それはまるで、魔法の小箱だった。(後編)


 俺にとって、それはまるで魔法の小箱だった。


 姉貴が大切にしていたメイクボックス。幼い時の俺は、女の子ばかり狡いと思っていた。興味を示せば、あなたは男の子だから――そう、母親に諭された言葉が頭から離れない。


 でも、姉貴は「好きなら良いよ?」と。

 そう言って、メイクをする姿を見せてくれた。その姿を見ながら、思う。まるで魔法としか言いようがなかった。


 女の子が、メイクで見違え――美しくなっていく。

 だから、なおのこと、未だ胸に楔を打つ。


 どうして、あの時……笑ってしまったのだろう?

 姉貴のメイクを常日頃、見ていたから――そんなの、ただの言い訳だ。


 ――ねぇ、啓? 男の子だからメイクに興味を持ってはダメだって言う人と。綺麗になりたい女の子を笑う人と。いったい何が違うんだろうね?


 そう言われたら、返す言葉もない。

 何回か、亜衣に謝ったけれど。


 ――そんな前のこと、気にしてないよ。

 クスクス、亜衣は笑う。


 ――啓ちゃん、考えすぎだからね。

 ちょんと、指で鼻先を弾かれた。


 亜衣は俺のことをどう思っているんだろう?

 近しいだけの存在?


 多くの不特定多数の男子?


 大学でのゼミ生の話を聞けば、どいつもこいつもイケメンで。俺は亜衣に優しい言葉ひとつかけられないから、いつも陰鬱な感情に囚われてしまう。


 ――ねぇ、啓? 本当に合コンに行かせるつもりなの?


 とっくの昔に、俺の気持ちはお見通しな姉貴は、呆れながら息を漏らす。

 それは、姉貴にとっては、助け舟のつもりだったんだと思う。

 でも、合コンに行くのを亜衣が楽しみにしているのは、目に見えて明らかで。


 そんな俺にできることと言ったら、誰よりも亜依らしさを引き出してあげること。

 そして、変な感情は捨てて、合コンに送り出すことだけだった。


 ――バカだよ、啓。本当にバカ。たった一言『行くなっ』って言えばいいじゃん。本当にヘタレ。


(……う)


 自分でもヘタレだって思うけれど。

 でも、亜衣をこれ以上、否定したくないって、そう思ってしまって――。

 単純に、それだけだったんだ。


 キーコー、キーコー。

 ブランコが揺れる。


「……こんなに、亜衣のことが好きだったんだな。俺、バカみたい――」


 キーコー、キーコー。

 ブランコが揺れる。


 亜衣と一緒に駆け回った公園に久しぶりに来てみたら。あれ? って思う。こんなに小さかったっけ? つい戸惑ってしまって――。


 じわじわ、自分が口にした言葉が、自分の胸のなかに滲んでいく。もっと、早くこの言葉を口にしていたら、もっと早く自分の感情に気づけたのかもしれない。


 キーコー、キーコー。

 ブランコが揺れる。


「……本当に?」

「こんなこと、冗談で言え――え?」


 俺は目を大きく見開く。

 足でブランコを止めても。


 隣で、キーコーキーコー、音が止まない。

 夕陽が落ちかけて。


 その斜陽がやけに眩しいって感じて――目を閉じてしまう。

 その瞬間だった。


 膝の上に、軽い衝撃。

 目を開ける。


 目の前に、亜衣の顔が。狭いブランコだというのに、無理矢理俺の膝の上に座り込んで、ニシシと笑う亜衣がいた。


 そうだった――今さらながらに思う。傍若無人を絵にかいたようなヤンチャ坊主ガール、それが亜衣だった。












「合コンはどうしたのさ?」

「……ごめんって言って、帰ってきちゃった」


 予想外の言葉に俺は目を丸くしてしまう。へへへ、と悪びれず亜衣は笑う。

 いや、それよりも今の格好だ。向かい合うように、一つのブランコに座るとか、どれだけ無理ゲーなんだろう。それに亜衣、お前……ワンピースの自覚ある? かなり短いけれど?


「啓ちゃんのえっち」

「なんで?!」


「今、思いっきり私の足を見ていたでしょ?」

「いや……それは、亜衣がそんな格好するから!」


「意識しちゃう?」

「い、意識しないワケないだろ! お前、もうちょっと自分が可愛いの自覚しろよ?」


「私が?」

「他に誰がいるのさ!」


「……啓ちゃんもそう思うの?」

「誰だって、そう思うと――」


「啓ちゃんは、どう思うの?」

「それは、可愛い……」


 単純に可愛いって言うのは、何だか違う気がして。きっと、この時の俺は思考がフリーズしていたんだと思う。


「好き、だ」

「え……?」


「亜衣が好きだよ。可愛いってもちろん思うし、綺麗だって思う。でも、それより何より――亜衣が好きだ。ずっと好きだった」


 言ってから後悔した。気が動転し過ぎだ。俺は何を言って――そう逡巡していると、ぐいっと亜衣が俺の手首を掴んだ。


「け、啓ちゃん……い、今そんなこと言うの、ズルいから……」


 見れば、亜衣がその両目に涙を浮かべて。泣かないように、必死に堪えているように見えた。


「う……せっかく綺麗にしてもらったのに、台無しになっちゃう――」

「そんなの、またメイクすりゃ良いじゃん」


「無理だよ、私、メイクが壊滅的に下手だもん」

「……そんなの俺がすれば良いだろ?」

「……狡い、啓ちゃん、そういうこと言うの、本当にズルいから……」


 亜衣がブランコから降りる。

 それは――もう、手遅れってことだろうか?


 胸が痛い。

 もっと早く言えたら、違う未来があったのだろうか。


 陽は落ちかけて。

 影がのびて――手を引かれた。


 ついた先は、砂場だった。

 その中心に立って、亜衣が俺を見る。


「啓ちゃん、私もね。啓ちゃんが、大好きだよ。ずっと、大好きだったんだよ」

 亜衣が背伸びをする。


 ――啓ちゃん! 恵留ちゃんのようにキレイになるから。そうしたら、私がになるからね!


 姉貴至上主義シスコンと言われた俺に対しての宣戦布告。あぁ、そうか。一緒に居すぎて、まるで分かっていなかった。俺、こんなに亜衣に想われていたんだと、今さらながら気付く。

 と――背伸びをしたまま、亜衣が俺の頬に口付けをする。


「亜衣?」

「啓ちゃん――?」


 今度は、俺がかがみ込んで。

 ほんの少しの身長差。


 その距離を埋めるように。

 陽はもうすっかり落ちた。


 電灯がチカチカ灯るけれど、俺たちを照らすには少し、弱い。

夜の帳に隠れながら――。


 俺たちは小鳥が啄むように口付けを交わす。












 好きだよ、好き。好き。好きだよ――。

 他の人にメイクするのイヤ――。

 好きだよ、好き。好きだったんだ。ずっと好き――。

 好きだよ。だから私だけ見て――。







 今まで、我慢していた感情が、きっと弾けたんだと思う。

 その言葉を夜闇に溶かすには、あまりに溢れ出過ぎた。









 頬につけられた、リップのキスマーク。

 数刻後、手を繋ぐ俺たち。

 商店街を歩いて囃し立てられることを、この時の俺たちは知るよしもなかった。







■■■






「ちょっと、あまりに遅くないか? 女の準備が遅いのは分かるけど? 啓、なんでお前が遅いんだよ?! ユニバース スタジオ ジパングは逃げないけれど、時間は逃げるだろ?!」


 そう息巻いて、ノックもせずに俺の部屋を開け放ったのは、父さんだった。今日は我が家と、亜衣一家でお出かけの日。総勢、12人。ちょっとしたツアーだった。


「「「あ――」」」


 三人の声が重なる。

 メイクボックスを前に、これから亜衣に口紅を塗ろうとした最中だった。


「おじさん、ごめんなさい……。その、もうちょっとだから……」


 申し訳なさそうに、亜衣が言う。俺はそんなこと、お構いなしに、顎を指でくいっと摘まんだ。


「動かないの」


 それから父さんの方を見て。


「……メイク中の女性をジロジロ見るのは、エチケット違反だよ?」

「ご、ごめん――」


 狼狽しながら、父さんは慌てて部屋を出て行った。二人、顔を見合わせて、つい苦笑が漏れる。


「おじさんに悪いことした気がする……」

「まぁ、亜衣はワルい子だよね?」

「そ、それは啓ちゃんが――んっ」


 言葉を奪う。リップを塗ったら、なかなかキスができないから、と。仕上げになかなか至らない。


「ワルいのは、啓ちゃんで――」


 また言葉を奪う。


 塞いで。

 触れて。


 あと少しだけ。

 もう少しだけ――。


 さすがに、これ以上は時間を浪費してしまうから。

 やっと俺は、亜衣の唇にルージュを引くことを決意する。




 いつからだろう?

 いつ、魔法をかけられたんだろう?


 これは、まるで魔法の小箱。


 女の子を、綺麗にする魔法がつまっている。

 綺麗になるための魔法を取得するために、女の子達はいつも努力を惜しまない。




 そんな魔法の小箱に触れて。


 魔法の小道具ツールを手繰りながら、俺だけが亜衣に魔法をかける。

 ずっと溶けない魔法を。

 これからも終わらない魔法をかけ続ける。

 

 


 ――私にとって、それはまるで魔法の小箱。

 ――俺にとって、それはまるで魔法の小箱。






  魔法なら、とっくにかけられていた。

 

  



【おしまい】

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【KAC20243】それはまるで、魔法の小箱だった。 尾岡れき@猫部 @okazakireo

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