第14話
「可哀想に。この子が生まれたのは間違いだったんだ」
それが、おれの最初の記憶。
おれが人生で一番聞いた言葉。
物心ついた時から、おれの周りにいる人間はそればかり繰り返していた。
山奥の古臭い村を存続させるお役目とやら背負うために生まれたおれは、存外に期待はずれだったらしい。
ため息と罵詈雑言。
頭の中をつまらない記憶が巡り、そして最後はいつも通り、炎に包まれて全て溶けていく。
「……っ。ああ……夢か」
ぱっと目を開けば、そこに広がっていたのは炎などではなく、見覚えのある天井だった。
のそのそと布団から這い出て、寝間着から着替える。
あの日から毎晩見る夢だ。
最後はいつも、炎の中で誰かがおれの名前を読んでいる。
一昨日あんなことがあったばかりか、今回はやけに鮮明な夢だった。
あれは、誰だったかな。
まだ眠たい頭でそんなことを考えつつ、ガタついた襖を開けて廊下を進めば、縁側に思わぬ姿があった。
昨日、宮瀬さんを送ってから職場に寄り少し雑用をこなしてから帰ってきたのだが、その時もまだずっと引きこもっていたのにようやく出てきたのか。
少し跳ねた後ろ髪に、だらしなく胸元が緩んだ着物姿の男。
切れ長の瞳は何か物憂げな色で、空を眺めながら退屈そうに煙管をふかしている。
椿さんはこちらに気づいたようで、その切れ長の瞳をこちらに向けた。
「おはようさん。相変わらず朝が早いな」
「椿さん……」
黙っていれば知的に見えるのに、赤らんだ頬と酒臭い吐息が全てを台無しにしている。
結局椿さんは一日中執筆していたそうだが上手く進まないと夜中に酒を飲んで書き続けていたそう。また健康に悪いことしやがって。
おれは酒を飲まないから、酒があればなんとかなるとかいうその精神自体がよく分からん。
「早いって、今は五時半だろ。というか、あんたがこの時間に起きてるってことは……」
「その通り。徹夜だ。というわけで俺はこれから寝るよ」
まさかと思ったが、嫌な予感は的中したようだ。
てっきり寝てると思ったが、朝になっても眠らなかったらしい。
「待て、原稿は」
おれがそう聞くことを予想していたのだろう。
椿さんは振り返ることもなく答える。
「ある。机の上に置いておいた。回収は任せたよ」
「待て」
「なんだい。原稿はできているって」
「後で味噌汁を持っていく。それまで大人しく寝てろ」
二度目の待ては怒っているわけではなく、忠告の意だ。
考えるまでもなく、今日一日は二日酔いで使い物にならないだろう。
原稿を終わらせる度に酒の力を借りようとするのはどうにかした方がいいと何度も言っているが、この男はおれの忠告を聞く素振りすらない。
どうせ素面に戻ってから原稿を見返してああでもないこうでもないとまた騒ぐ羽目になるのだから。
「君ってほんっと優しいよねぇ」
ぶつくさ抗議するおれに、椿さんははぁと感嘆のため息のようなものをこぼす。
いやにふやけた口調で言われたっておれへの適当なご機嫌取りにしか思えない。
わざとらしいヤツめ。
「気配りもできるし家事もできるし、ちょっと態度は悪いけど、お手伝いさんとしては最高だよねぇ。ああ、君が来てくれて本当によかったなぁ」
「あんた酔いすぎだろ。最悪だな」
あんたと出会ったせいでおれは、という喉からでかかった文句は大人しく飲み込んで、代わりに悪態をひとつ。
「そう?俺は今気分最高って感じなんだけどね」
それでも彼は気を悪くするどころかにやにやした顔でこっちを見ている。
その腑抜けた面がいやに楽しそうなものだから、相手をするのにも疲れてしまいそうだ。
「はぁ……もういい。さっさと寝てろよ」
おれはそう吐き捨てると、早々に台所へ向かうことにする。
「───────ねぇ、『みんな』もそう思うだろう?」
去っていくおれの姿を見送りながら、椿さんは天井を見上げて口を開いていた。
ちらりと振り返って見れば、そこには何も無いはずなのに椿さんはにぃっと笑っている。
みんな。彼の言うそれらは、姿こそ現さないものの、ぎしぎしと何かがうごめくように天板が音を立てた。
朝から身震いしそうなことをするのはやめてくれ。
「小鞠くんが来てから、この『幽霊屋敷』もずいぶん明るくなったものだねぇ」
椿さんの呟きを背に、おれは聞こえなかったふりをした。
十三丁目の幽霊屋敷。
ここいらじゃ有名な場所らしいが、生憎よそ者のおれはそんなこと知る由もなく、こことこの屋敷の異常性をちゃんと理解したのは住み始めてすぐのことだった。
いや、最初に足を踏み入れた時のことよりかはまだマシかもしれない。
(まったく……なんでこんなことになったんだか。知ってりゃあ絶対引き受けなかったのに、なんでおれはいつもいつも……)
こんなこと言ったってどうにもならない。
でも、今日はちょっと文句を言ってやりたい気分になった。
あんな夢を見たせいかな。
「おい」
「なに?」
宮瀬さんとあの話をしたせいか、おれはひとつ椿さんに聞きたいことがあった。
「あんたには、おれがどう見えてるんですか」
宮瀬乙女の心象風景から出てきた時から、その前から、もっとずっと最初に出会った時から。
この人はおれをどう見ている。
この人の目には、どんなおれが映っている。
あの時、この人は全部知っているような口ぶりだった。
知らないフリをしてくれているだけで、本当はこの人だって……。
「……変わらないよ」
椿さんはいつもと変わらない声色で、物語を語るようにつらつらと言葉を並べる。
「女を土地神の生贄にする決まりのある家に男として生まれて、散々虐げられた後に土地神を殺して村を出てきた少年───────にはとても見えないね」
「は」
唖然とするおれに、椿さんはにいっと笑った。
「いっつもなんか疲れた顔をしてて、力が強くて運動神経抜群で、ちょっと口が悪くて敬語が崩れがちで」
「おい」
「一生懸命な頑張り屋さんで、俺の大切な助手だよ」
椿さんの顔はいつもと変わらない。
なんだ。
最初から、いらない心配をしていたのはおれだけなのか。
妙に憑き物が落ちたような気分にさせられた。
宮瀬さんもこうだったのだろうか。
あの時椿さんが話した、おれが持つ神を殺したという過去が力になり、宮瀬乙女の中にある怨霊を殺し、最後はどうするか宮瀬さんに選択させるという提案。
この人がどうしておれの過去を全部知っているのか、ほかの怪異みたいに調査したのか、おれは知らない。
全部が終わったら問い詰めたかったけれど、それをしたらこれまでの関係が変わってしまうようで、でも聞かずにはいられなくて。
ずっと考えていたことは、ただの杞憂だったみたいだ。
おれは馬鹿馬鹿しくなって、つられて笑ってしまう。
「……だから、助手じゃないって言ってるじゃないですか」
「そうだっけ?ま、これからも末永くよろしくね」
「こっちこそ。上等だよ、椿さん」
おれたちはただの作家と編集で、それ以上でもそれ以下でもないけれど、全てを知り合わなくても背中を預けられる関係ではある。
それに名前は無いし要らない。
やっぱり、そう思った。
おれは台所に寄って絹子さんと味噌汁を作った後、自分の部屋に戻ってもう一度寝ることにした。
今日は一日休みだ。
少しぐらいだらけたって誰も怒りはしない。
それに、なんだかもうあの夢は見ない気がする。
根拠は無いけどそんな気がした。
「三文文士の助手も、悪くはねぇかな……」
やけに上機嫌なおれの呟きは、すっかり見慣れた天井へ浮かんで消えていった。
帝都あやかし蒐集録ー三文文士は怪異を綴るー 雪嶺さとり @mikiponnu
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