🎁の中に隠されていたもの

一式鍵

今から言うことをよく聞いてね🎁

 自室に引きこもってからはや一時間。


 仕事着でもあるところのスーツすら着替えず、カーテンを閉めることもせず、僕は愛用のゲーミングチェアに座っていた。煌々こうこうと照る天井灯シーリングライトが所在なさげに僕の前に影を作っている。


 僕はそのを見て考え込んでいた。机の上に乱雑に乗っていた書籍や紙束をどけて、パソコンのキーボードも追いやった結果できた空間に、そのは鎮座していた。


 サイズは底面がA4より少し大きいくらいで、高さはマグカップくらいあるだろう。材質はおそらく木だ。角の丸められた箱全体が、艶のある塗料で黒く塗られている。浅学にしてこの手の細工物の詳細を僕は知らない。だが、なんだか高級感は漂っている。そして赤黒い帯のようなものが箱をぐるりと回っていて、天辺で結ばれていた。どこか水引を連想させられるような感じだ。


 中に何が入っているかは知らない。ただ、不自然なほどに軽いため、空箱であるという説も僕の中では浮上していた。ただ、振ってみるのも危険だと思って、僕はこの箱をそーっとここまで運んできた。


 実際問題、何か危険な細工が施されていないとも限らない。たとえば不用意に開けたら毒針が飛び出したり、転移装置テレポーターが作用して石の中に閉じ込められたり、だ。


 いや、あるいは今まさに爆弾のタイマーがゼロに向かって動いているのかもしれない。音はしないがデジタル時計を使われていたら音なんてするはずもない。


 この箱は知人の――というか僕の片思いの相手から貰ったものだ。本当ならば喜び勇んで開封するところだろう。だが、彼女は言ったのだ。


「絶対に開けないでね」


 ――と。


 箱を渡して置いて、絶対に開けるなとはこれ如何いかに。とは思ったが、僕は彼女の前では緊張で言葉が出ない。彼女はきっと、そうと知っていてこんなを僕に渡したのだ。あるいはからかわれているのかもしれない。


 僕が好きな彼女は、時々そんな風に暇つぶしをするのだ。だけど僕は彼女には逆らえない。恋は盲目だって言うだろう? それに僕は彼女の機嫌を損ねることは何よりのリスクだと思っている。


「でも、この箱はそれ自体が結構高そうだな」


 百均にあるようなものとは違うことはわかる。帯も一度解いたら二度と自分では結べまい。或いは彼女はこの帯で「未開封であること」を確認するつもりかもしれない。だとしたら不用意にほどくのは危険だ。


 箱というのは、古代に於いては魂を入れたりすることのできる器と考えられていたらしい。浦島太郎の「玉手箱」の「玉」とは即ち「魂」だともいう。


 となると、この黒い箱の中にあるのは、そういう目に見えないものだろうか。開けた瞬間おじいちゃんになっちゃうとか、そういう代物――いやいや、それはない。


 ここは二十一世紀の日本であり、SFの世界でもホラーの世界でもない。いて言えば現代ドラマの世界だ。箱を開けた瞬間老化するなんていう設定が通用するはずがない。


 だけど、彼女がちょっとした悪戯いたずら心で、この箱の中にそれっぽい洗剤を仕込んでいたらどうだ。開けた瞬間混ざり合って――。いやいや、さすがに殺されなきゃならないほど恨みを買っている覚えはない。


 もしかすると、箱の中にはと昆虫が詰まっているかもしれない。僕は虫が得意ではない。まして複数いるとなれば悲鳴を上げて逃げるだろう。


 そんなに気になるなら、そのスマホで彼女に訊いてみろよ――とは、僕も思う。けど、実は彼女のプライベートな連絡先を知らないのだ。僕から訊くなんてできるはずもないし。


 僕は椅子に座って腕を組んだ。


 珍しく何も映していないパソコンのディスプレイ。その前の黒い


「開けるなって言われても、だとしたら彼女は何のためにこの箱を僕に?」


 彼女は何と言ったっけ?


『今日は何でもない日だから、きみにこの箱をあげる。今から言うことをよく聞いてね、神代山かみしろやま君』


 申し遅れたけど、神代山かみしろやまというのは僕のことだ。神代山かみしろやま修身おさみだ。彼女は裏神明うらしんめい零美れみ。どっちも仰々しい名字なので、僕たちを二人合わせて「神々さん」と呼ぶ上司や同僚もいることはいる。


『この箱、絶対に開けないでね』

「あ、は、はい。でも」

『質問も禁止。わたしからのプレゼント。それでいいでしょう?』


 開かずの箱。場所を取るだけの代物。正直迷惑だったが、僕は彼女にとってはイエスマンだ。期待を裏切るのは怖かった。


 それでいいでしょう――ではない。僕は文句の一つも言いたかったが、やはり言えなかった。




*-*-*-




 翌日会社に行って、業務の支度をしていると、「おはよう、神代山くん」と声をかけられた。無論、彼女からだ。僕は座ったまま、彼女に顔を向ける。


「おはようございます、裏神明さん」

「プレゼント、気に入った?」

「ええと……箱を、ですか?」

「中身は?」

「見てませんよ。開けるなって言われたし」


 僕が言うと、彼女は顎に手をやって厳しい表情を見せた。なんだろう、僕は何か間違えたのだろうか。


「きみ、箱の中身が気にならなかったの?」

「な。なりました、けど。開けるなって言われたので」

「きみの好奇心はその程度なの?」

「好奇心は猫を殺す、とも言います」

「じゃぁ、きみはあの箱をあのまま飾っておくつもりだったの?」


 飾っておくつもりはなかったけど、じゃぁ、どうするかというのは深刻な問題だった。


「あ、あの。あの箱の中には何が?」

「秘密」


 少し怒ったように彼女は言った。そして僕の肩を軽く叩いて囁いた。


「毒針とか転移装置テレポーターの類はないわよ。洗剤も爆弾もないわ」


 どきりとした。


 僕が昨日考えたことが読まれていたんじゃないかというくらい、彼女の発言はビンゴだったからだ。


「あの帯はほどいたら、きみには戻せない。人生って、そういうもの」


 彼女は腕を組む。


「あの箱はパンドラの箱かもしれない。玉手箱かもしれない。あるいは本当に宝箱かもしれない。だけど、開けるかどうか決断するのも、開けた結果をどう解釈するのかも、すべて、きみ、なのよ」

「あの、それは、つまり、開けていいんですか?」

「そういうことを訊いてくるところがきみのダメなところ。開けちゃダメよ」


 ダメなんじゃないか、結局。僕は心の中で首を振る。




*-*-*-




 僕がのは、箱を貰ってからちょうど一年になる日だった。彼女が、「いい加減にしろ」と怒ったからだ。思えば彼女も相当に辛抱強かった。だって、一年もんだから。そして僕は本当に馬鹿正直だった。一年も中身を気にしながら過ごしていたんだから。でもそのお陰で僕は他の女性に目移りすることはなかった……のかもしれない。


 その箱の中には、何も入っていなかった。


 ただ、その底に、白いインクで文字が書かれていたのだ。

 ――――――

 好きです、神代山くん。

 良ければわたしと付き合ってください。

             裏神明零美

 ――――――

 その短い手紙メッセージは、一年間も暗い箱の中でのだ。


 ほどいた帯はもう戻せない。


 それからさらに一年後、僕は彼女と結婚した。

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