彼女は異世界の神官、ドーラだと名乗った。柔和な物腰の彼女なら四十秒で支度しろ、なんて無茶を言うことはないだろう。

「因幡の白兎かと思ったら浦島太郎だったなんてな。いや、巨悪を倒しに行くのなら桃太郎か?」

「何です、それは?」

「こっちの世界に伝わるお伽話だよ。俺のことは浦島とでも呼んでくれ」

 亀ならぬ女性を助けて招かれた別世界。待っているのはタイやヒラメの舞い踊りなどではなく、命を賭けた魔王討伐。世界の命運が俺に懸かっているというのに、不思議と気分は高揚していた。

「それより、どうやって魔王を倒せばいいんだ?」

「一朝一夕という訳にはいかないのですが……」

 そう前置きすると、ドーラは世界の仕組みについて説明を始めた。

 要約すると、ここはロールプレイングゲームのような世界観らしい。異世界から来たばかりで経験の浅い今の俺ではどう頑張っても強大な魔王には太刀打ちできない。充分な経験値を稼ぐためには、魔王が放った魔物達を地道に倒していくしか方法がない。倒された魔物達は宝箱へと姿を変じ、その中から金貨やアイテムが出るようになっている。いわゆるアイテムドロップだ。魔物を倒すことで得られる経験値で強くなり、金を使って装備を整え、アイテムを駆使して魔王を倒す。それこそが最終目標だった。

 旅路は順調だった。ゲームの中でもレベル上げは苦ではない。むしろ地道なやり込みこそRPGの醍醐味とも言える。ドーラの献身的な手助けもあり、俺はついに魔王を討ち倒すことに成功した。

 魔王も今までの魔物同様、宝箱へと姿を変えた。今までで一番大きく豪勢な箱だ。早速箱を開けようとしたが、ドーラに止められた。

「ウラシマ様。この箱を決して開けてはなりません」

 何故、と問い糺す前に、気づけば俺は自室で箱と向き合っていた。

 これが浦島太郎の物語であれば別世界から帰還すると何百年も経っていた、なんてオチだが、日付を確認すればドーラを助けてから一日も経っていない。異世界での冒険譚は邯鄲の夢だったのだろうか。しかし目の前に鎮座する宝箱は本物で、あの体験は夢ではなかったのだと如実に告げている。

 さて、ではこの箱はどうしようか。開けるなと言われると開けたくなるのが人のさが。先にも述べた通り、俺は好奇心に忠実なのだ。年月が経っている訳でもなく、開けたら一気に老け込むことはないだろう。

 ドロップするアイテムの強さや金額は、倒した敵の強さに比例する。魔王となればいったいどれだけの価値になるのか。箱を開けて中を覗き込む。しかし、そこに望んでいた宝は入っていなかった。

「何だ、なにもないのか」

 落胆の声を落とした。あろうことか中は空だったのだ。魔王のくせに、と肩を落とした次の瞬間。

 けたたましい音でスマートフォンが鳴動した。緊急を知らせるアラームが危機を知らせる。次いで地鳴りが響き、突き上げるような揺れに襲われた。

「地震!?」

 慌てて机の下に潜り込む。家中の物が落ちるのを呆然と眺めながら揺れが収まるのを待った。這々の体で机の下から抜け出し、スマホのニュースを見て愕然とした。

 先ほどの大地震だけじゃない。過去に類を見ない大津波の発生。富士山を含む世界中の休火山や活火山が一斉に噴火。あらゆる自然災害がいっぺんに起こったみたいだ。何でこんなことに。このまま世界は滅亡するのか。俺が別の世界を救ったばかりだというのに?

「――ああ、やはり開けてしまわれたのですね」

 いるはずのない人物の声が耳朶を震わせる。異世界の神官が佇んでいた。

「ドーラ! これはいったい……」

「やはり人間である以上、好奇心には勝てないのですね。好奇心は猫、いいえ、世界をも殺すというのに」

「世界を……?」

「申し遅れました、ドーラと騙りましたが私の本当の名はパンドラ。かつて貴方方の世界で、開けてはならぬ箱を開いて世界に災厄をばら撒いた女の名です」

 パンドラだって? じゃあ、あの宝箱はパンドラの箱だったとでも言うのか。

「魔王は死してなお災厄を齎す存在でした。そこで私は一計を案じました。何も知らぬ異世界人に災厄を持ち帰ってもらう。目論見通り、貴方は箱を開けた。貴方の世界はこのまま滅び去り、我々の世界が上書きされます。ありがとう。貴方は我々の救世主です」

 俺はパンドラに掴みかかった。自分のせいだと考えたくなかった。怒りの矛先と責任を全て彼女にぶつけたかった。

「ふざけんな! 今すぐどうにかしろよ!」

「無理な話です。それにこの結末は、貴方が選んだ答えなのですよ」

 ――だから、開けてはならないと申し上げたのに。

 パンドラは嗤う。これなら老人になる方がマシだ、と思った。

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異世界勇者ウラシマの帰還 佐倉みづき @skr_mzk

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