かなのたからばこ
遊月奈喩多
かなちゃん、それなに?
かなちゃんのお部屋には、宝箱があります。お父さんとお母さんが最後にプレゼントしてくれた、とても大切な宝箱です。
かなちゃんのお父さんとお母さんは、ある日どこかへいなくなってしまいました。いなくなる前、いつも3人でドライブしていた赤い車に乗っているのはお母さんだけでした。ずっと下を向いていたのでその顔は見えませんでしたが、かなちゃんの前でしゃがんでいたお父さんは笑いながら泣いていました。
ううん、泣きながら笑ったふりしていたのかも。かなちゃんの肩に手を置いて、じっとかなちゃんの顔を見ながら、お父さんは言いました。
『かながいい子にしていたら、きっと迎えに来るよ。それまではおじさんのいうことを聞いて、ちゃんといい子にしていてな』
かなちゃんは、お父さんとお母さんがいつ迎えにきてくれるのかはわかりませんでした。でも、きっと今日とか明日とかそういう話じゃあないのだということは、言葉ではなく心でわかりました。
『そうだ、この箱をプレゼントするよ。綺麗な箱だろ? ここには……そうだな、かなの思い出を入れていったらいい。思い出じゃなくても大事なものとか、忘れたくないものとか、いろんなものさ。そうしたら、きっと……』
そうしてお父さんとお母さんは、かなちゃんのもとを離れていきました。かなちゃんのそばにいるのは、怖い顔をしたおじさんだけ。おじさんは迷惑そうにかなちゃんを見下ろして、『まったく、こんなガキ手離して自分たちだけ安全圏ってか……世も末だね』と呟きました。かなちゃんには、おじさんの言っていることの半分もわかりませんでしたが、お父さんとお母さんがやっぱりすぐには戻ってきてくれないことだけはわかりました。
そして、かなちゃんはおじさんと暮らし始めました。
おじさんの古い家の玄関のドアが閉まるとき。
かなちゃんにはその様子が、まるで自分を閉じ込める箱の蓋が閉まって、もう二度と開かなくなるような──そんな怖い気持ちが湧き上がりました。
『ゆういちくん……』
思わず漏れた、仲のよかった子の名前。
そんなか細い声など掻き消すように、ドアは閉まりました。
それから、かなちゃんは大事なものを宝箱にしまうようになりました。
* * * * * * *
ふと、数年前──小学校のとき仲のよかった女の子のことを思い出した。ちょうどそれが今日みたいな、季節の流れに乗り遅れた冬がちょっとだけ取り残されたような花冷えの日だったからだろうか。
突然引っ越したという彼女の家について、当時の僕はあれやこれやと調べて回っていた。親から止められてもこっそり調べて、どうやら彼女──
そのなかで。
「でも最近、
そんな話を、何人かから聞いた。
花星
それが、ここ数年はそんなこともなく、なんなら昔は決して自分のテリトリーに人を寄せ付けなかったのが嘘のように定期的に客を自宅に招いてはもてなしているらしい。
「私たち近隣の人は昔のトラブルを覚えてるから行かないけど、それでもだいぶ変わったのよ。愛想もなんだかよくなって、不気味なくらい」
「前なら花星さんの前で財布を出すななんて大真面目に子どもに教えたもんだったけどねぇ~。でも、最近全然見なくなってない? ゴミ回収の日なんかも全然会わなくなった気がするもの」
どうしてだろう、何故だか胸がざわついた。
花星家は、人が住んでいるというのが一見信じられないほど古びて、軒先はすっかり朽ちたまま放置されていた。
玄関ドアか軋み音を立てながら開いて、躊躇しながらも玄関に足を踏み入れた僕を待っていたのは、昼間なのに真っ暗で静かな室内と、パタパタとこちらに近付いてくる軽い足音。
「こんにちは!」
中から出てきたのは、紛れもなくかなちゃんだった。もう何年も会っていないから見た目は大人びていたけど、弾けるような声や、軽くて賑やかな足音、それに小さい頃偶然見つけて印象に残っていた、首の後ろにある星型にんじんの形をしたアザ。
だけど……。
「うぅぅっ、」
かなちゃんを見たとき、思わず声が漏れた。
まず、彼女はひどく薄着だった。もう冬ほどは寒くないにしたって、まだ暖かいわけでもない日にどうして……? そしてそんな疑問なんて吹き飛ばしてしまうくらいに、彼女の着ている服は真っ黒で鉄臭かった。下着同然の服の裾から赤黒い何かが垂れ下がっているように見えて、しかし数秒で凝視したことを後悔した──あれは裾じゃなくて、たぶん彼女自身から……。
「か、かなちゃん……?」
「こんにちは! 飛び入りのお客さんかな? ごめんね、今日はまだちょっとうち汚くて、掃除しなきゃいけないんですよ~」
「かなちゃん?」
彼女が何を言っているのか、わからなかった。
何が起きているのか、ここで何をしていたのか、どうして今まで行方がわからなかったのか……いろいろな疑問が頭を巡って、けどそんなのお構いなしに、どこかふらふらした足取りのかなちゃんは歩きだしていく。
「かなちゃん!」
たまらず、その真っ赤な手を掴んでいた。
「…………?」
「かなちゃん、僕だよ!
直視したかなちゃんの目は暗く淀んでいて、あの頃の面影なんて見えないくらい濁っていた。
それでも。
「ゆういちくん?」
僕の名前を呼んだ直後、かなちゃんは糸が切れた人形のように動きを止めた。両目だけが、キョロキョロとあちこちに泳ぎ、やがて血走った眼差しがこちらに向き直る。
「ゆういちくん!? ゆういちくん、来てくれたんだ! そっかぁ、おむかえに来てくれるのはお父さんたちじゃなくてゆういちくんだったんだ!」
目を輝かせながら、鉄の臭いをさせてかなちゃんが近付いてくる。記憶にある、けれど育った身体には不釣り合いにも思える無邪気な笑い声をあげて、
「あのねあのねっ! わたし、がんばったんだよ! おじさんのおうちで、いい子にしてたらお父さんとお母さんがおむかえに来てくれるっていうから、ずっとがんばってたの!」
舌足らずな声で詰め寄ってくるかなちゃんから目を背けるわけにもいかず、僕はただ話を聞くだけだった。
「いたいのも、きもちわるいのも、ちゃんとがまんできたらいい子なんだって! おじさんちでね、いろんなこと教えてもらったんだよ? お金のもらい方でしょ、お客さんの呼び方でしょ、お客さんたちの好きなことでしょ……そういうの全部、わすれないように箱に入れておいたの! 見て見て!」
楽しそうなかなちゃんに手を引かれて着いた部屋は、特に生臭かった。手を口で覆う僕のことなんてお構いなしに、彼女は机の上に置かれた小さな箱を手にとって、蓋を開ける。
「だいじなもの、いっぱい入ってるんだ!」
「…………っ、」
そう言いながら開け放たれた箱のなかに入っていたのは、よく見たら僕が昔あげた、当時人気だった魔法少女のプロモーションカードとか、あとはいなくなる前に貰っていたのであろう小物があったけど……いやいや、それよりも、それよりも!
ど真ん中に、目を逸らしたくなるようなものが入っていた。たぶん、鉄臭さの原因の大半は
「かわいいでしょ? こないだね、うまれたんだよ? どうしたらいいのかわかんなくて、どうしようってなってるうちに寝ちゃったみたいなんだけど、ゆういちくん起こせるかな?」
「……………………」
言葉が、出てこない。
「いっぱいしゃべったからかな、なんか、つかれてきちゃった。あのね、ゆういちくんと会えなくなってから、だいじなこといっぱい教えてもらったの」
僕が立ち去ろうとしているのが無意識にわかってしまったのだろうか、帰ろうとする僕の服を掴んで、かなちゃんは話し続ける。
「それでね、箱の中じゃ入りきらなくなっちゃったんだ。ほら、この子でもういっぱい。だからね……」
ぎゅっ、と。
強く抱き締められる。
胸元に押し付けられる柔らかな感触──生まれてこのかた感じたことのないそれに浮かれることすら、もう僕にはできなくて。
「次は、このおうちがわたしの宝箱なんだ。ゆういちくんも、わたしの宝物になってね?」
淀んだ瞳をキラキラ輝かせて微笑むかなちゃんに、僕は何を言えばよかったのだろう。言葉を迷った僕を、かなちゃんはもう逃がしてはくれない。
かなのたからばこ 遊月奈喩多 @vAN1-SHing
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