芝居

 頭はぼうっとして、背中が痛い──。若旦那におおかぶさる老人は、慈浪じろういわく「耄碌もうろくじじい」の雨士あめしである。鹿島氏の総本家が受け継ぐ・天司あめのつかさという神社の神主かんぬしで、千幸かずゆきが先代の嫡子でないことを知る数少ない人物だ。いちどでも肌を合わせた相手を大事にする性格につき、大旦那、、、は雨士の嗜好を利用して、十八歳の千幸を伴い、本家を訪ねた。


 耳がほてる雨士は、蒼白あおじろい顔の若旦那の髪を撫でると、手慣れたようすで衿をひらき、千幸の胸に指を這わせた。そこへ、慈浪が緑茶を運んでくる。心を石にして雨士に身を捧げていた千幸は、落ちつきはらって躰を起こし、身装みなりを整えた。余計な真似をして、雨士の機嫌を損ねてはならない。慈浪は、さる山の手の新情夫しんいろの話を持ちだし、雨士の好奇心をそそっておく。


うござんすか」


「結構なお点前だ。新右衛門しんえもんよ、じゃの道は蛇ということかね」


「滅相もない。じゃまもの、、、、、は、これで消えますよ。……冷めないうちにどうぞ」


 慈浪は、気の抜けたような顔で坐りなおす千幸を、ちらッと見、退室した。湯呑みを口に運ぶ雨士の気分は、もうがれていた。慈浪の所為せいではない。千幸は、かつての寂しさを持ち合わせていなかった。若旦那の心は、日々の暮らしで充たされている。あらゆる意味で、成長を遂げていた。


「自信を持たせてやりたかったのだが、どうやら無用のようだな。気の利かない男と二番手ほど、まぬけなものはないからのう」


 雨士は笑い声になり、番頭のふるまいを高く評価した。なりゆきに身をまかせていた千幸は、なにをされても受けいれる。そうすることが、いちばんだと思っていた。自分の余計な感情こそ邪魔だった。


「繁盛しているようで、なにより」


「……恩に着ます」


 千幸は苦心して笑みをつくり、慈浪が置いていった湯呑みを見つめた。胸がざわざわと騒ぐ。若旦那が本家に求めるものは、目こぼしなどではない。雨士の脅しに挑戦するくらいの心境は必要だが、芝居を見破られては本末転倒である。千幸は何事もなく談話を終わらせると、雨士の帰りを見送った。



〘つづく〙



※当方の作品を少しでもお読みくださっている方々、いつも誠にありがとうございます。なかなか更新できず、申しわけございません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三鏡草紙よろづ奇聞 み馬 @tm-36

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ