第3話 亡き魔法使いの孫

 嫌な臭いに満ちた屋敷を出ると深呼吸した。肺が空になるまで吐いて、吸って。

 少し落ち着くとむず痒い目をこする。喉もチリチリするが、それ以上の不快感。


 彼女には悪いことをした。こんな僻地まで帯同してくれた稀有な魔法使いなのに。

 でもまさか自分の祖父が人道に背く所業に手を染めていたとは。多くの人を助けた偉大な魔法使いだと昔から聞いていたのに。ずっと尊敬していたのに。


 祖母を亡くしてから、それまでの魔法とは異なる学問に打ち込んでいたらしいけど。生憎俺にも両親にも魔法の才能がなく、祖父を本当には理解出来なかった。

 今はしなくて良かったんだとしか思えない。心底軽蔑した。してはいけないことがこの世にはあるだろ。罪を成果で帳消しにしようとする人間性が受け入れ難い。


 もし千人の命を救ったとしても、百人殺した罪は消えたりしない。

 殺してでも救う手段を得ようとするのなら、せめて償いから逃げるな。

 何より、自分が望んで造り出した命さえ大事に出来ないってどういうことだ。


「本当は他人を実験材料くらいにしか思ってなかったのかな……」


 幼い憧憬がくすんだよう。厭気を宿して見上げた屋根に、何かがいた。


「妖精?」


 さもなくば小人。貫頭衣で腰周りにリボンをしている。長い緑の髪の女の子。

 手を組んで祈りを捧げていた。何に──……祖父に?

 なるべく足音を殺して近付く。驚かせないよう俺は小声で話しかけた。


「……きみはクルス?」


「あなた博士の言ってた人? 手紙を受け取ってここまで来たんでしょ」


 哀悼の意を湛えた表情でクルスは返事をした。その声色は暗く沈んでいる。

 確かな理知を感じられるが、祖父はそれでも処分しようと思い切れたのか。

 日記を思い出す。箱庭の魔法とやらがないとクルスは長く生きられないはずだ。


「俺はきみの博士の孫だよ、魔法は使えないけどね。ええっと、きみが安全に過ごせる容器がないといけないんだっけ。探して来るよ、まだどこかに一個くらい残ってるかも」


 いいの、とクルスは力ない声でぽつりとそう言った。

 項垂れた姿は憐れだし、罪悪感が重みを増す。俺は居た堪れなくて拳を握った。


「もういいの、箱はいらない」


「いや諦めるなんて駄目だ、クルスは生きているべきだ。じいさんに殉じる必要はない、どんな生き物だって命ある限り生きる努力をしなくちゃ!」


 クルスは小さな頭を振る。唯一の家族だったじいさんを亡くして、もう生きる気力がないのか。他人との繋がりも……外に出る機会もなかったろうし。


「ううん。箱庭の魔法なら覚えたから、私のおうちはどこでも平気なの」


「えっ………………えっ!?」


「私の作ったお庭見たんだよね? どれか一つでも枯れていた?」


「いや……緑も花も綺麗だったよ……」


 呆然と返事をすれば、クルスはそうでしょと少し誇らしげに笑みを浮かべた。


 そして彼女は語った。博士が何も話さなくなり、外へ出るようになってから他の生き物の暮らしや生態を観察して過ごしたこと。

 博士は死んでいると気付いた時にはもう、遺体の腐敗が進んでしまって。小さな手足では弔いも出来ずにいたのだと。そして助けを求めていた、届かぬ手紙で。


「だからありがとう、博士が天国へ行けるようにしてくれて」


「いや……」


 多分地獄行きだと思うよ。とは言わずに留め、俺は目を逸らした。


「自分で魔法を使えるなら俺が心配するまでもないか。ずっと閉じ込められて支配されて来た分、好きに生きたらいい。出来れば人間に捕まらないようにね、人間ってきみが想像する以上に邪悪な生き物だからね……」


「えっ」


 驚いた後、悲壮な顔になったクルスがふらっと屋根を飛ぶ。いや落ちたんだ。

 思わず走った。小さな身体がボテッと掌に収まり、無事だと確かめるや息を吐き尽くす。口から心臓が飛び出るかと思ったわ。


「おい、怪我は! やっぱり箱がないと駄目なんじゃないか!?」


「っ……やだやだ! なんで連れてってくれないの! 私一人でどうしたらいいの! 博士の家族なら私の家族なんじゃないの!?」


 クルスは目にいっぱい涙を浮かべ小さな手足を振り回す。幼児が駄々を捏ねるみたいに。

 でもその叫びに込められた悲しみの深さは、きっと俺の想像を遥かに超えるんだろう。


「一緒にっ……いてくれなきゃ……やあああだああああ」


「うちはここよりもっと小さくて狭いし、町には人の目もある。夜しか自由に出来ないぞ?」


「私には世界の全部が大きいし広いのよ、自由だってたくさんある! 私に出来ないのは、私を一人ぼっちにしないことだけだもん!」


 ……困った。小さい子の泣き止ませ方は分からない。どう説得出来るかも。


「俺は昼間に働くし夜は眠るから、あまり話も出来ないけど」


「じゃあ朝と夕方に話すもん。綺麗なお庭だって見せてあげる……だから……」


「……分かった。確かに俺達は親戚みたいなもんだし、これも縁かな」


 根負けして苦笑する。泣き暮れていたクルスもじわじわ理解が及んだらしい。

 ぽかんとした口が引き結ばれ、涙目を腕で拭う。乱暴にこするのはよせ。

 まだ震えを残すか細い声は、絵本で見たの、と囁いた。


「絵本では、大きな箱より小さな箱に、幸せが詰まってるのよ……」


「小さなはこで悪かったな。まあ幸せがあるんなら半分やるよ」





 ──これはずっとずっと昔の話。この町に古くからある言い伝えだ。

 働き者の暮らす家には小人が現れ、手伝いをしてくれるというお伽話。

 大切にされる庭には妖精が現れ、花を元気にしてくれるという寝物語。


 あなたの家が温かいのは、幸せを分けてくれる存在がいるからなのだと。

 小さな隣人が愛されるよう誰かが残した作り話は、今日こんにちも語り継がれている。




【完】

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[箱入り娘の庭作り] 波津井りく @11ecrit

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