未契約の状態じゃいたずらされて大変ってわけ」


 黎の言葉に真希がウインクして答えた。確かに風の精霊は風を操るし、部屋の中を縦横無尽に飛び回る。契約していない状態では制御も出来ないし、窓の隙間から逃げられないとも限らないのだ。

 母の忠告は、正しく必要な忠告だったのである。


「ありがとう! よろしくね、ネコちゃん」

「フャァ」


 真希の手からエンジェルキャットを受け取りながら、黎はその毛皮にほおずりした。

 後でちゃんと名前をつけねば。そう思いながら、毛皮を抱き締めるのだった。

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箱の中にいる謎の生き物 八百十三 @HarutoK

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