デジタル・エクスプローラー

夜桜くらは

デジタル・エクスプローラー

 不法投棄された大小様々なサイズの箱──いや、テレビやパソコンなど、電化製品が山と積まれたゴミ捨て場。

 そこが俺たち『ディジプローラー』の活動場所だ。ディジプローラー──通称ディジプロは、自分の意識をデータ化して、デジタルデバイスに入り込むことができる。そして、デジタル上の空間を自由に動き回ることができるのだ。

 そんな俺たちにとって、ここは絶好のフィールドだった。俺は、そこに積まれたパソコンの一つに意識を集中させる。すると、俺の意識は一瞬にしてデータの羅列に変換され、そのパソコンの中へと吸い込まれる。


 そして、次の瞬間には、俺の意識はさっきまでいたゴミ捨て場から、デジタル空間へと移動していた。

 目の前に広がるのは、どこかの都市のようでありながら、現実感の伴わない奇妙な光景。立ち並ぶ建物は、どれも細切れにされた画像をつなぎ合わせたような作りをしており、所々にノイズのようなものが走っていた。まるでポリゴンのテクスチャががれかけているゲーム画面のようだ。視界の端では、忙しなく流れる文字列のようなものが、砂嵐のようにちらついていた。

 これがデジタル空間だ。データによって構築され、現実とは異なる法則で支配された世界。今俺がいるのは、そんなデジタル空間の一角だった。

 俺は建物の一つ、白黒のしま模様に彩られたビルの前で、いつものように人を待つ。


 やがて約束の時間を少し過ぎた頃、ビルの陰からこちらに駆け寄ってくる人影が見えた。


「あ、芥田あくたくーん……」


 息も絶え絶えに、俺の名前を呼びながら現れたのは、一人の小柄な女性だった。

 肩まで伸びた栗色の髪は、毛先が少しカールしており、走るたびにふわふわと揺れている。

 服装は白いブラウスにベージュのカーディガン、紺色のスカート。学校から真っ直ぐ来たのだろう、胸元には赤いリボンが飾られていた。

 かく言う俺も、制服のままだけど。


「遅いですよ、里中さとなか先輩」


 俺が呆れたように言うと、彼女──里中先輩は申し訳なさそうに苦笑を浮かべた。


「ご、ごめんね……帰ろうとしたら、先生から引き留められちゃって……これでも一生懸命走ったんだけど……」

「まぁ、いいですよ。早く行きましょう。今日はちょっと遠い所まで行くんですから」


 俺はそう言って、彼女から視線を外した。そして、そのまま歩き出す。


「あ……待ってよ~」


 そんな声と共に、里中先輩が俺の後を追ってくる気配がした。

 彼女は俺と同じ高校に通う先輩だ。そして同時に、同じディジプロの仲間チームメイトでもある。

 ディジプロは、二人以上でチームを組んで行動するのが基本だ。未知の部分が多いデジタル空間では、何が起こるか分からない。そのため、一人より複数人で行動した方が安全なのだ。


「えっと……今日はどこに行くんだっけ?」


 里中先輩が俺の横に並びながらそう聞いてきた。


「昨日、チャットで送ったじゃないですか。ほら」


 そう言って俺は、手の平に携帯端末を具現化させ、その画面を彼女に見せた。そこには、俺が事前にまとめておいた情報が表示されている。それを見て、彼女は納得したように声を上げた。


「ああーそっかぁ! 忘れてたよ~」

「……しっかりしてくださいよ……」


 呆れたようにそう言うと、彼女はまた申し訳なさそうな顔をした。


「うぅ……ごめんね……」

「別に怒ってないですよ。それより、早く行きましょう」


 俺はそう言うと、足を速めた。すると、彼女は慌てた様子で後をついてくる。


 目的地までの道中、俺は建物と建物の隙間に落ちている『エレクトロン』を拾いながら進んでいく。エレクトロンはデジタル空間に存在するデータの欠片のようなもので、これを集めることで様々な恩恵を得ることができるのだ。例えば、自身の身体能力の強化に使ったり、武器や道具を作ったりと用途は様々だ。


 エレクトロンの放つ、淡く白い光は、探知に意識を向ければわりと簡単に見つけることができる。俺はエレクトロンの探知に意識を集中させる。すると、まるでセンサーが反応するように、視界の端に淡い光が灯るのだ。


『意識を集中? そんな面倒なことできるかよ』

『適当に壊してれば見つかるんだから、それで十分だろ?』


 ふと、俺の頭の中に過去の記憶がよみがえる。……嫌なことを思い出してしまった。

 俺は小さく頭を振って、その記憶を追い払った。

 と、その時、後方から何かの羽音が響いてきた。振り返り、視線を向ける。機械仕掛けの蜂のようなものが、俺に向かって一直線に飛んでくるのが見えた。──バグだ。

 俺は咄嗟とっさにダーツの矢を具現化させ、バグに向けて投げつける。矢は真っ直ぐに飛んでいき、見事に命中した。


「ギッ……ギィィ!!」


 甲高い声を上げながら、バグは地面に落ちた。その瞬間、バグの体は白い光の玉──エレクトロンへと姿を変える。俺はそれを拾い上げた。

 バグから発生するエレクトロンは、その辺に落ちているものより、比較的純度が高い。だから、こうやってバグを倒すのも大事なことだ。

 デジタル空間の中でも、古いデータの集まる場所ほど、バグが発生しやすい。そして、そういった場所には高純度のエレクトロンが眠っていることが多いのだ。


「や、やめてぇ~!! わあぁ~! 芥田く~ん……!」


 さらに後方から、里中先輩の悲鳴が聞こえてくる。彼女の周囲には、数十匹のバグが群がっていた。……まったくあの人は……! 俺はため息を吐きつつも、駆け出して彼女の元へ急いだ。

 走りながら、状況を分析する。里中先輩の周りにいるバグは、どれも低級なものばかりだが数が多い。俺は走りながらダーツの矢を具現化し、それを投擲とうてきする構えを取る。


「ギッ! ギギィィ!」


 俺の存在に気付いたのか、一匹のバグがこちらに向かってくる。そのタイミングに合わせて、俺は矢を放った。狙うはバグの体の中心。ダーツ盤で言う的の中心──ブルだ。

 俺の放った矢は、吸い込まれるようにバグの体の中心へと向かっていく。そして、狙い通り命中し、バグの体は地面へ落ちた。落ちたバグはエレクトロンの玉となり、地面に落ちて光を散らす。その光に反応するように、他のバグが一斉に俺へと襲い掛かってきた。


「ギィィ!!」


 俺は即座に次の矢を具現化させ、それを投擲する。狙いは全てバグの中心。一匹残らずエレクトロンへ変えてやる。

 投擲、ヒット、光の玉へ変化。投擲、ヒット、光の玉へ変化。投擲、ヒット、光の玉へ……。

 そうして、俺は次々とバグを処理していった。


 やがて全てのバグをエレクトロンへと変えた俺は、一息ついて振り返る。そこには、里中先輩が地面にぺたんと座り込んでいた。どうやら腰が抜けているようだ。


「あ、ありがとぉ~芥田く~ん……」


 里中先輩は、半べそをかきながら俺に礼を言った。俺が助けに入るまでバグにたかられまくっていたせいか、先輩の髪はところどころデータの乱れが生じていて、黒と赤のノイズが走っている。……本当にこの人は……。

 俺は呆れつつ、彼女に声をかける。


「まったく……俺から離れないでって言ってるじゃないですか」

「だ、だって芥田くんが……うぅ……」


 里中先輩は何やら言い訳をしようとしているようだったが、俺の視線に萎縮してか言葉は尻すぼみになって消えていった。


「まぁいいです……ほら、立ってください」


 俺はそう言って彼女を助け起こした。彼女は小さくお辞儀をしてから、申し訳なさそうに口を開く。


「ごめんね……」

「……次からは気を付けてくださいね。……これ、使ってください」


 俺はそう言って、彼女にエレクトロンの玉を差し出した。里中先輩は一瞬戸惑った様子を見せたが、すぐに俺の意図を察して「ありがとう……」と呟いた後、エレクトロンを自身の手の中に収めた。握られた手から光が溢れ、彼女の髪に走るノイズが消えていく。


「さて、じゃあ行きましょうか」


 俺はそう言って、歩き出した。その後を里中先輩がついてくる。



 そうしてしばらく歩いた後、俺たちは目的地に到着した。見た目はドームのような形をした、白一色の建物だ。中に入ると、その内部には様々なデータの断片が浮遊していた。パッと見ただけでも、エレクトロンがいくつか存在していることが分かる。


「わぁ~、すっごいね~」


 里中先輩が感嘆の声を漏らす。彼女はキョロキョロと周りを見回しながら、ゆっくりと奥へと進んでいく。


「ちょっと、先輩。あんまり先に行くと危ないですよ」

「あ……ご、ごめん……」


 俺の注意に、彼女は申し訳なさそうに謝ってから、俺の隣まで戻ってきた。そして、また周りをキョロキョロと見回す作業に戻る。……本当に、この人は。

 俺は小さくため息を吐いた後、彼女と共に奥へと進んでいった。その途中で、里中先輩は落ちているデータの塊につまづいて転んだり、浮遊するデータの断片に顔をぶつけたりして、その度に俺がフォローする羽目になった。


「あ、あの……本当にごめんね? わ、私、いつもドジで……」


 何度目かの転倒の後、里中先輩は申し訳なさそうに謝ってきた。


「いえ、もう慣れました」


 俺は無表情でそう返す。実際、里中先輩にはよくあることなので、もう慣れてしまった部分が大きい。俺としては軽く返したつもりだったが、それでも彼女は申し訳なさそうに俯いてしまう。


「……そっか。……ねぇ、芥田くん……やっぱり私なんかより……その、他の人と組んだ方がいいんじゃないかなぁ……」


 俯きながら、彼女はぽつりと言った。……またこの話題か。


「何言ってるんですか? 俺が誘ったんだから、先輩が気にする必要はないんですよ」

「……でも、私が入ったせいで、芥田くんのお友達が……」

「いいんです。あんな頭の悪い奴ら、友達でも何でもないですから」


 俺がそう言うと、里中先輩は顔を上げた。


「そ、そんなこと言っちゃ……。……っ! 芥田くん、後ろ!」


 突然、里中先輩が叫んだ。俺は素早く振り返る。目に入ったのは、ドームの壁ファイアウォールを透過してゆっくりとこちらに向かってくる、黒い粒子。おびただしい数のそれを見た瞬間、俺の背筋に寒気が走る。


「ウイルスだ! 先輩っ……!!」


 バグなんかよりよっぽどタチの悪い、デジタル空間を浸食する存在。それが、ウイルスだ。

 俺は咄嗟に叫ぶ。と同時に、巨大なダーツ盤を具現化させ、防御の体勢を取った。こんなもので防げるわけがないのは分かっている。だが、何もせずには居られなかった。

 このままウイルスに飲み込まれてしまうのか?

 ──いや、俺たちにそんな心配は無用だ。


 俺はダーツ盤の数を増やす。後方の里中先輩は──パソコンのキーボードを具現化させ、ものすごいスピードのブラインドタッチで何かを入力していた。

 ウイルス除去。それが、彼女の最も得意とする行動だった。ウイルスの情報を即座に分析し、ウイルスがプログラムごと消滅してしまうまでその情報を書き換える。

 彼女のタイピング速度は凄まじく速い。もはや目にも止まらぬ早業だ。こうなった里中先輩には、もう目の前のウイルスしか見えていない。普段はおっとりとした性格の彼女が、この状態になった時は一変する。


 まるで別人になったかのように、真剣な表情でタイピングを続ける里中先輩。そんな姿を見て、俺は全身の血が沸き立つような感覚を覚えていた。

 来た! 来た! 先輩の本気だ!

 データであるはずの、この身体。なのに、その奥底で、何かが熱く燃えたぎるような感覚。俺の全身に、圧倒的なまでの快感が駆け巡る。

 あぁ、もっと……もっとだ……! もっとその姿を見たい! 見ていたい……!

 俺だけに見せてくれる、その真剣な眼差し。俺だけが知っている、彼女の真の姿。先輩の姿が、俺の心に更なる高ぶりをもたらす。

 あぁ……やっぱりこの人は凄い……!

 俺は恍惚こうこつとした表情で、里中先輩のタイピング姿を見つめていた。

 あぁ……視力が2.0あって良かった……。


 永遠に見つめていたいところだったが、そうはいかなかった。ドームの内部を覆い尽くすほどあったウイルスは、里中先輩のタイピングによって、次々と消滅していく。

 やがてウイルスが全滅すると、彼女は最後のエンターキーをタンッと勢いよく叩いた。すると、白く光る玉が、雨のように降り注いだ。ピンポン玉くらいの大きさだが、その一つ一つが最高純度のエレクトロンだ。


「ふぅ……終わったよ~」


 そう言って彼女は、いつものおっとりした笑顔に戻った。そして俺の方を向き、小首を傾げる。


「どうしたの? そんな顔して……」

「……いや、何でもないですよ」

「えぇ~?」

「何でもないですから。それより、早く集めちゃいましょう」


 俺は誤魔化すようにそう言って、足元に転がっているエレクトロンの玉を拾う。里中先輩は、不思議そうに首を傾げながらも、「そっか! そうだよねぇ」なんて言いながら、エレクトロンを拾い始めた。

 俺はエレクトロンを拾いながら、里中先輩の姿を横目で眺める。


 ディジプロのトップは、ウイルス除去を得意とする人を集めているらしい。他国からのサイバー攻撃を防ぐため、だそうだ。今やウイルスによる攻撃は当たり前になりつつある世の中だ。そういった敵から自国を守るのも、ディジプロの重要な役目なのだという。

 里中先輩は、そんなディジプロのトップ達から勧誘を受けてもいいほどの実力を持っている。でも、彼女はウイルス除去以外の戦闘が、ことごとく苦手だった。だから勧誘が来ることは無く、ずっと俺の傍に居続けているのだ。

 俺は里中先輩の実力を誰よりも知っている。だから、彼女がバグとの戦闘でドジをしても、俺は彼女をチームから外したりはしない。むしろ、彼女のそんな姿を愛おしいと思っている。

 でも……もし彼女がウイルス除去以外の戦闘もできるようになったら、彼女は俺から離れていってしまうかもしれない。それは嫌だった。だから、俺は彼女に戦闘技術を教えようとはしなかった。

 それに、俺が彼女に教えなくても、彼女のことは俺が守るから問題ない。彼女は俺の傍に居てくれるだけでいいのだ。

 俺は里中先輩が好きだ。愛していると言っても過言ではないだろう。だからこそ、彼女を手放したくないのだ。


「芥田く~ん! 見て見て~!」


 里中先輩の声に、俺は思考を中断して顔を上げた。見ると、彼女は既にたくさんのエレクトロンの玉を集め終えていたようで、一つ一つを繋ぎ合わせてネックレスのようにしていた。


「ねぇ、綺麗でしょ?」


 先輩は嬉しそうに微笑みながら、俺にネックレスを見せつけてきた。その仕草が可愛らしくて、頬が緩みそうになってしまう。俺はそれを悟られないように、努めて無表情を装いながら言った。


「そうですね。さすが先輩です」

「えへへ……ありがとぉ~」


 ほぼ棒読みな俺の言葉に、里中先輩は照れたようにはにかんだ。ここまで素直だと、流石に心配になってくる。……でも、まあいいか。俺が見ていればいいんだから。


「さぁ、続きに戻りますよ。エレクトロンはまだまだあるんですから」

「えぇ~……ちょっと休んでからじゃ……」

「ダメです。ほら、さっさと集めてください」

「うぅ~……分かったよぅ……」


 渋々といった様子で作業に戻る里中先輩。俺はそんな先輩の後ろ姿を眺めながら、小さく微笑んだ。

 あぁ、幸せだ。この幸せな時間がずっと続けばいいのに──そう思いながら、俺は彼女の後を追いかけるのだった。

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