ハチドリの楽園

@youyou56

第一話:愛・別離苦(あい・べつりく)

昼の暑さを蒸し返す夜のネオン街。


躍動する亜熱帯の交尾のように、多種多様な人種が街を交差する。


「うっ!」


突如、男の背中に刃渡り15cmほどの包丁が突き刺さる。


男が後ろを振り向くと、そこには女が立っていた。


赤く染まった包丁を手にし、濡れた髪のまま、ゴム製のサンダルを履いていた。


「なっ、なんなんだよ!」


女は男に抱きつき幾度も腹部を刺した。


「ってーな! どけよっ!」


通行人たちのどよめきと肉を刺す音が混ざりはじめる。


男がその場に倒れ込むと、女は馬乗りになり、さらに体を刺し続けた。


「はい、ざまあぁぁ!人のことなめてっからだよ!いったい、私がどんだけ貢いだと思ってんだよ!その服も!その時計も!車も!」


男は口から血を吐きつつ、体は僅かに痙攣を残していた。


女は重なるように男の体を揺さぶりはじめる。


「あんたのためにどんだけのブタと寝たと思っての?毛深いブタとさぁ……。分かってんの?ねぇ……。返してくんない?私のお金。ねぇ返して。私の人生……」


角膜が混濁し始める男。女は男の顔に吐きかけるように叫ぶ。


「返せよっ!返せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


辺り一面に広がる血。冷笑は消え、通行人たちは、悲鳴をあげながら逃げ惑う。


「どうしてこうなっちゃたかなぁ……。こんなはずじゃなかったのに……」


もう取り返しのつかない現実の前に、女は頭をかきむしり、体を揺らしはじめる。


「ああ、ああ、アァァァ!!」


女の悲鳴と共に、額が縦に割れはじめた。


目や耳、鼻、口、額の割れ目からヘドロのような黒い液体があふれ、女の全身を覆う。


「く、狂い人だ! 殺されるぞ!」


通行人はその姿をみて一同に慌てふためく。


黒い液体からは、2mはある人型の異形があらわれた。


口は裂け、眼窩はくぼみ、体はひどくみそぼらしく痩せていた。


「か、カ……、カ、エ、シ、テ」


鎌のようにでかい包丁を手に持ち、通行人たちを襲う。


痛み、叫び、内臓が飛び出す。血に混ざった恐怖があたりに伝播する。


幸悦に浸りながらも逃げ遅れた女に斬りかかろうとする。


その瞬間、だぶついた白い特攻服を着た黒髪のエリナ・アングレーが狂い人の顔面に一撃をいれる。


「オラッ!!」


まるでトラックにひかれたかのように、狂い人が大通り交差点まで吹き飛ぶ。


突然の出来事に交通機関は混乱し、ドライバーは狂い人の姿をみて逃げかえる。


車の隙間からバイクに乗った赤紫色の袴を着た甘々楽美智子があらわれ、エリナに叫ぶ。


「エリナッ!3分だ!」


「いや!1分だ!」


「無茶を言うな」


美智子は、鞘袋から呪符がまかれた木刀を取り出し、胸に構え、経典を唱えはじめた。


狂い人が、エリナに襲いかかる。攻撃をかわし、腹部に一撃をいれるエリナ。


「遅え!!」


よろめいた狂い人から、一瞬、もとの女の姿の顔がみえたが、エリナの攻撃に踏み止まり、反撃の蹴りを腹部に一撃いれる。


「ガキガナ、ナメテンジャネーヨ!」


向かいのビルまで吹き飛ぶエリナ。ビルに埋もれながら吐血する。


「痛ってぇ……。イイのいれるじゃねぇかこの野郎」


エリナが拳を強く握る。すると、拳が赤い炎に包まれた。


「コンプレックス・ストロング!」


眼の前の脅威を払った狂い人は、次の対象である美智子へ向かおうとした。


しかし、ものすごい勢いでエリナの強烈な一撃が狂い人の顔面に入る。


向かいの店まで吹き飛ぶ狂い人。


「どしたコラ! かかってこいよ!」


鼻から垂れる血を拭き取るエリナ。


吹き飛ばされた狂い人だが、地面まで響き当たる雄叫びをあげ、エリナに向かう。


経典を唱え終えた美智子が木刀を握りしめると、木刀が緑色の炎に包まれた。


「よし。コンプレックス・オブジェクト」


美智子が木刀を地面に突き立てると、はりめぐらされた黒い糸が狂い人からみえ始めた。


黒い糸を美智子が木刀で切断していくと、しだいに、狂い人からもとの女の顔の一部があらわれた。


顔をかかえ、悶え苦しむ狂い人。


「エリナ!やれ!」


「ああ!」


再び、エリナが強く拳を握ると、赤い炎に包まれた手の甲に文字が浮かび始めた。


「コンプレックス・ストロング!」


狂い人から途切れた黒い糸が、構えるエリナの頬をかすめる。


すると途切れたスクリーン映像のように断片的な女の記憶がエリナに流れ込んでくる。


あなたに出会えてわたしはほんとうに幸せでした。

あなたがあたしのすべてでした。

ほんとうにごめんなさい…。

あなたのことが好きなんてもう2度と言いません。

それでもあなたはあたしのすべてでした。

ありがとう夢のような素敵な時間を。


うつむくエリナ。


「ばかやろう……」


ホストの看板をみつめる狂い人。


「圭介……。ケイスケェェェ!」


全身で踏み込むエリナ。瞬時に相手の懐に飛び込む。


「後生、願いやがれぇ!」


エリナの拳が狂い人の顔面を捉え、そのまま地面へと叩きつける。


ものすごい音とともに路上が割れ、狂い人の顔面がめり込む。


一呼吸してよろけるエリナ。


心配した顔で美智子が近づく。


「大丈夫か!」


「ああ……」


しだいに黒い異形の姿の狂い人は、もとの女の姿へと戻っていく。


サイレンが鳴り響き警察官が女を捉え向かう。救急隊はけが人を誘導していた。


「とりおさろ!」


「けが人はこちらへ!」


一人の刑事がエリナたちの元へ駆け寄る。


「またおまえらか!いつも悪いな」  


「いいえ、とんでもないです。報酬はいつものように」


礼儀正しく受け答える美智子。


捕らえられた女はまるで動物のように目で奇声を発していた。


「あぁ、ああああ!うおうお!」


「おまえらも怪我の手当ぐらい受けたらどうだ?」


エリナは女に対して申し訳無そうにその場を去る。美智子も刑事に一礼しエリナに着いていく。



翌日、エリナと美智子が通う巴学園での歴史の授業。


「かくして、この国は、4度目の転換期を堺に、さまざまな人種、文化の交配が生じ、世界にも類をみない国へと発展しました。しかし、その期を堺に過度なストレスによって変異する2種類の人間が出現しました。一つ目は、人の形や自我を保ちながら超人的な身体能力と『コンプレックス』という異能を持つ者。もう一つは、自我はなく異形の姿をしている『狂い人』と呼ばれる者です。無差別に死傷者を出す狂い人は、その危険さ故に、特殊部隊による対処を原則としていますが、もとは人間であることから人権的側面に関する課題が残されているわけです。それでも…」


授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。


「今日は、ここまで」


「起立、礼!」


晴天の空。


屋上のベンチで寝そべっているエリナに美智子が顔を覗き込む。


「また、サボってんのかい?」


「なんだよ。おまえかよ」


ふてぶてしく起き上がるエリナ。


「ちょっと考え事だよ」


「めずらしいな」


屋上の手すりによりかかる美智子。


「昨日の因果断ちについてか?」


「ああ……」


「まあ、それに反撃の蹴りは、一歩間違えればあの世行きだったからな」


「あんなもん、鼻くそみたいなもんだよ。けど、気になるのはそっちじゃねぇ。因果断ちした後、女の様子みたか?おかしかっただろ。先週のやつも、その前のやつもだ。後で調べてみりゃ、そいつら全員、心身喪失で施設行きだった。そんなことはいままでなかった……。チッ、後味、悪いぜ」


手の甲をみつめるエリナ。


「それでも、殺されなかっただけマシさ。昨日の現場は、ざっと見ただけでも10人以上の死傷者が出てる。わたし達が先に到着してなければ、特殊部隊か、ギルドの連中、あるいは野良のやつらに殺されていたさ。狂い人は、原則、抹殺対象だからな」


美智子はエリナを横目でみると、エリナは遠くをみつめていた。


「あ、そういえば、先生が因果断ちについて話があるそうだ。学校の帰りに道場寄れってさ」


「えっーー!」


「たまには稽古つけてもらいな」


「マジかよ……」



昨日の事件はまるでなかったかのように今日も多くの人々が往来する歓楽街。


唇のそばに青いあざをつけ制服姿で歩く石井早苗。


前髪からきらびやかな人々を覗いていた。

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