【KAC20243】それはまるで、魔法の小箱だった。

尾岡れき@猫部

それはまるで、魔法の小箱だった。(前編)


 私にとって、それはまるで魔法の小箱だった。

 けいちゃんのお姉さん、恵留えるちゃんはスゴイって思う――。


 12歳差のお姉ちゃん。


 当時、私達は10歳。恵留ちゃんが、とても大人に見えたんだ。

 そんな恵留ちゃんが愛用していたメイクボックスは、革で作られボストンバッグを模していて。


 そのなかには、ところ狭しとメイク道具が詰め込まれていた。ファンデーション、コットン、チーク、アイブロウ、アイライナー、リップ……。


 メイクボックスをひらけば、化粧鏡が備えつけられている。

 鏡越しに見た、リップを塗る唇が艶やかで。語彙力のない当時の私は「つるん」って。そんな風に表現をしていた気がする。


(キレイ……)


 鏡越しに映る恵留ちゃんを見て、純粋にそう思ったんだ。

 恵留ちゃんのように、変身できたら。


 啓ちゃんは、ちゃんと私のこと見てくれるかな?

 そんなことばかり、思っていた。


 だって、啓ちゃんは年上が好みだ。

 恵留ちゃんのお友だちは、みんな美人さんだ。比べられたら、太刀打ちなんかできない。そんなことは分かっている。


 でも、背伸びしたかった。

 恵留ちゃんのお部屋に、啓ちゃんと忍び込む。最初は、恵留ちゃんのマンガを借りよう――それぐらいのテンションだった。


 勉強机のうえに、恵留ちゃんのメイクボックスがあったのを見て、私は目を奪われる。


 私も綺麗になれるだろうか?

 啓ちゃんは、恵留ちゃんおベッドの上で、マンガを読みながら笑い転げていた。


 かちゃり。

 ロックを解除する。


 やけに、その音が耳につく。

 口紅に手をのばす。


 ちょっとでも、良いから。

 少しで、良いから。


 綺麗になりたい。

 大人になりたい。


 可愛いって言われたい。


 啓ちゃん、私を見て?

 その一心で、唇に塗って――。


「ぷぷっ」


 笑いが弾けた。

 背筋が凍りつくのとは裏腹に、羞恥心で口紅以上に私の体は熱く――焼き切れそうなくらい、熱をともす。ちょうど、そこに恵留ちゃんが帰ってきて――。


「啓っ!」

 なぜか恵留ちゃんに怒られたのは、啓ちゃんだった。







■■■





「合コン?」


 そんなに驚かなくてもと思う。私だって、もう大学生。そして二十歳になったのだ。合コンの一つや二つ、お誘いだってくる。恵留ちゃんは目を丸くして私を――それから、なぜか啓ちゃんを見た。


 時々、恵留ちゃんはそういう目で、私達を見るけれど。

 もう私は、諦めていた。


 啓ちゃんが、そういう感情を持ち合わせていないと、想うことにしたのはいつからだろう。進学先も別々。恵留ちゃんを慕って、たまにこうやって遊びに行くけれど、啓ちゃんとの接点はほとんどなかった。


 ことん。

 啓ちゃんは私の目の前に、ホットココアを置く。


(……美味しい)


 恵留ちゃん目的の訪問が常習化したからか。いつの間にか、啓ちゃんは私の好みの味で、おもてなしをしてくれるようになった。でも、それだけ。ただ、それだけの関係だった。


「……それで、亜衣あいは私にメイクをして欲しいってこと?」


 ご名答すぎだった。恵留ちゃん、30を過ぎて、ますます綺麗になった。これで、四児の母とは信じられない。現役ママさんコスプレイヤー、本当に恐れいる。一方の私は、いつまでたっても、メイクの腕が上達しなかった。


 女子力という忌ま忌ましい言葉を前にして、私は途方に暮れるしかない。いや、料理はそこそこに上手いと自負している。愛嬌だってある――はずだ。


 だって、片手で数える程度だけれど、告白もされた。

 でも結局、乗り気になれないまま、今日に至る。


 これじゃダメだと一念発起して、合コンに参加しようと思ったワケだけれど。

 根本的に、メイクができないことに気付いて、愕然としている。ちなみに、今ココ。

 大学の悪友達と遊びに行くのなら、スッピンもしくはナチュラルメイクは有りだって思うけれど。


 ――合コンなんだからさ、ちゃんとメイクしてきてよ!


 悪友にそう言われてしまった。

 意味がわからない、と思う。


 ――ノーメイク……それって、男子には全く興味ないって意思表示じゃん。何しに合コンに行くのよ?


 それは……。

 そう言われたら、ぐうの音も出ない。でも、本当に私のメイクの技術ウデは、壊滅的なんだ。


(でも、どうしろって……)


 藁にもすがる想いで、 恵留ちゃんにお願いをしたわけなのだが――。


「ごめんね☆」


 甘みあっさり断られた。


「その日は、家族6人でディスティニーランドに行くからね」


 おぉ、日本最大のテーマパーク。まさいく夢の島! 良いなぁ、私も行きた――じゃなかった。恵留ちゃんがダメなら、もうメイクは絶望的と言える。


「啓にやってもらったら良いんじゃない?」


 さらっと、恵留ちゃんがとんでもないことを言い出した。


「啓ちゃんが?」

「俺が?」


 二人、同時にハモッてしまう。


「あら? 啓はウチのチームのメイク担当って言っても過言じゃないからね?」

「え? 【アポカリプスの聖女たち】の?」


 それは恵留さんが所属しているコスプレイヤー・チーム名だった。


「音無さんも、長谷川さんも太鼓判押してくれたから、大丈夫だって」


 ニコニコ笑って、恵留ちゃんがそう言う。私は唖然と――啓ちゃんは憮然とした表情で、息を漏らす。不快そうに見せる、啓ちゃんの本心が私にはよく分からなかった。






■■■






「じゃ、行くぞ」

「は、はい……お願いします」

「なんで敬語なんだよ」


 啓ちゃんは、苦笑を漏らしながらも、作業を進める。

 男の子にメイクアップされるなんて、思ってもみなかった。


 恵留ちゃんは、太鼓判を押すが、私は不安しかない。合コンで笑われちゃうのか、と憂鬱な気分が拭えないまま、促されるがままに洗顔を終える。

 と――ぼうっとしていると。啓ちゃんのは手際よく作業を進めていた。早速ファンデーションを……じゃなくて。化粧水、乳液を浸透させて、まずは肌の保湿を確保していく。

 それから、慣れた手つきで。優しく、ファンデーションで下地を塗っていく。


(え……? 啓ちゃん、近くない?)


 寸分の迷いがない動作。

 フェイスパウダーで、私の頬がまるで潤いがあるかのように見えて。


(……これ、私?)


 メイクボックスの鏡みに視線を向けながら、ちょっと自分のことだというのに、信じられなかった。


「次にアイメイクね」


 くいっと、指で顎を掴む。あ、わ、わ――コレ、顎クイじゃん?! わ、私、どうしたら良いの。え? これキスって、やつ? 目を閉じた方が良い――?


「目を閉じるなって。アイシャドウを入れられないだろ?」

「あ、うん……」


 そうは言っても。ちか、近いよ、啓ちゃ――。


「動かない。ちょっと我慢して。怖くないから。次、目を閉じて」

「はひ――」


 そんなムチャな。でも啓ちゃんはそんな私の動揺なんか、気にも止めずに作業に没頭している。怖いとは思わない。むしろ、私が知らない啓ちゃんを知ってしまって、鼓動が早鐘を打って――ドキドキが止まらない。


 チークを塗られ、頬をほんのり朱色に染まる。いやきっと今、塗られなくてもきっと顔が真っ赤だって思うけれど。


 忘れかけていた感情が疼く。私は、ただメイクをするだけの対象?

 特に関心を持たない、近しい一人?


 誰か、もう好きな人がいるの?

 それは恵留ちゃんのお友達?


 気づけば、そんな感情が溢れてくる。


 その気持ちをなんとか、飲み込もうと必死になっているうちに、メイクはもう終盤になっていた。


「唇を閉じていてね」


 囁かれる。啓ちゃんと長い付き合いだけれど、こんな風に耳元で囁かれるのは、初めてだと思う。


「あ、あの……」

「口を閉じて」

「はひ」


 口を閉じる。指先で、唇に触れる。


 へ?

 啓ちゃんの指先が私の唇に触れていた。あ、あ、ゆ、指、ゆびが――。


「はい、おしまい」

「う、そ……?」


 メイクボックス備え付けの鏡を見る。


(……これ、私?)


 別にナルシストになったつもりはないけれど。

 あまりに、変わった自分に目を奪われてしまった。


 鏡越し、私の後ろで、啓ちゃんが唇を綻ばせているのが見えた。どうしてだろう? 啓ちゃんが、どことなく寂しそうに見えたのは。


 こんなの私じゃないみたい。

 でも素直じゃない啓ちゃんは、きっとようやくマシになったっとか、そんなことを――。


「綺麗だよ」


 ぼそっと呟く、啓ちゃんに思わず目を丸くした。すぐにそっぽを向いてしまう。啓ちゃんの耳朶が赤く染まっていたのは、きっと私の見間違いじゃないはず――。


「合コン、楽しんできてね」


 そうメイク道具を片付けながら、啓ちゃんは淡々と言う。

 その一言で、私はいっきに現実へと引き戻された。






【後編につづく】

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