第2話 モノ憑き異聞奇譚1 ー下町のヘンテコなんでも屋ー
「新ちゃん、ちょっと、新ちゃんってば」
「おう、なんだなんだ。おばちゃん、そう慌てんなって」
ご近所のおばちゃんの世間話から、御子柴 新一の朝が始まる。
三件隣のおじいちゃんが病院へ運ばれた、けど症状は軽くていま家に戻ったとか、町内会長さんとこのぽちが子供を産んだこと、婦人会の奥様達の話、スーパーのセールの話、近くの小学生が何かを探して大捜索し危ない所にまで入り込んで叱られた。まあ、アニメで流行っている探偵ごっこをしているのではないか、とか。
これは永遠に終わらないループになるのかと、新一は天を仰いだ。
「おばちゃん、そろそろ店の掃除すっからさ」
「なんだい、この店、客なんて来ないくせに」
身も蓋もない言葉に新一は苦笑いを浮かべる。
確かに、この店は古いし流行らないし、お客は数えるほど。
また来ると言って去って行ったおばちゃんに軽く手を振って古い一軒家の店の扉を開けた。
ガラガラガラと壊れたような音を立ててガラスの扉は左右に開く。
店の中は駄菓子や昔流行ったおもちゃが並んでいた。
外の空気が店の中を通る。
新一はジーンズのポケットから煙草を取り出して火を付けた。
ゆっくりと揺れ、細く長く上がっていく煙を新一は見つめた。
あれはいつの話だったか、幼い新一が人には見えないモノが視え、気味悪がった両親の代わりに育ててくれたのが父方の祖父だった。
新一が見えているモノを否定せず何でも話を聞いてくれた。
この店の中で新一は色とりどりの商品と見えない「モノ」たちと遊んで育ったのだ。
そうして月日が経ち、祖父が天に召されて新たに新一がこの店の店主となった。
「・・・・・・」
「お?出掛けるのかい?」
少しくたびれた老犬にも見えるような犬が店から出てきて煙草を嗜んでいる新一を見上げた。
「・・・フン」
「気を付けてな」
面白くなさそうな息を鼻でついて、その犬は真っ直ぐ歩いて行った。
いつもの公園だろう。
小さいが静かで過ごしやすい公園があり、そこがその犬のお気に入りであることは新一も知っていたのだ。
快晴の早朝からもう少しで日が傾き始める午後になるまでに新一は店の掃除を終わらせる。
それが一日のルーティンで、商品の在庫を確認したその時、公園に出掛けていた犬が扉から入って来るのを見つけた。
いつもより帰りが早い。
「おう、どうしたよ?」
不機嫌そうに顔を歪めながらその犬は店の隅のレジ下でくるりと蹲る。
言いたくはない。もしくは言う必要がないのか。
しかしなぜこの犬が不機嫌そうだと新一がわかるのか。
それは幼いころから「見える」ことに関わっている。
この犬、顔は人間なのだ。
それも俗にいう「いけおじ」、そう「イケてるおじさん」の顔。
それが嫌に歪んでるのだから気にならないわけがない。
今の現状で言えば、世に言う「人面犬」が仏頂面でそこに蹲って不貞腐れているのだ。
「あぁ? んだよ、帰って来ちゃいけねぇのかよ」
少ししゃがれた低い声を出して、顔を上に向け新一を睨んだ。
イイ感じにかっこいいおじさんに睨まれるのも正直怖いものだと新一は困った様に笑う。
「いやぁ、いけないわけじゃないさ。お前さんの帰りがいつもより早いから気になっただけだよ。しかも珍しく機嫌が悪いし」
慣れたように犬を店の中に入れ扉を閉める。
古そうなパイプ椅子に腰かけて新一は読みかけの本に目を通し始めた。
「放っとけよ」
そう言った犬もそんな新一の行動に慣れたように彼の足元まで行き、くるりと小さく回るとそこに蹲った。
午後はいつもそうやって静かな時間を一人と一匹は過ごした。
どのぐらい経っただろうか、本のページを捲る途中でバタバタと店の外が騒がしくなった。
行ったり来たりと。
扉に視線を移すと数人の小学生らしき少年たちが通る。
口々に「いたか?」「あっちじゃね?」などと叫んでいる様子を見て、新一は足元に蹲っている犬を見た。
犬であるはずのそれが人の顔をしていた、それを見られたか勘づかれたのか。
そうして、今朝おばちゃんが話していた探偵ごっこをしている小学生たちがこの子たちだと確信して納得した。
「あぁ、そういうことか」
「うるせぇよ」
悪態を付いた犬に新一はくつくつと笑い、犬は心底嫌そうに顔をしかめた。
「怖がるどころか俺をカメラで撮ろうとしやがる…うぜぇ」
「お前さんたちの存在は人間がいないと成り立たないとはいえ、不便なことだよ」
小さな溜息を付いて新一はまた本の世界へと戻って行った。
ふと、意識が反れたのは外の少年たちが店を覗き込んでいる視線を感じたからだ。
こちらを覗いては誰が行くのかじゃんけんをする。
おいおい、店の前だ。と言葉を飲み込んで新一はそれをじっと見つめた。
「あの…すいません」
そう言って一番控えめな子が声を出すと、後ろから押すな押すなと雪崩のように三人の少年が飛び出してくる。
その内の一人が何かに気付いたように真っ直ぐと指を向けた所に蹲った犬がいた。
「いた!!こいつだ!!」
「スマホ!早く!早く!」
挨拶もそこそこにスマホで犬を撮り始めた少年たちの首根っこを捕まえて新一は一度彼らを犬から離した。
今までは椅子に座っていたが、立ち上がるとやはり大人の男だ、デカい事は確かで明らかに少年たちはたじろいで後ろに下がった。
「お前ら、人の家に入り込んで挨拶もナシか?しかも店の中で撮影するとか躾がなってねぇな」
わざと低い声で唸るように言えば、彼らは持っていたスマホをポケットにしまい込んで頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。あの、こんにちは」
「おう、なんだ、うちの犬に何か用か?」
と、問えば少年たちは犬を覗き込んで「?」を頭に浮かべる。
不思議そうに、そして残念そうに。
「こいつ、人面犬じゃないの?」
「人面犬?なんだそりゃ。見たらわかるだろ、そいつは普通の犬だ」
子供というのは実に鋭くて純粋で残酷だ。
興味があれば、その対象がどうなろうと構わない。
そんな素振りを見せている。
SNSに載せたら自分たちは有名になる。だが、対象になった犬はどうなる?その犬がいるこの店はどうなる?
そこまで先が見通せない。
だからこそ、注意すべきは注意する。警告を出す。
こちらの世界には来るなよ、と。
「おら、実物を見ただろ?どこが人面犬だ。人の家の犬をバカにするな。あと、どこでもスマホで撮るんじゃない。店の迷惑だ」
帰れ帰れと促すと仕方なしに帰ろうとする少年たちとは別に一人の子が叫んだ。
「ふざけんな!この犬だ!俺は公園でこいつを撮ったんだ!正体を現せ!!」
店の中で騒がれたんじゃたまったものではない。
新一はポケットから煙草を出して、火をつけ、そうして先ほどまで座っていた椅子に戻った。
吐く息と共に揺れて上がる煙の中、新一は口の端を上げて笑った。
「だったら…その公園の画像見せてみな」
少年は急いでスマホの中にある画像を探し、スマホに映し出した。
そうして、一言、小さく言葉を漏らして、顔を曇らせた。
そう。
画面の中の犬は確かにここにいる犬だが、どこをどう見ても普通の少しくたびれた犬だったのだ。
「あ、あれ…?そんな…」
「おやぁ?普通の犬だねぇ」
見間違い?いやだけどみんなで見たよな?
少年たちは顔を見合わせて頷き合っている。
まあ、あの世界は気付かせるように出来ているのだから、少年たちは嘘を言っているわけではない。
けれど、こちらとて静かな生活を騒がしくして欲しくないのも本音だ。
「…何だっけ?えっと…“都市伝説”だっけ。なに、そんなの信じてんの?」
その言葉に、少年たちは目を輝かせる。
「当たり前じゃん!誰も見たことないんだし、画像載せたら有名になるし。面白いだろ」
「面白い…ねぇ…」
新一はもう一度煙草を口にして少年たちに当たらないようそれを吐き出す。
怖いものなし。
今も昔も子供とはこんな生き物だ。
だから、あの世界に入り込みやすいし、見えないモノを見やすい。
店の窓からオレンジ色の日が差して、夕方になったと知らせる。
少年たちも店の犬に興味がなくなったのか帰ろうと言いだしていた。
「ほらほら、もう夕方だ。お前らも家に帰りな」
新一が追い返すように手を振ると、控えめな少年が後ろを振り返り。
「ねぇ、おじさん。この店って何屋さん?駄菓子もおもちゃも本もある」
店の中に入って来て今更いう言葉かよ。
そう思ったが新一は笑いながら少年たちを外に出した。
「おじさんじゃねぇ、新一だ。御子柴新一。あの犬はよもってんだ。で、この店は何の店か俺もわからん」
東京下町。
小さくて古いなんでも屋。
そこが物語の始まりで終わりの場所だ。
「知ってるか?この時間は“逢魔が時”つって、物の怪が出やすい時間なんだと。お前ら気を付けて帰れよ」
新一の言葉に少年たちは手を振ったり、怖くねーしと悪態を付いたり賑やかに帰っていく。
「ほんと…気ぃつけな…」
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
「ヘンな人だったよねー」
「へんな店だった!」
おかしな店があったとSNSに載せようと少年たちは先ほどのスマホを取り出し画面を見た。
店の画像、新一と名乗った男の画像、そうして何枚かスライドするとふと男の足元で蹲っていた犬の画像があった。
ふと少年たちの足が止まる。
その画像から目が離せなかった。
少しずつ、ゆっくりと。
蹲っていた頭が持ち上がり。
ゆっくりとゆっくりと足元から鳥肌が立ち悪寒が走った。
画像は紙芝居の様に一枚一枚画像が捲れて行くように。
そうしてその犬はこちらを振り返り
「にたり…」
と笑った。
心臓が止まるかと思うほど呼吸が荒くなる。
画像から目が離せないまま、そこからうっすらとくる闇に吸い込まれそうになる。
もう見てはダメだとそう頭では言っているのに。
バタバタと声もなく少年たちは我先にと駆けだしてその場には誰もいなくなった。
しん、と静まり返ったその場所に新一とよもは立ち止まる。
短くなった煙草をポケットから出した簡易灰皿にこすり付けて消す。
揺れていた煙も細くなってなくなった。
「やりすぎだ、ばか…」
「人の言うことを聞かない悪い子のお仕置きにはちょうど良いだろうが」
「……ちげぇねぇ」
下町の店の店主、御子柴新一は犬のよもと共に店に帰って行った。
夕焼けの照らす地面に長く長く二本の影が伸びていた。
モノ憑き異聞奇譚 きたの雪華 @kitanosekka
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