棺に閉じ込められた女

広瀬弘樹

棺に閉じ込められた女

「ごめんなさいマイヤ……」

「いいえ、お嬢様。そんなことより絶対に幸せになってくださいね」

 16歳の伯爵令嬢アリアは死病と偽り、出棺に合わせて屋敷を出る予定になっている。メイドのマイヤはアリアと年恰好が似ていたばかりに棺に入れられる偽の死体役に選ばれたのだ。

 何故そうなったのかはマイヤはぼんやりとしか知らない。

 アリアの母親が相手方の新大陸との交易で莫大な富を築いた年老いた男爵という老人をうら若い伯爵令嬢の相手に相応しくないと嫌がっただとか、既にアリアに心に決めた相手がいただとか。伯爵夫人はこの日の為にわざわざ東の大国から仮死薬を手に入れただの。

 使用人の仲間たちは屋敷の中の秘密だと外では兎も角内々では口さがなく噂しあったがマイヤにとっては墓の下から出してもらえるかどうか、それだけが気がかりだった。

 経帷子とカツラ、死に化粧を終えて涙ながらにお嬢様とのお別れを済ませると入れ替わりに同期で同い年のフットマンであるジョンが部屋に入って来た。

「老男爵は若い婚約者の死に涙に暮れているようだぜマイヤ?」

「そう。流石に夜は帰るでしょ」

「ところがだ、どうにもうちの菩提寺に出家するとかなんとか」

「うげっ」

 苦虫を嚙み潰したような声にジョンは笑いながら答えた。

「どうせ財産整理だのなんだのあるんだから何か月かかかるだろ。夜には出してやるから安心してろ」

 ほれと金色の丸いものを差し出した。

「前に旦那様から頂いた鈴の鳴る懐中時計だ。これで時間数えとけ。仮死薬の効果から覚めて五つ目の鈴で出してやるから」

「信じてるからね」

「もちろん」

 そうしてマイヤは細長い直方体の箱に身を横たえる。赤いクッションが敷かれた黒い箱だ。これが私の命運を決める箱なのだと覚悟し、仮死薬を一滴飲み込み時を待つ。手首に絡めた懐中時計の鎖の感触が少しずつ遠くなっていく。

 ――カチッ、カチッ、カチッ、リーン。

 一つ目。胸の上に組んだ腕に絡む懐中時計の鈴の音が意識に響く。

 ――カチッ、カチッ、カチッ、リーン。

 ジョンは約束を必ず守る男だ。何も心配することはない。

 ――カチッ、カチッ、カチッ、リーン。

 だがそれ以外の人間は?主人の伯爵夫人はメイドを家具としか思っていない。しかもマイヤはアリアの逃亡の生き証人だ。そんなものにわざわざ人を使うだろうか?

 ――カチッ、カチッ、カチッ、リーン。

 段々と息苦しさを感じるようになった。大丈夫。大丈夫。四角い箱が縮んでいくような錯覚を紛らわすかのように時計の音に集中する。

 ――カチッ、カチッ、カチッ、リーン。

 五つ目。ああ、本当に私は見捨てられたのだろうか。その瞬間。ザクッ、ザクッと固く湿った土を掘り返す音が聞こえた。

「マイヤ!」

 バキバキと木っ端が降って来る。むせかえるような墓場の土の匂い。視界はランタンの光に塗りつぶされる。そして待ち焦がれた彼の声。

「ジョン!」

「マイヤ!?」

 思わず叫んだ声に驚愕が走る。

「本当に生きていた!」

「嘘でしょう!?」

「馬鹿な!?何年経っていると思っているんだ!!」

(何!?何が起こっているの!?)

「マイヤ!生きてくれていたのかマイヤ!」

 蓋が完全に外されジョンの手が伸ばされる。だがその手は知っているはずなのにまるで別人のように年を取っていた。

「ジョン!ああ、どういうことなの!」

 ジョンや他の仲間に助け起こされ、落ち着いて皆の顔を見ると十年分成長、あるいは老いていたのだ。

「それはこっちの台詞だ!十年間棺に閉じ込められていたのにあの日から君は一つも変わっちゃいない!」

 あの老男爵十年も墓に張り付いて死ぬまで掘り出す機会がなかったんだぞ!とスコップを持ったジョンのフットマン仲間が化け物を見る目でマイヤを見る。

「そんな、私、さっき仮死薬から目を覚ましたばかりなのよ!」

 墓場で思いがけない事態に陥ってしまった無学な使用人たちはこれは本当にマイヤなのか、ジョンの悪質な手品ではないのかと食って掛かる者もいた。

「――静粛に。哀れな老男爵の死に際しての不届き者たちよ」

「司祭様!」

 余りに彼らが騒いだために墓を管理する教会の司祭が仲裁にやって来た。十年前――マイヤには当日の昼間の事だが――をしかじかと司祭に話し終えると近隣で博識で並ぶ者はいないという司祭はなるほどとうなずいた。

「おそらく東の大国から取り寄せたという仮死薬が原因だろう」

 あの国の連中は魔法を使うと言うし、書物にも墓に閉じ込められて三十年は経ったというのに一切年を取らず、飢えもせずに掘り出された者の話もある。そう説明すると司祭は深く溜息を吐いた。

「お前たちの主人には私からきつく説教をするが、これも天のご加護と思ってお前たちは信仰と良心に従いなさい」

「はい」

「承知いたしました、司祭様」

 それから三々五々に散っていく使用人仲間たちの背を見送りながら、マイヤはこれからどうすればいいだろうと思案した。もう屋敷に自分のベッドはないだろうし、着の身着のまま教会に身を寄せるしかないだろうか。

 帰ろうとする司祭をジョンが呼び止めるとマイヤの心臓が飛び跳ねるようなことを言い出した。

「司祭様、この件でマイヤに罪はないのでしょうか?」

「司法がどう判断するかはわからないが、教会としてはないと言っていいだろう」

「ではマイヤと私の結婚を認めてくださいますか?」

「……わしよりも先に本人に聞いておやりなさい」

 さて台帳の修正をしなければと歩いて行く司祭にそっぽを向くようにバツの悪い顔をしたジョンとマイヤが墓場に残された。

「私の事、気持ち悪くないの?」

「実は君が骨だけになってても自分の物にするつもりだったんだ……」

「私の人生、あの箱に決められちゃったわね」

「遅れて、ごめん」

 今や残骸となった棺を眺めながらマイヤは懐中時計を握りしめる。

「あのね、目が覚めて懐中時計の鈴が五つ鳴った時にあなたが助けてくれたのよ、ジョン」

「マイヤ!改めて言うよ。僕の伴侶になってくれ!」

「ジョン!もちろんよ!」

 そうして棺に閉じ込められた女の話は長く人々の間で語り草となったのだった。

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