歌の箱
雨水四郎
歌の箱
最初の箱は、3人だった。
わたしと、お父さんと、お母さん。
わたしとふたりが向き合うかたち。
わたしが歌えば2人が満足してくれる。そんなところだった。
小学校に入ると、たまにお小遣いでカラオケに行った。
なんなら最初の箱より狭かった。
でも、人数は多かった。よく行く友達は5人くらいだったかな。
中学生のころ、地域ののど自慢大会に出た。
今までの箱よりずっと大きくて、数百人は入る大きなホール。
それでも、聞いている人は箱の大きさよりずっと少なくて、50人もいなかった。
私の歌に興味がなさそうな人もいたけれど、歌ったあとはみんな私の方を見ていた。
高校生になりたてのころ、ある人に言われた。
もっと大きな箱で歌ってみないか。そんな言葉だった。
その言葉に従った。
しばらくして、数百人のライブハウスで歌った。
私の出番になるとみんなが私を見る。
一番よかったと褒められたのが嬉しかった。
今度は単独で2000人の箱だ。
満員どころかチケットが買えないと文句があったほどらしい。
これだけの人数が私の歌を求めてくれていることが、嬉しくてしょうがなかった。
2年が過ぎたころ、1万人を超える箱で歌うことになった。
なんでも、ここで歌うことは歌手の夢であり、一流の証明と言われる象徴的な場所だそうだ。
これだけの人が私の歌に夢中だ。
嬉しいと思うけれど、大きな箱になればなるほど聞いてくれる人が遠くなるのが少し寂しかった。
それでも、思ったよりはちゃんと見えるな。
そこから1年もせず、今度はドーム球場で歌うことになった。
5万人以上がわたしの歌を求めてくれる。
熱気がすごい。みんなわたしを見て、聞いて、感じている。
なんて素晴らしいことなんだろう
でも、なんだか不思議な気持ちだ。
ここまで大きいと、聞いてくれる人たちの顔は見えない。
豆粒という表現すらちがうような気がする。
もはやひとつの大きな生命のように感じた。
しばらくすると、また1万人くらいの箱でやるようになった。
それもどんどん難しくなり、次第に2000人くらいの箱でやることが多くなった。
飽きられたのだ、とわたしに言う人もいた。
引退しろ、と言われたこともあった。
わたしの歌を好きじゃなくなった人がいるのは悲しい。
でもやっぱり、聞いてくれる人が近いのは、より伝わってる気がして嬉しいな。
そして今、わたしは小さな、3人しかいない箱のなかにいる。
子供のころとはちがい、わたしはひとりに向き合う側だ。
娘の歌を聞いていると、心がとても温かくなる。
昔のわたしもこんなふうだったんだろうか。
昔のわたしの歌をきいたみんなも、こんなふうだったんだろうか。
そう思うと、わたしのやってきたことは無駄じゃなかったと思う。
いま、そう思えることが、とても嬉しい。
いろんな箱で歌ったけれど、思い出と熱の詰まった、どれもすてきなわたしの箱だ。
歌の箱 雨水四郎 @usuishiro
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