遠くには行かせない

猿川西瓜

お題「箱」

 彼女は8000倍のオーディションを突破して、大手の箱のVTuberになった。

 私のチャンネル登録者数は260人だけれども、彼女はいまやチャンネル登録者数19万人に達しようとしていた。

 すでに彼女は250本の動画をアップしている。ハードワークをこなせている。あの子は身体が大きくて、それに病気もしないし体力があった。満点は出せなくても、毎日何かを続けられる子だった。飲んだくれで、ふざけてばかりいたのに、やることはやるやつ。そういう人間が一番怖い。


 彼女はかつて《山村むーこ》という名前で活動していた。その時は登録者数は190人くらいで、私より少なかった。私は山村とよくお酒を飲んで、ノリでキスしたり、二人で寝て、起きて、二度とこいつは家に泊めないし、こいつとは会いたくないと思ったりした。また会ったら会ったで、昼から夜中まで喋ることになる。こんな日々が永遠に続くと思った。


 あいつが《山村むーこ》としての活動を辞めると言ったのを今でも覚えている。具体的には何も言わなかった。

「あ、今度、山村むーこ、辞めますわ」と軽い感じだった。

 たぶん、どこか一般企業にでも就職するのかなと思っていて、何も聞かなかった。

「あー、おれ、ちょっと違うことチャレンジしてみるわ」

「あ、そう」

 山村は自分のことを「おれ」と言う。キャラ作りだと思っていたけれども本当で、逆に「私」と言う時は演技している。

「まあ、生き方はそれぞれだから」

 お互い、よく喋ったけれども、干渉はしあわない。ドライだからこそ、なんでも話せる関係でいれた。


 一ヶ月後、大手の箱から一人のVTuberがデビューと同時に大きくバズっていた。どこかで聴いたことのある声だった。

 間違いなかった。《山村むーこ》の声だとすぐに分かった。

 山村にラインを送っても、その大手の箱の新人VTuberが彼女であるかどうかの確信はなかった。

 山村の返事は曖昧で、のらりくらりと言葉をかわされるし、返信の頻度も昔より遥かに遅かった。確実に、距離を置こうとしてきているのが分かった。

「なんだよ……」

 スマホの前で舌打ちする。

 私の家にいつも泊まりに来ていたのに、急に有名人気取りだろうか。

 ふざけたスタンプを送ったり、昔一緒に撮った思い出の写真を送る。だんだん私からのライン連絡ばかりで画面が埋め尽くされていき、既読がつかない日が一週間も続くこともある。

「あの箱からデビューした新人ってむーこでしょ」

 私は彼女を本名ではなく、VTuber名で呼んでいた。

《山村むーこ》は答えない。今回も既読無視だ。いや、最近は未読無視になりつつあるか。


「声が同じなんだけどw」

 笑いを付けながらラインで話しかける。何回か通話も試みたがもちろん出ない。


 ネットからは、毎日彼女の活躍のニュースが流れてくる。

 スマホの通知として彼女の転生後の名前が出てくる。彼女に、スマホを侵食されたみたいだ。ミュートの設定が分からなくて、出てくる度に、心臓がドキッとして、すぐにスライドして消す。


 山村と私との差は、開くどころか、比較の対象にならないほどのものになった。

 いつからこうなったのか。どうしてこうなったのか。なんでこんなことがあっていいのか。

 自分が何かサボったわけではなかった。それなりにファンもできたしグッズも作った。発注した。売った。活動した。山村は、地道な活動をせずに、ただ、ひょいと8000倍のオーディションを突破した。私は260人のファンを得るだけでも4年以上かかっている。彼女は1年も経たずに19万人だ。

 何が間違っていた? 私がオーディションを受けるべきだったか?


 山村、昔みたいに返事して欲しい。

「ねえ、一度で良いから会って欲しい」

 これも既読スルーされた。私ははらわたが煮えくりかえる思いになった。


 とうとう私は彼女とのラインのやり取りや、彼女が人格的に問題があることをTwitterにさらして、炎上させることにした。

 幸い、炎上している人間をさらすことでアクセスを稼ぐアカウントの目にとまり、情報は拡散された。

 これで山村も返事をするはずだ。

 しかし、山村からは、膨大に送り続けた私からのライン連絡に対し「こちらから申し上げることは何もありません」の一言だけ返ってくるばかりだった。

 ファンアート、スパチャ、ファンがわざわざ作ってくれた動画、ファン手作りのグッズ。大量の山村の転生後の姿がTwitterに常に流れてくる。

 山村はもう山村じゃない。返事をしない存在になった。


 そんなはずはない。

 つい1年前まで、いや、ほんの少し前まで、「だるい」「ねむい」「くそ」「セックス」そんな話でゲラゲラ笑って、永遠に私たちはどうしようもない子どものままでいられるはずだったのに。


 山村が転生した大手事務所に長いメッセージも送った。だんだんとエスカレートしてきた私の文章はやがて、彼女の素行への批判になった。生活がだらしなかったこと。酒を飲んだとき、暴言を吐いていたこと。キスされたことも、正直言えば私にとってはセクハラだ。

「今でも、悔しくて涙が出てきます」

 そう、締めくくった。

 真実だ。これは私にとって、真実だ。真実であるのならば、真実だろう。つまり、山村、あんたは犯罪者なんだよ。それを分からないで、今日も何千人相手に楽しく笑って会話してるんじゃないよ。


 Twitterで、何度も山村のだらしなさについて、書き込んでは、消す作業を繰り返す。私は間違っていないはずだった。

 私は知って欲しかった。

 山村がいかにダメ人間だったか。中途半端だったか。下ネタばかりだったか。彼女についてなんでも書けるはずだ。下ネタは、人に対するいじり。人権侵害。いろんな人が下ネタで傷ついてきた。ならば、下ネタを言ったことのある山村は、ちょっとVTuberとして活動するのはいかがなものだろうか。問題ではないのか。下ネタを言った過去があるということは、インターネットという公共空間で、大手を振って活動することを許してもいいものだろうか。存在してもいいものだろうか。さて、いかがなものだろうか。


 あんなにも立派になって良いはずがない。近くの人間が出世して遠くに行っていいはずがない。

 ラインで、ひたすら彼女が昔していたことを思い出しては送りつけた。山村からの返答を待つ。だが、ようやく来た返事はいつもと同じ調子で「私はあの箱のVTuberであることもお答えできるものではありませんし、《山村むーこ》としての活動も終了しております」と書かれている。とりあえず、やりとりをスクショしてさらすことにする。

 山村について、もっといっぱい記録しておけばよかった。録音したり、普段からもっと残しておけば良かった。そうすれば、大手の箱に居ていられなくなり、「短い間でしたがありがとうございました」と転生した山村は動画をアップして、ネットの世界から消えて、その後、どこのVTuberオーディションも受けることなく、いつも通り山村は飲んだくれているはずだった。それが、本来あるべき山村の姿じゃないのか。

 調べてみるとあの箱のオーディションは2年間かけて行われた凄まじいものだったという。山村の、あの酒への逃避とか、暴れ方は、ストレスだったのか。山村なりに凄まじいプレッシャーのなかで戦っていたのだろう。いや、それよりももっと恐ろしいのは、私に、オーディションを受けていることを言わなかったことだ。友人にそんな大事なことを言わないとは、どういうことだろうか。結局、友人として私を利用していたのだろう。それは、彼女が私に犯した罪だと思えた。


 彼女の犯した罪は、全世界が認めるまで、このまま許されていいものではないと思う。

 私はもちろん今日もライン連絡を山村に送る。ほとんどが未読スルーだ。たぶんブロックされたのかもしれない。

 山村の転生した事務所に向けて、長い文章も書く。彼女は問題のある人物だ。

 罪人であり、本来はあんなにも輝いてはいけないのだから。

 飲んだくれて、世の中や友達の噂話、地元への不満、ずっと言い続けているのが山村の本来の姿であり、VTuberのニュースで、日本全国に取り上げられる人間であって良いはずがない。


 私も私なりにVTuber活動はある。配信したあと、常連ばかりとのやり取りに、これってVTuber活動っていうのかな、それともなんて言えば良いんだろうと、名付けられないものを感じる。見てくれていたのは10人くらい。これでも凄い方だろう。何年も何年も頑張り続けた結果だ。

 最近は同じ人相手に、ずっと同じような雑談をし続ける。トークをし続ける。何か新しいことをしようとしても、山村より新しいことができるかといえば、それは分からなかった。山村のショート動画が流れてくる。大手の箱の他の子と相撲を取っていて、投げ飛ばされていた。彼女はわりと力が強いので、先輩に遠慮して投げられているのだ。よく分かった。許せなかった。「私って新人だけどもう歳なんだから、遠慮してくださいよ~」と、アッケラカンとした口調で転生した山村は話していた。


 投げ飛ばされて倒れる山村の転生後の姿に、ちょっと動画見ながら笑ってしまったので、その動画のURLをコピーして、山村にライン連絡を送ることにした。私の長文で埋め尽くされたタイムラインに転生した山村の動画のサムネイルが現れる。それから、その下に、「この動画、面白かったよ」とコメントする。もちろん、既読はもうつかない。

 

 ある日の夜遅く。

 コンビニに行くことにした。

 山村がよく飲んでいたストゼロを買った。本当ならトー横キッズみたいに、私たちは過ごしていたはずだった。ラインの既読はまだ付かない。

 買い物を終えて外にでると、コンビニの光に吸いよせられるように集まる、ちょっとしたヤンキー達が、みんな電子タバコを吸いながら、夜空を見上げていた。



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